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冷静なことづて

ケンサクよけに暗号表記みたいにするけど、イバクー(某えあぽーと)はまじで「低価格路線専業戦略」で勝てる。これはかもめの目にはまちがいないはなしですよ。国内にそういうライバルいないんだから、首都圏への足まわりだけちょこっと工夫しとけば、大半がそっから行き来する未来は当然きそうだ。
おそらくちばみたいに大々的新線とおすなんて現実的じゃないし、利用者が完璧以上にみこめてなければやらんでいい。高速バスで十分。これからさきゆきの明るいえあぽーとなのはうたがえない。やはり県政の賢慮にはいつもながら頭が下がる思いをかもめながらしております。

よのなかは「経済的にうごく」。このことをよくよく認識したらいい。したらいいってかそれしかないわけで、もっとも安いルートをつかわないとしたらそのひとは損をしているわけで、競争ではまけてしまう。
びるげいつがえこのみーくらすでマック好きというのは本当に考えるべき案件だ。市の役員さんにもこれはほんとうに身にしみてほしいとおもいます。おかねはつかっちゃえばなくなっちゃうものだ。そしてわれわれの働きからしかおかねは生まれない。

いまはその戦略的価値がぜんぜん理解されてないってかマスコミの衆愚なあおりがつよくてみんな悟ってないが、あれはほんとうにいいのをつくった。(たてものもそういう感じでできてるから長持ちできるよう大事に使ってほしいし、拡張もあのジャマしてるおじいさんのまごさんあたりが平和利用を口実に折れてくれれば可能性がある。)
ぼく的にはひたちつながりでイギリスのえるしーしーおもっき狙ったらいい結果がでると思っている。
で役員その他も出入りしやすくなるし、縁がちかづくので結果は上々なはずだ。ヨーロッパへゆくのにイギリス経由でいけばいい。無論新型ゆーろすたーでドーバー海峡乗ってね。これは最高でないか。このことを県政の幹部さんは、あわてないで着実に計画実行してもらいたいです。アジアへ照準する方針は、試行錯誤としてはいいが将来性はどうか。
あまり知識のない観光客かある種の産業従事者に親しんでもいい結果にゃならぬ。実際そういうひとがどうもみてると、水戸あたりにはときどき見かけるというかふえてきた。

 ぼくは偕楽園にきてた中国人の家族連れを一回見た。あれはやはり勉強してからきてるようで、ほかのとは違うだけ行儀がよかったし、やはり孝の本場だけにお爺様をお連れであった。しかし梅の咲く季節にきてくださればもっとよかった。そういうPRは梅親善大使にまかせたい。
なるほど斉昭ころからずっと縁があったわけだ。そういうわけで、将来性をみこせばできるだけツクバとけんぶりっじラインを最重要視してほしいと思っている。かならずいい結果が、遠い将来にわたって出るだろう。やはり大英帝国の余波はわれわれにとってプラスなのだから。
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by smartestone | 2010-06-30 15:36 | 政治論 | Trackback | Comments(0)

タバ高生の思案

 またまたタバコ高生。しかも今度はまた群れがふえて、10人近く団体で来た。関東の最もわるいところを集積したみたいに、わるさをするのに群れればこわくないとおもっているのか。

しかもおどろくなかれ、平日昼の11時。あきらかに単位制をサボり用に勘違いしている。キタコー級の最底辺高校生がくるというレベルをよく考えずに単位制なんか導入した市(その当人をつきとめねば)の教育方針の誤り方、はなはだしい。

 褒めるところを見つけて褒めてやるのが生徒を伸ばすコツだというのはだれもが知ってる。どんないきものでも褒められれば嬉しがり、好循環に入る。ところが以前はましだったという記憶しかまちびとにのこさない高校とはこれいかに。

これだけ書いてもちっとも効かないし、中郷の某事件も公判のとりあえずの結果が出たみたいだが、ああいう高校生がそのまま親になれば十二分に予想できる事件で、いまの時点でもおそろしい話だ。高校で勉強せず、大学にも行かない(学力と意欲の両面から行けない可能性が濃厚。郷英高の進路ホムペ参照)のだからこれはもうなんも言えない。

 前から書いているが、「教員の総いれかえ」は原則として市政の方針だとカモメは思う。生徒はいれかえられない。少子化の煽りで試験なしに入ってきてしまうわけで、追い出すにも少年院か珍走団しか受け入れ手がない社会状態ではもう非行しかしえない。
小人閑居して不善を為すとはこのことで、中郷上桜井あたりの開発された商業地帯が山ほどあるのだからこれは教育効果どころか非行誘因効果しかないのだ。ゲーセン建ってないのがまだ救いだが、18になれば100%パチンコに居るのはきまった進路というわけ。
驚くべきことなのだが、本屋に教養書のコーナーがほぼ皆無なわけで、あのレベルの高校生がわざわざ図書館へ勉強しにいくなど期待する方がおかしい。つまりほっときゃ学力上位層と比べて頭の中身はどんどんわるくなるとしか見えない。そりゃそうだ。必死で勉学しまくってる青少年が山ほどいる地区も、このしまぐにの中でもいくらでもある。そういう世界をちっとも見たことがない井の中の蛙なのだろう。

