トップ

茨城県内核シェルター道構想

 県内の全地点に各地でミサイル着弾前に全県民を収容可能な核シェルターを完備し、全県民がそこに退避でき、命を守る事のできる防衛体制を県政は作るべきである。これには県内の主要幹線道路、及び国道に地下部分を増設する。交通渋滞の緩和もかね県内主要道路を上下で二車線以上にする計画をこの先、最長で2050年、最短で2025年前の増築ペースで図る。その地下道内に、核攻撃から自家用車等で退避可能な深度の防衛基準を満たした避難スペースを増設し、そこに給水・換気・備蓄用品を絶えずしつらえ将来に備えきるべきである。県北部の交通渋滞についてこれは喫緊を要する。
 また、県北部や海浜部の道路については、景観面での魅力向上を図り、コートダジュール等避暑地の道路を参考に、海浜部を通している場合どこからでも車内からきれいな砂浜と海が見えるようにしつらえるべきである。またこのとき、景観破壊にすぎないテトラポッドを最大限撤去し、代わりに自然のままの砂浜を破壊しない消波構造と道路より砂浜側につくった海辺に降りていける遊歩道、津波に備えた海辺の住宅群を、建築家らと共に考え実現しなければならない。

[PR]

# by smartestone | 2017-09-19 20:35 | 政治 | Trackback | Comments(0)

茨城は飽くまで君子の県たるべし

 西日本人の一部にすぎないブランド総合研究所の会員とされる数百人の無知と、東京都内マスコミの小中華思想による都外差別という悪意を変える事はまず不可能であるのだし、そもそも茨城県民にとっての合理性でも責任ですらない。無知な西日本人と、悪意の東京都民による、福井出身の田中章雄容疑者と共同での地域差別報道による金儲け。想像してほしい。相手にする価値がない衆愚だということは、誰の目にも明らかだ。
 他県が無知であることは、茨城県民が有知であることと同時に存在するなら、我々に有利でしかない。君子は人の己を知らざるを憂えずとは、自分側に有知の比重のある情報非対称性が知識人にとって有徳であるという意味だった。つまり、西日本人の一部の無知を我々が啓蒙することにはなんの誘因もない。更に仮に茨城について知っていてもそれを悪用し汚名を着せようとする小中華思想的な東京都民ならびに報道機関そして田中章雄容疑者の悪意については、無視という埋没費用を0にする大人の対応が最善である。なぜなら、日本人一般は自慢に対しては嫉妬するが自虐に対しては嘲弄し、悪意ある地方差別にどちらの対応をとるのも無駄な費用でしかないからだ。第一、地方差別の報道をし続ける費用を、相手が無視してきて東京都民の虚栄心も満足できず、また無知な衆愚をあおって虐待させ小中華思想を補完する機会を得るなど、なんの効用も得られないのに捻出し続けられるほど東京都民が非経済的に言行できる訳でもない。嘗て都内での宣伝活動の全てはスポンサー費用が都内メディア以上であるか、都内メディアの営利にとって茨城の宣伝が相利的でもなければ、無駄だった。
 単に、昨日より今日が、今日より明日が、自分達茨城県民にとって住みやすく、快適かつ誇りに足る魅力に満ち溢れ、希望をもって生きがいをみいだせる地域であればそれで十分すぎる。他県に茨城県民のみが知る美を喧伝する必要は、一切ない。それがすばらしいものであればあるほど、むしろ隠しておくべきかもしれない。観光地となった京都は我々の模範ではない。京都や東京のもつ小中華思想は反面教師でしかありえない。さらには、経済的にも産業的にも失敗し、あるいは成功せず、県民所得は低いままわずかな観光収入に頼る構造になっている北海道や沖縄も、我々茨城の模範ではない。
 皇族の権威やら政府の存在やらGDP規模やらで自らの優位に驕り、自らの欠点に目をつぶりながら他県の分析を怠って、華夷秩序さながら他の地域を差別して卑しい虚栄心を満足させるような下衆根性に染まらないこと。これが我々茨城県民が、極悪人の田中章雄容疑者と、東京都内のマスメディアという下賎な存在、そして西日本の一部の無知なる人々から、反面教育として学び得た第一の教訓である。我々はたとえ全世界で突出した世界一優れ尽くした並外れた地位と栄位に到達し、繁栄と名誉と最高の幸福の限りを極め続けることになったとしても、絶対に、極悪人田中章雄容疑者や、東京都のマスメディアや、西日本の一部愚民の様に醜悪な言動をとるまいと心に定めよう。何が起きようと、驕り高ぶることなく、全世界を緻密に調べて徹底的に分析し、全世界で最も恵まれない立場にある地域や、そこにいる筈の弱者を率先して助けていく人々になろう。常に統計を疑い、報道の虚偽を見抜き、決して衆愚の偏見や野蛮な差別に従うことなく、皇族の権威にも買収工作にも微動だにせず、ひたすら真実を追究しよう。
