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海岸線とバイパス

海岸線のバイパス化という計画には問題があって、日立駅のまわりの海岸線へおりていってみればわかるが、コンクリートの巨大な橋脚あしもとの海岸というのはとてもおちつける雰囲気にはならない。荒々しく、海は見えず、排気ガスが漏れてきて、息がつけず、散歩もできず、砂浜は潰れる。しかしそれでも海岸線をバイパス化したいと現市長が述べるのなら、それなりの理由があるのだろうとは思う。もち土建談合以外で。土建国家ジャパンなどだれがいまさらほめあげるであろう? 土建屋のオヤジと息子ほど性格のすぐれない達のわるい出来損ないはいない、と断言してもいいくらいである。

国道の問題点は騒音・排ガス・車通りによる横断不能さにある。これらを解決するにバイパス化が最善かどうか、これは具体案にもよるがよく話し合ってみないといけない。もし地下化とかすると、逆に車の人から海が見えなくなる。かと言って大袈裟なバイパスは繊細な砂浜が台無しになって日立風の荒々しいコンクリ護岸的海岸化するに終る。

 私的意見をいえば、カモメの先見の明というか海岸をみてきた経験則からして、国道と人通りを遠ざけるのが最もいい。もし遠い将来にできるならだが、常磐線そのものをローカル線化すると、人がほとんど入らないからひなびてくる。けっきょく自然景観の保護とは「ひなびさせる」こととequalなのである。それが海岸にとっては理想的だ。
 ただし、いまの常磐道って福澤諭吉が口ぞえしたらしいが土台が国策だし常磐炭鉱なんか明治天皇じきじきに敗戦後最初に計画されたわけで、そう簡単にひなびさせるみちはひらけないし、きたいば一市がひなびさせたがってたっていわきや日立はどうか知れぬ。で、次善の策としては「交通量を高架である高速道路へ(無料化視野に)みちびき、海岸線の主要交通量はJR常磐線オンリーにしていく」ことではないだろうか。
こう言うと国道バイパス化は否定してるみたいだが、計画案が景観と自然環境の繊細さと両立するものなら完全否定ではない。現状のロータリーとかはとてもよくできているし、海が見えるしあれはすぐれていると思うから、ああいう調子ならわるくないものになる可能性もある。

カモメが知っているとある海岸は、絵に出てくるみたいなローカル線しか通っておらず、ほとんど降りる者もおらず、海岸は理想的に綺麗。水が透き通っているのは周囲に人家が少ない証拠で、流れてくるものがなく、穏やかな時にはプールの様でさえある。プールの様というのはおかしいのであり、本当は海はどこもプールよりあれくらい綺麗なのであり、プールはそれを模したものでしかないのがよおくわかる。
「大衆海水浴場」化っていうのは海岸をよごす為にある、ということがこれで理解できる。長浜もそうなるかもしれないし、流されたら火発がとなりにあるので…これもまつりごとの業である。
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by smartestone | 2010-07-31 20:33 | 政治論 | Trackback | Comments(0)

へびのおや

どっどっドウロの みちばたで
てくてくあるいてた へびのおや
とおりにおどりでて へびのおや
ジテンシャきたら へびのおや
びっくりギョウテン のたうった
くさむらさがして のたうった
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by smartestone | 2010-07-31 16:39 | | Trackback | Comments(0)

シャンハイ便はあんまりこのましくない

きたいばのカモメごときが口を出すのはおこがましいが、参考になるならということで進言すると、イバクーはイングランドかホンコンかタイワンの三箇所としかLCC空港つながりする意味がないと思う。というのは、いくら外貨獲得ったってひどく文化が低い相手からかねをもうけようったって、そういう低俗商売に反映されるだけで県民生活は壊滅する。ヤマダ電機の青田買いみたいなものだ。もう伏字にする必要すらない。
かねほしさに文化段階の低い相手とつきあう=堕落する、というわけで、かねとひきかえに魂を売るとはこのことなのだ。ま、ボクとしては県政の賢明さには信用をおいてるのでいずれ悟るでしょうけど。

「人はつきあうものに似る」というわけで、よくない相手とは縁を切ったほうがいいほどだ。
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by smartestone | 2010-07-30 19:17 | 政治論 | Trackback | Comments(0)

いわきの穢多さ

いわきエタ市は中高生もがんがん通るみちばたにキタナイのみやの看板を掲げはじめている。気が狂っているのでなければエタ人種としかみえない。どうして市政でそういう産業を撲滅させていこうとしないのだろう? エタには話が通じないのだろうか。

いわきエタ市はどういうつもりで汚い飲み屋の店を大量出店させ、平気なのだろう? 隣で醜悪な習性をみせつけられても嫌悪をこえて差別感しか感じない。いわきエタ市では理性ある人間として最低限度の風紀のとりしまりができないのだろうか。

国法がかえられないから仕方がないというのなら市民運動で撲滅するしかないのだ。東京土民などにしたがってもなにもいい結果にはならない。いわきエタ市はどう責任をとるのだろう。あいつらエタどもは金をもうければ勝手にふえていく。その公共の福祉への流毒が「人畜公害」として我々の市へも悪影響を及ぼすということが想定できないのだろうか?
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by smartestone | 2010-07-30 18:06 | 政治論 | Trackback | Comments(0)

かもめの警告

なぜ公然とうらで景品と現金を交換させている犯罪人格の溜まり場であるパチンコ店の社長が市政に入り込んでいるのだろう?