一つの頼みは、なんもしらん高1が入学直後に筑波大か東北大あたりの近場で最上位級の学力のある地区を研修旅行へつれまわすことではないか? それで見たこともない進路に目がひらかれるという希な望みがある。で茨大か茨キリ(女はこっちをえらぶ確率が高いだろうから)と連携してときどき大学院の研究室見学会に強制でつれまわす。
これでも万に一の開眼かもしれないが何もしないで抛っておけば、今までどおり橋の下でいちゃつくことしかできないほどなにもしらない人たちなのだからそうするほか。

 ぼくが唯一心残りなのは、磯高生の中でも一部いるまじめそうな子らだ。あのどうしようもないタバ高生はもう体育会教員が家まで電話しておしかけ熱血指導とかそういう有体のヤンキードラマみたいな方法でしか救えないから相手にできないのだが(セットになったミニスカ高生ふくむ)、まじめそうに大学入試に向けてこつこつやってるのは本当に本当にかわいそうだ。
ああいうタバ高生は学校に来ない方がありがたいとすら感じるほど多分迷惑千万ではないだろうか? 無関係のぼくですらそう感じるのだから。いつも大声で騒いだり、群れてろくでもないことしたり、女をからかったりしている連中のなかで集中力いる勉学など並大抵の神経の図太さじゃできない。しかし継続して勉学してほしい。彼らしか純粋市卒の選良はありえない。だから、彼らができるかぎりあいつらタバ高生をひきはなすというか、どう考えてもタバ高生が結果に恥じ入るような大きな結果を残して欲しい。これが第三者かもめの心からの願いだ。そのためにはまちびととしてできる最大の工夫をする。
 帰宅部どころか単位サボりとは。もう寸分の許しも与えられない。彼らの年齢で勉強の習慣がつけられねば、一生はまじで最低の次元で進むというのをなんとか理解させてやるべきだ。上には上がある。下を向いてはいけない。かれらの下は、刑務所しかない。
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by smartestone | 2010-06-30 12:45 | 経済論 | Trackback | Comments(0)

またイジメ

ぎふの女の中学生がはだかんぼの同級生女の写真をイジメ送信で少年院送りみたいなニュースみた。けど、じぶんがこの地域で育った感想をいえばこんなのこのあたりでも普通にやってるがみつかってないだけだと確信する。きたいばにイジメというのはもう完璧にありまくったし、それは馬鹿すぎる教師が半分くらい煽ってるのだ。ターゲットを教室で規定するみたいな、「この人はおかしいですね、みなさん」みたいな空気とか平気でつくるし、中学ともなれば教室裁判みたいな事態へ発展させて公開処刑とかしてた。絶望的にクソな学校で、教師があれなので誰にも相談できなかった。このへんの親は狂信者みたいなもんで、教師=聖職みたいな古代幻想をひきずってるから手に負えない。