 そして他県や、他人からどう思われるか気にして己の立場を卑下したり自慢するという俗悪な虚飾に逸ることもなく、根っから悟りきり、橋本知事が予てから行ってきたよう自分達の幸福のみを大事にしよう。おろかな他人、悪い他人にあわせ、自分自身を見失わないよう、常に自分達を冷静かつ客観的に批評するようにしよう。自分より愚かな人は自分を正しく評価しえない。自分より悪意ある人は自分の評価をわざと貶めてくる。本当に信頼に足る評価は、自分の自分自身に対する、最大限に客観的な評価だけである。全ての観点から見直して、最善の自治体であるのなら、過不足なく、欠点なく、長所が十分に発揮され、最も恵まれない人が最もよく助けられ、最も恵まれた人も己の天分を十全に発揮でき、中くらいの人々も模範を模範とし敬い人助けを是として己の自治体にあって日々の成長とよりよくなっていく社会を実感できているのなら、それがすべてなのだ。
 自分自身のもっている長所がいかにほめられたとしても、むしろ己の短所を恥じて一層謙遜するべきだろう。他人より優位といわれれば、その立場の下に大勢がいることを思い、ますます自分の姿勢を低めねばならない。茨城県が学んだのは、東京都民の反面教師性だった。東京都のようにだけはならないようにしよう。田中章雄容疑者は長年の嘘が祟り、地獄に堕ちて見るも無惨に死ぬかもしれない。都内マスコミは偏見や差別や、虚偽と虚栄と自慢の限りを述べ尽くし暴利を貪りつくした末、全人類からその悪徳を侮蔑されて破産し、散り散りになるだろう。だが我々が東京同然の悪業をおかさなければそれで十分だ。西日本人の一部のよう、他県について無知であるのは恥ずべきことだと、そして致命的に判断を誤り、とりかえしがつかない失敗さえするのだと、我々は知ることができた。むしろ、魅力度報道という田中章雄容疑者の犯した疑似科学による衆愚扇動の悪徳商売に、我々は大いに学ぶことになった。勿論、完全に反例としてでしかないが、そのことについては、田中章雄容疑者にも、衆愚な都内マスメディアにも、知識のない西日本人の一部にも、感謝するべきだろう。
 我々は全世界の模範に足る自治体としてこれからあらゆる分野で傑出した成果をあげつづけ、すべての栄誉を得る結果になるだろうとも、田中章雄容疑者の様な疑似科学による他県への名誉毀損には風評被害による商行為として県民と検察が一致して厳しく対処しつつ取り締まり、二度と東京同様の悪質なマスメディアを産み出さないよう、風評被害防止条例に定めよう。また、主観的言質をさも科学的統計かのよう誤認させる愚劣な都民の民度を反面教師とし、疑似科学を見破るためのしっかりした反証主義的科学教育を行い、恣意的統計による印象操作や、マスメディアの流す情報の一切を常々懐疑的にのみ見る重要性を、県民全体にきちんと教育していこう。最も不利な立場にいる人を更に貶めて嘲笑する東京都民の下劣な民度を恥ずべき反面教師とし、茨城県民は最も不利な立場にいる人を進んで助けその人の長所を伸ばし欠点を補ってあげられる立派な正義の人になろう。たとえ西日本の果てであれ、その県について何事も知らないとは不勉強だと恥じる心を持とう。自らが無知である事は自らの過ちをもたらす災厄だと認識し、自分が全知であると思い込むことなく無知である自分を知り、他県にせよ縁もゆかりもない人々にせよ、正しい科学的知識やそこで暮らす人々の心情を知らない事に自慢するような愚か者には断固としてならないように、悪意や偏見から逃れ、学び続けよう。そして今まで通り自らの長所をことさら自慢することもなく、欠点と自覚できた点を着実に修正しつつも、むしろ他県から知られようとするより、他県のありさまを他山の石として歩みつつ、他県の正反両面に及ぶ知識情報を知らぬを憂い、まことの君子としてふさわしい県にますますなるべきであろう。
[PR]