この市には腐敗以外の名称がないのだろうか?

なぜだれがみてもおかしい公然猥褻物をしかも子どもにすら購買できるかたちで陳列しまくれるのだろう? 刑法を知らない犯罪者ぐるみの市なのだろうか?

 これらは市警のないことに起因する部分も大きいきがする。なぜきたいばには市警がないのだろう。高萩などはぎまろレベルの公家やろうなので少しも相手にできない。公家は信用できない。太平洋戦も戊辰戦もすべて公家の悪業であり、さいごにはいいのがれしきれず自殺するようなクズどもなのだ。

もしこの注意がきこえない程度の阿呆加減なら市政などにすこしもかかわれるはずがない。猶予は置く。この公益に類する警告が理解できないようなら、つまり犯罪者パチンコ屋社長が市政から引退せず猥褻物販売を放置しつづけるようなら…そのときはかもめテロ(人のではない)でもなんでもやるしかない。

話し合いにならない犯罪者集団の支配は「革命権」の行使必然さに該当している(日本国憲法第12条「~自由及び権利は国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない~」)。その革命による市政の覆しと乗っ取りは民主法の原則のみならず世界人権宣言で永久に擁護される。
(世界人権宣言第29条「すべて人は、自己の権利及び自由を行使するに当たっては、他人の権利及び自由の正当な承認及び尊重を保障すること並びに民主的社会における道徳、公の秩序及び一般の福祉の正当な要求を満たすことをもっぱら目的として法律によって定められた制限にのみ服する。」=つまり世界人権宣言の受諾国民は法秩序に服さねばならない。)
抵抗権は三権分立以前の権利の主張だというやわっちい批判があるが、これは違う。三権分立そのものが現状の様に機能しなくなった時点でそのしくみ自体を『公共の福祉』の為に抵抗によってくつがえす必要がある。まともな議員が議会前に暗室の全員協議会とやらで意見発表の自由を事実上牛耳られている以上これは外部から革命を行うしかありえないのだ。

でかもめの特攻(飽くまで人ではない。しかも何者かが教唆したわけでもない。かもめのカモメ意思による)で市庁舎がボコボコに糞だらけになってもそれはキタイバ人の悪業の因果応報であろう。勿論かもめには人相当の権利はないのでこれはどこからどうみても犯罪ではない、上空をとびまくってなにがわるい?(かもめが。カモメの権利はないのか?) これはまじめな話だ。
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by smartestone | 2010-07-29 22:37 | 政治論 | Trackback | Comments(0)

サブカル市場は去れ

この市の一番の問題は、サブカルチャー市場しかないということだろう。本屋がつぶれ、かわりにできたのは巨大なサブカルの城みたいな量販店。これでは市場としては文化面で終っているに等しい。当然子どもの時代から豊富な高文化にふれてくらせる層に比べればそこから出てくる品種も、育ちのわるさ、商売道徳、低俗さをまぬがれない。

20代前半の親が幼児虐待で逮捕=10年ほど前の市の教育がすでに崩壊していた、ということを冷静に反省してみるがいい。つまりボクがみている「悲惨な文化状況」はあと十年後ほどになって結果になるのだ。そのとき我々が感心することはまずないだろう。低俗人が市から出ました、これは恥と罪でしかない。
だからボクが言うとおり、底辺高校の最も下の層は他の市に追いやる為に徹底迫害を得る。教育の場での積極的おちこぼしもそうだが、市政そのものが制裁措置をたくわえるべきだ。勉強しないならカネをはらって馬鹿の子どもを高校にやる必要などなく、そんな親は淘汰されて消えていけばいい。
サブカル品ばかり売りまくり買いまくる下賎な親子などすこしもほらむべきでないばかりか迫害すればするほどよい。アメリカへ行って日本村みたいな場所であつまって住めば州の支配率に応じては放置されるだろうが、国内でそれをやられると将来世代が絶望的となるので禁忌するしかない。

 美術館だけがいまのところ救いだが、もしキュレーターが下手な交代とかしてサブカル市場におもねりだしたらおしまいだ。そうなったら亡ぼすのにどんな留保もいらない。
 いまのところ市民の教養度が愚劣なのはあの本屋の構成をみれば一目瞭然。まずアダルトコーナー(これはとみに女性向けのものも含む。)をまっさきに潰し、次にくだらなすぎるマンガコーナーを潰すこと。しあげにゲームコーナーを壊滅させる。これが必要だ。マンガにもいいものはある、という意見などはふみつぶしていい。なら図書館がよく内容を考慮した末に購買してみればいい。それならブラックジャックとか作品として完成された古典に限定されるはずだろう。