要は「チクり相談所」みたいのを、メアドでもいいから市がもっとくべきだと思う。で、めっちゃ周知しまくる。現状では私の提案とかいかにも相談するには手軽じゃなさすぎる手段しかなく、もっといえば目安箱の方が重要なわけだ。俳句ポストはこの問題へは風流すぎて使えないだろう。
そういうあきらかなチクり奨励策がなければ隠蔽しかしない市民性だ。逆にいえばムリにでもチクりまくること、たとえば市の広報へ投稿する、あるいはじょいふるとかああいう市報系の情報誌へ寄稿しまくる、実際子どもがどれだけそういう判断力あるかったらほぼ足りないだろうから、その場合は親へチクって事態を解決した実例をおおやけにほめて、チクればチクるほど世の中は良くなるのだという事例へするしかない。
しかしそうなったらそうなったで、特にこのへんの土着した子ども系の女はまちがった使い方をするだろう。これも自分が地域のニンゲンを長く観察してきたから予想できるが、たとえば無知のあまり本来はすぐれた業績をわざとわるく言うとかそういう悪用もばんばん起こるはずだ。
具体的には重要な訴訟を準備している誰かの家庭の機密情報をもらして事前に正しい行いをわるくわるく言ってつぶそうとするとかね。しかしそういうのは情報漏洩と言うし、プライバシーの侵害と言い、立派な犯罪だ。要は「何もしないよりは、サイアク中のサイアクの事態を避けれる可能性が上がる」点でしか推奨できない。だからそういうチクり相談所へ置くのは、最低でも市外、できれば県外の有識者(法律の知識とカウンセリング系心理学の資格があるような)をもちいるべきだ。そうでないとこの人物すら悪意をさとれないというか、きたいば的偏見を平気でつづける危険性が高い。特にこのへんの教養のきの字もないうえ気が荒いだけのどうしようもないイバ女か、水戸くさい簡単な刺激で怒りまくる冷静さの足りない県民性をせおった年長の男性。この二者をゼッタイにそういうたちばへ置いてはいけない。置けば悲劇だ。
 教員募集のラフさはもうなにを言っても市の教育関連職員が阿呆なら救えないというか、ああいうイジメ先導をしている教師が現に現役で市内の学校でめしをくってるわけで、これはもう本当に絶望するしかない。だからここいらのクソすぎる学校へ行くな、行く奴は覚悟しろというのは当然で、あとはどう市の教育委員会を責めて責めて責めまくり降伏させるかしか道はない。どれだけ責めても責めすぎはない。必ず言い訳、校内犯罪の隠蔽、かつ言い逃れが末路だ。それがこのクニのもとの教育体質で、ひどい場合は教師集団自身がみつからないような暴力をふるって(あるいは最低でも暴言での生徒脅しで)状況を悪化させたがる。実際、自分が体験してきたとおり弱い立場の生徒へは暴力で物をいわせていたのだからこれは間違いない。
水戸黄門のみすぎで暴力を肯定しており、土台あたまがおかしいのだ。まったく救えない場合は教員を裁判所へ訴えるしかないし、やはりこの地域ではそうしてのみイジメは最終的解決にいたるはずだ。
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by smartestone | 2010-06-29 21:59 | 政治論 | Trackback | Comments(0)

田園のまちづくり計略

あれだけの田園面積がさっさと売りに出されたわけは、その方が儲かりそうだからというにすぎない。要は農業の方が儲かればヒトは単純でそっちをやる。つまり中心市街でもなけりゃ田園地帯の方が市の景観でも情趣面でもいいというなら、民主的な市政の工夫でそっちのが儲かるように誘導するしかない。この手は早い方がいいとみた。
どうせ潰れれば荒地になってかえってすべてがわるくなるので、今後も車道沿いの農家が目先だけみて資本家に売る=実質では田園が乱開発でつぶされる可能性が高い。しかも数年で潰れるのは目に見える。国道沿い、中心市街地でも同じ現象が起きたのだから当然予想内だ。飽きればなんの留保もなしに打ち捨てられ、ただの薄汚れた救えない荒地が残される。
まるでこの世知辛すぎる半開社会での、どいなか底辺ミニスカorタバコ高生の端から終ってる末路の様だがそれはいうまい(言っている)。ま、居直って勉強をつづけてくれれば希望もあるはずだ。まれなのぞみと書いて希望。

で、農業でこの辺が儲かるためには一つしか道はなく、それは産直ブランド化だ。しかもそれには筑波とか、茨大農学部がすでにある土浦とか、ああいう高い化け学技術系の発展が約束されてる土地でもいまんとこないから、追い着き追い越すには「めずらしい品種」を育てるしかない。技術は平凡かもだが目の付け所が違う、という意味でのブランド化しかないというわけだ。
ガラス工房とかいうのもそういう地域性というか、こまやかな自然環境のせいで美意識がするどい点を活かしていこうという姿勢がみうけられる。というかそれしか今んとこ発展のための手段もなにもないのだ。磯高は下限がひどいのでたまたま入った秀才は大変だろうが、大抵の大秀才は周辺の別の進学校から都心へ出てってしまうので、やからにでも分る品種改良をみちびくしかない。だから高度な技術よりは、趣味のよさに懸けるしか今のところはない。

 産直というのは、常磐自動車道一本で運ぶにも福島浜どおりから県央と西は栃木までが限度だろう。こないだあおもりの出稼ぎの方がきてたと書いたが、あれは遠出すぎてこの辺の雰囲気が理解できてない感じが失敗っぽかった。梅雨に手作りリンゴjuice売ろうってのが、スーパー間の競争が少ない地域との理由差でもある。
つまりはキタイバの農協がめずらしい品種がありますよ、という売り方でいきのこるのが妥当。市のホムペにあやめを減反でも植えましたという利口な記事が載ってたが、そういうことでしょう。高萩駅前みたいなのが想定内の末路。それ以前にあれらの将来の荒地へどうやって気候に合った特別な品種を育てられるかが優先事項。生花でも当然いいだろうし、なにかバイオマスみたいな分野へ投入する雑穀でもありえる。