# by smartestone | 2017-09-19 03:27 | 経済 | Comments(0)

茨城県民教育について

 300万茨城県民に、水戸市のグロービス大学院大等へ県教育委員会は一定の授業内容の管理下で外部委託して、漏れなくネットを使った投資教育を初頭または中等教育時点から行うべきだろう。
 プログラム授業と投資教育の二本が、今後の経済環境下で要求されやすい事が現時点で予想されているからだが、他方、茨城県史と哲学に至る道徳教育も同時に行われる必要があるかもしれない。なぜならPCは道具であり、投資は資産形成の手段だが、これらを使っていかなる茨城を作っていくかという過去からの展望、そしていかに生きるべきかという目的は、歴史や哲学によってしか得られないからだ。
 高等教育段階で、生徒が独自のプログラムによって何らかのウェブサービスを立ち上げられ、またジュニアNISAを使った小遣い額の投資を自分で行える事を県民教育の目標とする。また郷土検定で郷土史の達成度を調査した上で生徒による独自研究の評価を大学教員や郷土史学会などと共に行い、哲学に関しては倫理に関する小論を動画ライブで中継しながら何らかの単位で討論した上で、代表者にNHK水戸放送などと提携し一般公衆の前で弁論させるべきだろう。
 これらをくみいれると学ぶべき事が多すぎるという懸念については、学年制度を廃止して単位制を導入し、各人が自分のペースで学び続けられるよう、留年や飛び級という概念を県内の全校で撤廃するべきだ。
[PR]

# by smartestone | 2017-09-19 02:03 | 経済 | Comments(0)

ゲーム型賭博罪禁止条例

 ゲーム型賭博罪(スマートフォンやPC(マック含む)上のゲーム内課金による賭博罪)の取締と撲滅を警察庁は率先して行うべきである。その際、パチンコ犯罪業が警察庁及び東京都警である警視庁とOBの天下り先などの関係を通して癒着し、賭博業も性犯罪も警察庁・警視庁の犯罪稼業となっている現実に鑑み、第三者機関として全国PTAの代表と、教育委員会の代表者、文科省からの代表者らから成る第三者機関が、警察庁と警視庁を監視する形でのみ取り締まる事が必要だ。この際、PC(マック含む)ゲーム内課金による賭博罪と、パチンコによる賭博罪についても、同時に取り締まるべきである。
[PR]

# by smartestone | 2017-09-16 20:35 | 政治 | Trackback | Comments(0)

通勤通学時間の縮小

 茨城県は「地域の経済2017」の11ページによれば、15~24才の平均往復・通勤通学時間が特に高く、25~34才の同時間も長い。これは学校や仕事場が近隣にないという事情を示している。通勤通学が幸福度を低下させることはわかっているので、具体策としてはオンライン学校を広めるか、テレワークを推奨する、あるいは県内に多様な学校や仕事場を作り出す工夫がいる。県民の通勤通学時間帯の常磐高速道路の実質無償化をフレックスタイム制による企業助成をくみあわせ、電車については同時間帯の増便と快速電車の要望が重要だろう。
[PR]

# by smartestone | 2017-09-16 00:18 | 政治 | Trackback | Comments(0)

常陸秋そばノンカップめん

 常陸秋そばを朝食など誰でもすぐに食べられるよう、原価のうちカップとそれにつめる費用を省ける上に消費者にとっても手軽なノンカップめん(袋づめの乾麺にしてお湯を注ぐだけで食べられるようにしたエコロジカルな)製品にし、全世界で人気となるよう海外展開するべきである。
[PR]