とにかく身近に高級な化学農法みたいな知識をもってきてくれる機関が今あるでもないわけで、いわきでは一部にみられる大規模ハウス栽培の導入とかを煽るのも、多分農地面積でいえばいわきや県央以南よりずっと不利なのでありえない。狭い面積ゆえかえって繊細な育て方ができましたみたいな焦点を狙うしかないと見る。

 どうも近代の市史の方角としては美術・芸術関係者が来る機会が多い土地柄みたいだし、転作系なら生花市場をねらうのが理にかなうのではないか。
それならまさに田園としか言えないわけで、咲いてる状態でも綺麗なので、画家も詩人にも大うけなのはまちがいなく、情操教育というもっぱらの磯高生への課題にも合致する。
(ま、花咲いてるだけでは話にならないがなにも咲いてないよりは蜂や蝶みたいなものでましに感じるかも。それならおはなしにならん犬じゃねーんだぞな抱きつき如きを人前で誇示されてもかなわん話なので、詩やら曲やらの一つも高校生の分際でつくりだす確率があるわけ。)
むしろ公園と兼ねてその共有地化した農園内に入るにちょっとした入場料(百円とか。年間パス千円とか)とって常駐管理するとかね。
そういう場所もひたちなか海浜公園の改良バージョンだが、どっかにはありそうなものだ。そうすりゃ開発前提の中心市街地への、遠出客のついでの回遊効果も十分ある。つまり生花市場を兼ねて、ああいう田園地帯をなんらかの広域な構想で守ってく方がいい気がする。

もしほっとけばあのへん高層住宅とか乱立しかねないし、そうなったら日立あたりの山あいみたいなのと変わりなくなってきて、この辺の独自さが保てない。
つーかもともとの考えが綺麗なので自慢できるところを伸ばそうって話だから、このへんを先々に超大都市の仙台超え一大都会にしちゃいたい人には話が通じないかもしんないが、それならそれでどうやって港町系の横浜や神戸や上海のあの規模に勝つかって話だがまるっきり大幅に遅れてしまってるし、人口比の将来予測からしてもよほどの天変地異がなけりゃそれはありえないし、個人的にも嫌。人口がふえれば、今でさえもっと生活排水浄化で川とか海辺をキレイにしたいのにますます汚くなるわけだから。

 育てる品種としてははじめはもとここいらの山奥に群生してた水芭蕉、あやめ、あかねからはじまって菖蒲、かきつばた、或いは市の花のしゃくなげ、或いは県花のバラでこういうのを豊富なイギリス或いは市でつながりあるニュージーランドあたりからえりすぐりでもらってきて(もちろん強壮すぎる外来種は比弱な在来種を駆逐しがちだから、最大限の慎重さと事前研究を前提にして)、いずれは独自品種の確立をめざして徐々に交配の知識へ進む、というこの辺りではないか? 
よくみればいろんな花が咲いてる市なので、海・山・川のコーナーみたいにすれば単にとってきて植えただけでもとても多彩に見えるだろうし、実際におどろくほど多彩なのだ。もともと群生してたのは、ここいらの気候で合ってるから生えてたのだと思う。だからそれをきっかけにするのが賢い。
それとも大昔に誰かがわざわざ植えたということもないのだろうけど。誰かがこういう将来を見越してあそこまで種を持ってったのだろうか? かもめが。という。
 あと滋賀のどっかの女性の市長がいるところで菜種の栽培でバイオマス発電やってたから、「輪作」というアイデアをとりいれれば、いちねんじゅう咲かねばならんもんじゃないのが世阿弥もいう花というものなので「有閑期に菜種」はありだと思う。それで市のエネルギーくらいはタダ同然でまかなえる話にこれからまちが縮小すれば、なると思う。循環型という市の計画にもあってるし。

 が、生花市場にもライバルな既得権が千葉の南房総はじめ結構いるわけで、相当戦略的・計略的というか巧妙にやらないと失敗しておわりだ。市でやるならそれは市民全員に責任かかってくる話で、農協へあらましだけ提案しておわりのが気楽かも。
おもっき市営でやろうとすると、経営的にはほぼ百パー失敗する。甘えるから。つまり必ず経営そのものは、株保有権をのぞいて委託でやらないとゼッタイ長くは続かないはず。青少年の家も経営がうまく行かずに潰れてしまったわけで、これは予言できる。
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by smartestone | 2010-06-28 11:38 | 政治論 | Trackback | Comments(0)

とことこ歩きまくる子どもについての素朴な疑問

サッカー選手を生み出したいなら話は幾分別だろうが、選択の余地と考えても、市域の小中高生の知性の底上げにはスクールバスを導入してはどうだろう? 変な話だが、市役所まで大人はバス・自動車通してるのに学校まで子供は徒歩・チャリ通というのは不気味だ。
子供の足腰をそんなに鍛えまくってどうしたい? 一流サッカー選手の育成用だとしたら、サッカー・ラグビー場を中心市街から遠いあんな高台(子どもの足では放課後通えないだろう。旧磯原とか大日本地区に住んでなきゃ往復で数時間消える)につくるのも疑問だし、そういう意図もないと見た。単にだれもおもいつかなかったのだろう。

ダーウィンのいうとおり、一つの器官へ費やされる栄養が別の器官に転用されてこそ系統的進化が起きる。だから仙台都市圏で大学直通の地下鉄通しますというのは賢いのだ。サッカー選手になりたいやつ、なれそうなやつだけチャリ・徒歩通すればいい話でなるはずもなれるはずもないやつらに無駄に歩かせるのは拷問以外のなんでもない。
あたま固まったナチズム市というなら話は別かもしれないが、そういう意図もない。やはり他の地域を見たことがないから土着陣にはおもいつかなかったというか、自分らが子供へ拷問してるのをきづいてなかったのだ。かもめは飛ぶのに、なぜニンゲンはあれほど歩きまくらせるのかなと空からみてて思ったが、そういうわけがあったのだ。

さっさと家かえるなり塾いくなりして通学時間を節減した方がずっと利口だ。どうもまちを見るかぎり、今から繁栄できそうなのは(入ってる生徒数の少なさ、というか家計の恵まれ方の割には複数あたらしい店舗ができてるからだが)塾の商売だ。だからそれへ逆らうしくみはなくす方が市の発展のため。

 あとついでにおもったが、雨情の里スポーツ広場までの往復バスを週末には一本流すくらいはしてもいいきがする。市域の中学生・高校生あたりならそれであちこちから休日一日リクリエーションに割けるというか、行こうとおもえば彼らだけで行ける様にしとけばいい。
どっか近場のゲーセン行く、とかワ○×ー△ーでくだらんマンガ読ませるよりは有益だし、いなか紳士らしい健全性という意味でましではないだろうか。つーかもうあるのだろうか? 
周知の不足もあるのか個人的にはしらない。広場があっても利用されないままならなにもないのと同じ様なものだ。わざと遠ざけたいというか、わたくし市民どもなぞに使用させすぎるとよごれるという大層な勘定なのかもだけど、それはイジワルというものでは。
(↑これ書いてからおもったが、採算からして日立電鉄としてはムリくさいから通ってないと考えられ、ならタクシー券を市がバウチャー化して希望者に格安で売ればどうか。そういうのも宣伝下手な市っぽいから周知しにくいだろうから、市報のあとはもっとも人通りの多い磯原駅の出入り口とかに目立つように置いとくのがいいだろう。自販機がムリなら郵送で送るための封筒か、そこいらだ。)
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by smartestone | 2010-06-28 06:17 | 政治論 | Trackback | Comments(0)

おかなしな話なので

かもめ界も大変だなとおもわれるでしょうが、きのうのつづき。

 きたいば的な民営ビジョンとしておもうに、やはり学術先進田園都市みたいなものが目標だと思う。仙台を抜くというのは出し抜くやつらを出し抜くことなので、ある種の成果で最先端に立ってしまう。
 西日本の果ての山口県という場所がある。昔は長州といわれてた場所だ。そこは維新のころイギリスと関わったので、かなり先鋭な文化を盗めた。スコットランドまで秘密裏に藩士を留学させてたりね。が、ぼくかもめの目でいえば、山口と張れみたいなのはない気がする。
文化の構成が違いすぎ、目指すべき地点も違う。毛利元就の時代から、山口付近は「反幕府」という姿勢で貫かれてる。その辺がもうわれわれとはとても違うので、これは決定的に将来像も違うはずだ。

より詳細にいえば徳川方と秀吉方では文化面でも大きく違ってしまった。大坂に根城があった人物と、三河出の江戸住まいでは影響を与えやすい地域も東西に分かれた。で、やはりわれわれは(というよりか、かもめの一匹は)秀吉文化に親しんできてないのでどうも考え方が違う。反幕府というのも実感がないのがその証拠だろう。中にはそういう人もいるだろうけど。

 結論からいうと、歴史の流れからすると幕権を、つまり当時の実質的政権を尊ぶのは当然に思える。だからライバルはその流れの中にいるので、長期的には山口はライバルでない。遠すぎる上、文化が目指している地点が違いすぎる。東京に負けるなという意味がよく分らないし、勝つ動機づけも土地の歴史には特にあるでもない。
強いていえば佐竹減封とかだがそれは徳川家のあらたな伝統でうちけされている。つまり単なる伊達にゃあ負けてられねえという気持ちは湧きやすいが、徳川打倒というのはよく分らん。いいじゃんとすら思うし。関西から遠いので京都文化に親しんでないのが地域の特徴で、国際化にあたっても特別な利点な訳だ。