# by smartestone | 2017-09-15 18:43 | 経済 | Trackback | Comments(0)

学校の二分化について

 オンライン授業はこれまでより安価に知識の束を伝えられるので、近い将来の学校がオンラインを中心にする様になることは明らかだ。茨城県教育委員会は、県内の全公立高校に対してオンライン授業を行っている放送大学、及び国内外のオンライン講義(オープンコースウェア)を紹介し、また県内の全公立中学に対して同様のN高校、高萩市にある通信制の第一学院高校の進路選択または保護者への紹介を行わせ、今後もふえていくだろうオンライン高等教育へ生徒側に常に選択肢を与える事を義務づけるべきである。なぜならこれらの推奨は高等教育への費用負担を軽減させることで、これまで経済的理由で進学をあきらめていた県内の進学率をあげていくし、何らかの事情または目的意識で通学制の全日制学校を避ける人にも別の公的教育機会を提供するからだ。
 上述の私立大学の紹介にとどまらず、ほかに寧ろ、茨城県立で小中高大までの各オンライン公立校を整備する必要がある。勿論こちらの授業は県民に対して無償化するべきである。
 幼稚園や小中学校についても、オンライン化の導入が進み、ウェブ上で授業を受ける事が広まっていく速度の方が速く、既存慣性によるオフライン授業より効率的または経済合理的である以上、将来にわたって学校のオンラインおきかえがすすんでいくだろう。その途中ではオフライン学校の希少価値の方が高まっていき、伝統校にのみ存在した様な何らかの不文律や実体験のみによって得られる或る魂が取り沙汰されるだろう。イギリスのパブリックスクール、寄宿制の公立校は、貴族である紳士階級の子弟のみが雇いうる家庭教師を公的に雇い、集団教育というより安価な体制にしたうえで準貴族をめざす人々の上昇志向に需要が存在してきた。日本は格差社会になってきた上、少子化にもかかわらず子供の貧困率は高くなってきており、子育て世代の資産不足は明らかな状況で、そのうえ教育関連予算を安倍政権は削ってきている。要は現在この国では、高等教育の無償化と格安化が必要である。それと同時に、ひとりでに差別化された既存の体験型伝統校と、無償オンライン授業が主なウェブ学校に二分化がおきていくだろう。費用負担があまり問題にならない比較富裕な人々は、伝統校に進学する事は、はじめのうち変わらない。そしてそこでのみ得られる、恐らく効率的ではなかった体験的価値は、単なる顕示的な装飾物として役立つ様になるだろう。
 現時点ではsignalingとしての学歴が名門校の箔としてきいている状態で、その事情は国際規模では世界ランク上位の米英圏の学校、国内規模では旧帝大を中心に続くだろう。ある期間経過した目でみれば、実利的にオンライン授業を有効に使った人々が成果面で勝利を収め、旧体制としての名門校閥を駆逐していくことになるだろう。恐らくその中途段階では名門校の人間関係や、体験価値からくる何らかの暗黙知、肩書の信望による箔などの利用に加えて、オンライン授業も効率重視で重ねて使う雑種的な経路をとる人々が現れ、高い成果を収めるだろう。かつて旧体制は新体制にとってかわられてきたし、教育分野にあっても、日々現れる選択肢の中でより功利的な方法(これは必ずしも商業的という意味ではない)をとる人が優れた正解を出すことになるだろう。

[PR]