その意味で、今は素朴路線でやってるがやはり首都圏に近いだけに永遠に素朴一本でやってけるとはいいきれないだろう。本当の素朴(というか未開)とはムラの外のことは何も知らないわけで、テレビみてる以上はその影響下に入ってしまう。
普通に駅前まで多摩や横浜から旅人か誰か(善人悪人含む)が来れる地点にあるのだし、いくら鄙びた世界にしようと思っても平気で入ってこられるほど交通方法が開放されてる以上ムリだ。交通の用地になりやすい海辺の土地とはそういうものだし、ある意味で地元人にされている天心からして中央美術界の人物だったのだから、以前から完璧な鄙社会ではないのだ。

ぼくが言いたいのは、「田園都市でありながら先進化」するのは可能で、それは仙台都市圏のいろんな例を参照しつつ小柄な目立たなさを長所に、巧妙に出し抜くみたいな方法で大体オーケーだろうってこと。
先進の定義によるかもだが、大都市equal先進ではないはずだ。それに商業化equal先進ともいいきれない。まえも書いたが(かもめペンで)、規模じゃなく質をめざせばいいだけ。市域エコバック必須とかはその例。あの都市の規模でそれはしにくいのだ。

 もっぱら重要なのは、どう市民の学問・教養の底上げするかってことだろう。仙台と比べて見劣ってるか、決定的に遅れそうなのは今んとこそこかなって感じだ。他はあまり変わらないし、美術館の出来とか自然自体の綺麗さではずっと勝っている。ぼこぼこビル建てまくったり地下鉄ぼこぼこ通すのはどうなのと思えるくらいの。
 こないだ書いたが(かもめペンで)、放送大学を市庁舎か、又は図書館の自習室・視聴覚室あたりで常時流すくらいはしてもいいのではないか。(内容がわるいものではないので童心つぶすみたいなことにはまずならないはず。そもそもできのいい中高生以上しか興味をもたないだろう。)
首都圏では普通に流しているので、単に地上波では電波がここまで届いてないだけで利用は誰でもできる。どっか関西のガッコが校内で自由閲覧用にながしてた。そんなのやっていいのだ。設備投資費も、もし図書館設置なら簡単なテレビと受信用のアンテナだけだし数十万単位でおしまいだろう。できれば磯高の利口なタイプが利用できるように高校と単位互換で市が協働か相談できれば最善かもしれないが。

放送大学そのものは国が運営主体らしいからあまり潰れるおそれはないが、万一その設備が将来つかえなくなる可能性をかんがえておけば、市庁舎から市内広域まで飛ばすよりは図書館にきてる自習生とかもどうも結構いることだし、そこへ簡単なテレビ器具だけ設けとくほうが合理かも。もしその受信が不可になっても別のつかいかた、たとえば映像資料の閲覧に転用できるだろう。
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by smartestone | 2010-06-27 10:29 | 経済論 | Trackback | Comments(0)

けさおもいついた

カン違いされると困るが、けさ思いついたに、きたいば方針の基本姿勢としては「仙台にマンマーク」してりゃいいのではないか? これは作戦としてはまちがいないと思った。

なんでかっていうと、この辺りって地政的にいわきとひたちの間の圏なのでその両方の文化に影響を受けやすいわけだが、そのどちらも考えようによっては関東圏と東北圏の中間地帯にある。要するに属してるのは名目上も関東だけれど、東北へはどこより目がつけやすい。半分あしをふみいれるかいれないかの要害の地にいると言っていいだろう。
だから雨情の祖父が宿命を背負ったみたいに伝統的にもそうなのだろうが、仙台圏との最北端としての通訳か諜報になる可能性が高い。結論から言うと、関東の戦略としては覇権は持っておきたいわけだから、そのへんはわれわれとしても協力すべきでしょう。
が、われわれ自身の利害からいえば関東に染まりきるのもどうかと感じるふしがどこかにあるはずだ。なにせ半分以上いわきに親しんでるし、商業や観光にもつながりがつよいのは事実で、ある種甘えさせてもらってさえいるので(たとえばいわき市立図書館でもキタイバラキは隣接自治体あつかいしてもらったりしてるわけ。頼んだのでもないだろうに、おそらく好意から)。

ということで、われわれの使命としては自分らとして東北最大の都市な仙台には関東圏の一員として最大限注視せよみたいな所にある気がした。なんでこれを思ったかっていうと、ビジネスホテルアーバンに停まってた車のナンバーが横浜・多摩、で水戸だったから。そんな遠くから何の用事か? いくらなんでもわざわざこの関東の最果てまで。

われわれとして仙台に決して自由にプレイさせなければ関東への貢献は多大なものがあると見た。(その意味で、水戸や東京ふくめわれわれは基本的に関東系の都市とは張らなくていい気がする。張ってもそっち方面の政治・経済界の伸び幅で勝てる確率はほとんどない。
が仙台は大型な相手だが、立地そのものがわれわれきたいばと大変似ており、単に人口が多いだけで前も書いたが「教養の質」みたいな点ではかえって向こうのが不利な条件にある気がする。東北はやはり奥の細道の世界なので、首都圏の情報はほとんど一足遅れてしか入らないのだ。それがわれわれの、都心により近く小回りが利くからずっと有利な点だろう。)
性格として自由にやりたい仙台にとってはその内情や戦法をいつの間にか見透かされるみたいでややこしい相手かもしれんが、地域ごとの競争とは結局そういうものではないか。作戦勝ちが基本だろう。ちょっといわきへ行けばすぐ東北圏の主要情報は手に入るのだから。われわれは仙台へ照準してつねに動向を何歩か先駆けるようにしてれば失敗しないと見た。

どうでもいいことだが、ツバメはとてもかっこいい鳴き方をする。けさ聞いた。あの体格でああ鳴くとは。かもめもちょっとビビるほど鋭い。
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by smartestone | 2010-06-26 08:20 | 経済論 | Trackback | Comments(0)

教員評価制度での解雇促進は必要不可欠です

クソ高生が反省しているふしはまったくない。またつるんでタバコ。つまり学校教員のレベルが最低級なので、生活指導とか言って人前でdisるとかタバコやってるやついるらしいじゃないか!とかほざいて殴る体育教師(←こいつが最もバカなのだが)とか、そのレベルなのはまちがいない。
あの名実共に最底辺高校生なのだから上等で高貴な理屈でなぜ彼らの行いが非行と呼ばれるのかを理解させたりはできない。現状は郷英どころか迷惑高校であろう。まじで。

そこで提案だが、最底辺高のくせに希望実現とかかっこつけて確立した自主性もない年齢層へ単位制度なんか導入してるくらいなんだから同姿勢で当然できるはずだが、ふつう一流以上の大学には必須の「教員評価制度」を導入して出来損ない体育会系のどうしようもない救えない教員をどんどん解雇してったらどうか。そんなの市内の某学校にはどんどん来ててサイアクだった。
理不尽な暴力しかふるえない歪んだ性格の、あと何年勤続してくるか分らんサイアクのやつらだった。なぜあんなのが教員やってるんだ? というのは教員免許がさほど難しい課程でない国側の制度のゆるみがあるうえ、市の雇用基準が教育なめてるというか安っぽすぎるので底辺教師がくるわけ。
で漸次、試みを市内の小中学までは家庭からの評価書提出の義務と、市議会員か情報公開制度での公的閲覧の原則で広げるといい。そうすれば家庭と子供の連携も緊密になり、地域による教師の評価という点で、現状の学内でどんなクソすぎる自称指導の暴力が日常か(自分がそこで育ったのだからよーく分るクソさ加減だ)を、市でもおおやけにしていけるはずだ。
(これ書いてから思ったが、それでも市民平均のああいうミニスカ放置親レベルでは、ある意味で歪んだ評価がでてくる確率が高い。つまり好き嫌いとか。下らんが、それが民というものの本性でもあるのだから、公開市議会以上、市内外のよく選考した有識者と出てきた評価書を洗い出す手間がいるかも。これをしないと理不尽な解雇が今度は起きる気がするが、何もしない現状の喫煙習慣放置高よりはよくなるはずだ。)
新陳代謝が必須。前から書いてるが最底辺高校しかない市を愧じろって話で、修士は前提、普通にイギリス英語(つまり本場というか本家本元)という国際語を母語としており、可能なら博士号自主退学以上の教員を雇用するがいい。ポスドク問題を注意深く観察していれば、たとえば筑波か仙台あたりになぞそんなのいくらでもあまってる。優遇措置など銘うちゃ3秒でできる仕事量でありこれしか子世代以降の市民の生き残りがないという真理が理解できれば容易だろうに。