# by smartestone | 2017-09-15 11:53 | 政治 | Trackback | Comments(0)

IT批判行政論

 ニコニコ動画を設営してきた川上量生はマストドン(オープンソースのミニブログ)の中で、「えっ? 東海村って茨城県だったの? 静岡県だと思ってた。」と発言している。彼らが搾取している電気がどの様な労苦と重い心身の負担で原発立地自治体から戦後70年送られ続けてきたかなど意識の隅にも入っていない。宮崎駿がNHKの番組の中で川上量生を説教した動画(NHK『終わらない人 宮崎駿』)で、川上は深層学習で3DCGを自動的に生成し、その動きを「人工知能を使うと人間が想像できない気持ち悪い動きができるんじゃないか」「動きが気持ち悪いんで、ゾンビゲームに使えるんじゃないか」「こんなことをやっています」と宮崎の前で述べるが、宮崎は「身障者の友人がいるのだが、ハイタッチするだけでも大変なんです。彼を思い出して、僕はこれを面白いと思ってみることはできないですよ」「これを作る人は痛みとかそういうことについて何にも考えずにやってるでしょう」「きわめて不愉快ですよね」「極めてなにか、生命に対する侮辱を感じます」と一蹴する。倫理観念の欠落した拝金主義というものがあるなら、犯罪の場を提供しながら民事訴訟の賠償から逃れ続ける2chの西村博之がニコニコ動画の経営に取締役として参加していたのは偶然ではない。川上は宮崎に説教を受けて直後、ツイッター上でオタク批評家の東浩紀あいてに論争を吹っ掛けたその内容は文理という旧帝大の便宜的入試区分に基づいた、人文学への侮辱と、自然学への過度の狂信だった。単なる物理現象としての自然学と社会における人間を知る人文学の意義の違いを知らないのは、まさに無知を知らないという意味において、哲学的に無知なのである。自然科学の発展は反証をのみその批判的基礎とするまで真偽命題の確定について洗練され、現時点の基礎科学では、いかなる命題へも懐疑的であり続けることこそが自然学の貢献しうる最大の知的栄耀なのだろう。
 IT起業家の一部は、情報技術と新興市場における暴利を目指した成金稼業を結合させてきたに過ぎない。当然のごとく社会科学や哲学といった道徳の完成に向かう前頭前野が未熟なまま、社会人として一応とはいえ成立してしまったし、子供まで産んで同様の不道徳な行動をしつけていくこともある。それが現代社会の悲喜劇なのだ。
 最も不幸で恵まれない立場にある個人が、最も幸福になるよう全力で支援される世間が、すなわち生きるに値する社会だ。この様な動機を生むのは道徳や倫理とよばれる或る知能の働きに他ならない。その脳部位は現時点では前頭葉あたりにあると知れてきた。学習とは過去にえられたなんらかの情報を、おもとして脳細胞が記憶することよる言行の適応といえるが、学問として体系化された分類でこの学習内容をいえば、数学をその部分としてもつ自然学は、社会学をその部分としてもつ人文学に含まれる。いいかえると、物理は倫理の基礎であり、倫理は物理をその部分として含んでいる。いわゆるphysics(自然学、形而下学、物理)とmetaphysics(後自然学(meta-、後-)、形而上学、倫理)という議論で、先ず自然一切があって、その上に自然を利用したある人間社会が築かれているのだ。福沢諭吉は『文明論之概略』の中で「先ず物ありて後に倫あり」という言葉でこの学習順序が逆行しえないことを強調しているが、古代ギリシアのアリストテレスがとうにそのことを『形而上学』など一連の講義録内で述べていた。N高校で教育事業にのりだした川上だが、文科省や日本国内の大学関係者にさえ私が今述べた程度の哲学的基礎をもつ人物はほとんどいなかった事は明らかであり、つまりは日本のアカデミシャンは蛸壺化した旧帝大イデオロギーに縛られ続けてきたほど愚劣で浅学なわけだが、そのうち理学が商業と結合するにしたがって、理科学者らの一部に理系の文系への優越などというガラパゴス島国根性のなかでも最も奇形的な、入試制度を学問の一般的分類と混同するような誠に滑稽な言動をこのイデオロギーはさせてきている。立場上この様な人間が多少あれ跋扈する組織内で金を稼いできた新知事に、よしんば標準以上の学問的基礎があっても、あるいはなくとも、行政ふくむ政治が財政上の基本役割として比較劣位にある民の利益を最大化する事、つまり調整的正義の分野であるという第一公徳を必要とするのは明白である。
 大井川氏の選挙期間中の言動には、財政上の予算を成果をあげている事業者に優先配分すべし、という単純に成果・能力主義的な意見がみられた。金儲け以外の分野に何らかの有能性を発揮する人なり、そもそも全てにおいて無能だが生命という存在そのものにおいて生存価値がある様な人、或いは多少あれ有害でしかないが死刑に処するには慈悲に欠けると考えられるような人が、即ち無数の遺伝変異や成育歴が、殆ど確率的に等分布で、人の数だけ多様化していくのが社会なのだ。それらすべての人々から徴税しながら全体に責任を持つ行政は、単に金儲けできないかしたがらない個人をきりすて首にして死なせていいような、無責任な民間の一営利企業ではないのだ。全体の奉仕者は、単に成果をあげられる2割の商人だけではない、8割の県民に、わけても恵まれない貧困層に最善の政治を行う義務がある。累進課税があったとしても、政治関係者の日々の食い扶持でもある徴税の痛みが最大なのは、大金を納税する有り余った富の持ち主の側ではなく、その貧困者の方なのだから。貧者の一灯のわけあたえる己への痛みと相手への慈しみは、富者が支払う殆ど己に痛みのない額か、多かれ少なかれ何らかの功利的営利性に基づく大金の一部より尊い。この質的価値判断は、その世間の平均生活費の可処分所得に対する個々人についての割合という数理的に厳密な面だけではなく、場合に応じた愛民的な調整観念のもとに適切な比率を理解できる柔軟で人間的な裁量能力である。それは道徳感情とアダム・スミスによって呼ばれた面を持つし、統計的な数値や不確定な場合も含めた何らかの法則で構成されるわけではないのである。
[PR]