この平和ぶった未成年犯罪放置(喫煙教唆の罪も法規範内だ)の極悪社会ではその程度の厳しさがなければ、まじで美人副市長あたり(?)に財政牛耳られて終る。歴史の一般論として言って、滅亡する国はこういう形で後宮的位置づけにある女性の権勢でことごとく判断をまちがえて自滅していくのだ。西太后の朝鮮王朝、邪馬台国の卑弥呼、エジプトのクレオパトラ。数え上げればいとまがない。
要するに、近代のアメリカの女性優遇の行きすぎが支配者の性格を要する政治的思考力に向いていない男女同権をひろげてきたので、これに騙された国は確実に落ちぶれる。一体、史上で成功した政治家の何人が女性だったろうか。それは星屑分の砂の中に埋まったダイヤくらい「ほぼゼロ」なのだ。結論からいえばサッチャーしかいないし、あれも単に能動的な施策っつーより以前のイギリス伝統の放任経済へゆりもどしした田中まきこ的気丈婦なので成功といいきれるか疑問だ。思想を要さないので誰でもできたかもしれない。
それが嘘だと思えば磯原海岸であしたじゅう潮干狩りするがいい。その歴史の重層を、単なる遺伝勘定のみならず十分理解した方がいいだろう。おちてるものといってカモメの屍骸であり、それが厳しい自然の掟というものなのだ。かもめは死ぬ。一刻の猶予もない。
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by smartestone | 2010-06-26 00:20 | 政治論 | Trackback | Comments(0)

あるおしえの2

現実にall英語はムリなら、「今後イギリス人教師しか採用しない」というのが現実的かもしれない。(もちろんだれでもいいわけではないでしょうけどね。最低修士以上博士号前提の方がのぞましいわけだが。市レベルでも仙台とかに張るかこえたくば教員の質をそうするしか道がない。)
けっきょく、日本人の英語はあてにならないからもう一回まなびなおす手間がかかる。それでもやらないよりはいいに違いないが。

最近の中国は相手にならんので中国語とかはないし、アメリカ人もどうかとおもうのが多いので、文化教養という意味ではシェークスピアの国からとるしかない。ドイツからとれば茨城との相性としてますますおかしくなる(頭が固まりすぎる)ので、きたいば的にはそうなる。
要は国際公用語としての英語の地位が不動な間は、むかしでいう漢文訓読みたいに英語公用を校内でさかんにやるのが合理的なのであるでしょう。「なのであるでしょう」なんてのはないが。やはりこれもかもめ語なので仕方ない。英語化にこしたことはないのだ。
日本人だから日本語のみというのは漢字なしの日本語で読み書きしな、というのと同じだ。英語ができなければまず海外では通じないので、それは中国圏で漢字しか通じないのと同じである。むずかしくおもえるだろうが、つまり「当時の国際語を憶えよ」って話。教育する前提にね。かもめ語は複雑すぎるのでスルーでいいですがね、二種類しかなきごえなかったりしますし。
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by smartestone | 2010-06-24 11:42 | 経済論 | Trackback | Comments(0)

あるおしえ

これは奇想天外なアイデアにおもえるだろうから市の教育委員長とかには到底いまんとこ通じないだろうが、今後の市の人口がふえる可能性はゼロでしかもへたに行政が手出しして不自然にふえたらふえたで下愚がふえる(本来は社会淘汰か、生活保護いきの層がふえちゃう)わけで、つまり賃金形態上高いレベルにいる稼ぎ手、人口扶養力が減る社会構成は負けである。
以前より貧乏になった人たちが大量にあふれても幸福なおもむきには思われないでしょう。

でそのアイデアの核心は、「市の教育をぜんぶ英語化する」こと。これは価値あるというか、これしかないと思う。ユニクロがけさの毎日新聞系のニュースで発表した内情だが、これは勝ちたければまねるしかない。
負けてもいいじゃんという人は日本語で教育すればいい。しかし、日本人が英語おぼえたからって日本語でなくなるかって、それはない。俳句さえつくれればいいみたいな話である。
書物そのものが日本語で書かれてる間は文語としての日本語は完全には消えないはずだ。話される確率は減るかもしれないが、われわれのいまでいう古語もそうだったのだから文句は言えない。

 要は進学先をつねに海外に見据えること、しかもできたらイギリスの一流大かアメリカのそれ、以上を目指すには英語堪能が大前提で、これには子供のころから英語で囲う教育環境しかありえない。で、市で校内は英語ですという原則で締めたら数人は救い手がでてくるかも。
それすら出ないならこの地域産で文化教養人はあきらめ、天心の場合みたいに他から輸入してくるしかないだろう。冷酷なようだがこれが真実で、あの統合後磯高生では勝つも負けるも勝負にすらなっていないのですよ。笑われるための勝負ならいいところいくだろうが、それすら本場大阪には数で負ける。つまり現状の生徒では(きわめてまれな一部の突然変異をのぞいて)どうしようもないのだ。

『きたいば市内の教育は英語で』。これはできるだけ急いで採用するをえる。カモメからいきのこるには貝すら歩くので、人が歩かねば話にならない。啄ばまれてからではおそい。がおー
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by smartestone | 2010-06-24 11:21 | 経済論 | Trackback | Comments(0)