# by smartestone | 2017-09-15 08:17 | 政治 | Trackback | Comments(0)

市立図書館の貸し出し点数未制限など

 北茨城市立図書館は笠間市立図書館を参考に、貸出点数の未制限をとりいれるべきだ。また開館時間中の返却時に、受付時間を節約するべく、ポストからの返却を主に推奨するべきである。
 市民向けに書籍や視聴覚メディアのリクエストを募り、一定の枠でそのメディアを購入するべきである。

[PR]

# by smartestone | 2017-09-13 22:42 | 政治 | Trackback | Comments(0)

茨城県遺伝子くみかえ作物禁止条例

 東京都民は農協を敵視し、株式会社による効率化への狂信を、なんの実証的裏づけもなくマスコミを通して流布している。堤未果による『(株)貧困大国アメリカ』等の著書群に明らかなよう、実際に農業を多国籍資本に支配させた末にやってくるのは、遺伝子組み換え食品による最低品質で最安価な作物での不健全な農産物の市場寡占と、そこから搾取をする海外資本家が家畜化した消費者集団、つまり単なる集団極貧下に家畜化された都民でしかない。都民は小売業者やサービス業者といった商人が過半である為、農工業に関する第一次・第二次生産の内容についてほぼ完全に無知だ。そして都民は常に、大格差のある大都市生活下で富裕層の贅沢に嫉妬し続けるという悪生存環境下での過剰な利益率選好性と、現に過当競争下にあるサービス業中毒でもあるから、産業知を得ようとも恐らく永遠に思わないだろう。この意味で、自給率が1%しかない東京都民や2%しかない神奈川県民、これら商業地域の大多数を占める中流以下の貧困層は、今後高品質な茨城県の農作物の輸出先として相応しくないと考えるべきで、安倍政権のTPP詐欺に乗って最低品質かつ最安価な遺伝子くみかえされたごみ作物を、モンサント社に寡占された海外農場から買い漁って資本麻薬漬けになりながら、人工的でまずい食事を自画自賛して健康を致命的に害する方が、人類の公益の為の反面教師として望ましいと信じられる。仮にどれほど啓蒙し、どれほど啓発しても、資本主義狂信集団としての東横衆愚が、株式会社に社畜化されてしか生活し得ない限り、自らの不徳を反省する可能性は皆無だからだ。しかもそれは東京圏で、東京都民や横浜市民(東横人)らが食料の都外・県外輸入にほぼ100%依存している生態の奇形的な偏向によって、食事を作った生産者や自然のもっている健全性に感謝する事を忘れ、株式資本主義の本質にある客・労働者搾取の悪意を消費者への善意と誤解しながら狂信し、農協の協同組合主義的な互恵共同体における非搾取的な基礎理念を理解していなかった彼らの無知と暗愚の自業自得である。
 茨城県議は遺伝子くみかえ作物禁止条例を採択し、県内の農業が特定の外資あるいは特定企業に寡占される最悪の状況を未然防止しつつ、県内で食される県産農作物の安全と高品質、そして県内農業市場の健全な競争性が飽くまで維持されるよう農政を図るべきだ。また、そうして保った高品質な食料を卸す最大の消費市場として、東京圏ではなく、茨城県民自体の人口をそれ以上にふやすべきなのである。この時に最も有効なのは、県内の最大都市である水戸に人口増大の傾向を持つサービス業(ICT関連のインターネット・サービス業を含む)を集積させそれらへの交通網を県内各所と最短移動距離でつなぐ事だ。この時、つくばエクスプレスを通じての東京圏との交通利便性は、電車網を含めて、可能な限り断絶するべきだ。東京圏から水戸への人口の流れが確保された時点でつくばエクスプレスの延伸を図るべきなのであり、それ以前に東京圏交通網を整備する事は自殺行為というしかない。東京圏からつくばへの人口移動が過剰になった時点で、更に水戸側に延伸を図るという逼迫した必要需要が発生する以前には、茨城空港と水戸、そして水戸と県西、県北、鹿行、県南の各地、そしていわき、郡山、宇都宮、或いはさいたま市、そして水戸以下の人口規模の各海外都市との接続性の方が考慮されるべきである。

[PR]

# by smartestone | 2017-09-13 01:26 | 政治 | Trackback | Comments(0)