たよれるのはまだ高貴さも残っていた旧世代の蓄積した資料の幾分かはある図書館だけで、図書館資料を電子化してひろく利用しやすいかたちにまとめることが必要だ。市場にまかせていてもこれは、ほぼ永久におこなわれない。なぜなら版権をもっている過半は、体面だけつくろった下層社会である忌むべき東京にある企業なのだから。
これをしなければ、馬鹿高生とその馬鹿親が買いあさりまくるサブカル品だけで市が埋め尽くされ、教養層がいきのこる余地がどんどんせばまり、市の風紀は下落しつづけるだろう。
中産資本主義経済の限度もこういう場所に見えてくるのではないか。それは衆愚政化にちかづくにしたがって(たとえばなにまろのお隣の市みたいな)全体趣味も商売道徳に染まって高貴さが欠けてくるというところだ。けっきょく『選良議決政治・選良投機経済』はこの面で必須なのだ。つまり最大数の量的幸福だけを目指している限り文化面で決定的に敗退してしまう。

サブカル市場は駆逐されるべきだ。東京文化は否定すべしとはこういうことでもある。善なる影響よりそれをつくる下層の比較多さから悪影響が、総合してみると大きいからだ。私的趣味をいえばイングランド、最低でも水戸に習うべき。知識人層との接点を最大限もつことがいきのこりの鍵となる。このための市政の枠をよく注意深く開け放つのは早すぎることはない。
いまの時点では市場そのものの動向はほとんど終っている。サブカルものだけながれてきてもなにもいい影響はなく、以前よりわるくなるばかりなのを冷静にみわたせねばならない。教養書のみの本屋に子どもをつれてこれる親と、くだらなすぎるワン○ー×ーの下劣サブカル市場づけの親子では結果は育つ以前に決まっている。
は○まろ稼業というおとなりの醜態をみているとこれは一刻もはやくないとこの市はあやうい。世界には「立派なひとたちの市場」もある、ということを文化全域のサブカル化まえに理解したらいい。地上最高品質の科学書が並ぶ本屋に誇りをもつケンブリッジ人も、政治研究書や哲学書がメインの棚につねに据えられているベルリン人もいる。そしてそういう層しかいきのこりの意義はない。きたいば人はエヴァンゲリオン新入荷しました(しかもタイミング遅れて)ではどこへ行こうと笑いものである。最低レベルのサブカル本屋を田園つぶして建たせたことを愧じろ。
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by smartestone | 2010-07-29 13:19 | 経済論 | Trackback | Comments(0)

競争社会は良いことです

いまさっきばつのテレビ番組でおーさかの底辺高校特集みたいのやってた。しかしこれはおもうところあった。

はっきりいってさとったのは、もう底辺高校生ってのは生まれてきた時点で終ってるし負け=淘汰決定だと言っていいだろう。これはいわゆるオトナは言わないだろうけど、ぼくは真実だと思う。「生きているのが考えられない」ようなレベルだし、なにかどっかの山奥の野蛮人を見ている感じで、生後の教育でどうなるってもんでもないはずだ。教室でケショウとか。どこの蛮族だろう。
はっきりいって親同士の遺伝した知能の程度がすでに終ってるというかとても低いので(しかも病気でなく健常状態で)、やはり子どもも知能が低いまま生まれてくるのだ。
 冷酷な様だが2千年後には完全にかれらの生きていた痕跡すらないだろう。人類は知能に特徴のある生態で地上に生存圏をのばしてきたのであり、この流れが変わらない限りは彼らの生存そのものが無駄なのだ。かれらより能率のいい機械がでてきた時点でかれらの命の意味はおわったのだ。
当然人類の中にも遺伝偏差があり、あたまのよしあしは生まれつきでてくるものだろうけど、ぼくが見た限り、これは教育でカバーできる差ともいえないみたいだ。教育にできるのは「いい方の人種をさらにのばす」加速であり、わるい方のヒトたちはもう終ってるというか、選良人種としてはなにをしてもムダ。おーさかのあの底辺高校のフウケイはこれをまざまざと示していた。

 イギリスではあからさまな階級社会が温存されてるので、情報によれば下層の労働者階級の荒れ方がひどいということだ。けど当然そこにはすみわけがある。だから日本ほどひどい混沌が生じることはなく、上層の知識人階級はわりと円滑にくらせる条件がある。
パブリックスクールの王道に入ってしまえばよほどでないと下層労働者のまちへ近寄らねばほとんど見ることすらないだろう。けどそれが賢明というわけで、ゴキブリは見ないですむならそれが最もいい。
 日本がひどいのは、キョウエイ高の話題でも書いたがまったく性格のちがうひとたちがごっちゃになってしまうことだ。この問題は先に手を打っていくほうがいい。おーさか状態になったら地域としても運命のおわりだと考えてまちがいない。あの生徒は親の種ごと絶やさないともうなにを教えても救えない。

だから、ぼくの意見では「宗教」の力を下層の民へはおよぼすのが最も合理的。具体的には現状では世界中でもっともましな宗教だろうプロテスタント系のキリスト教会を設けて、そこへおちこぼれ生徒を通わせるのが最もよい。いばきりにこういうお願いができないものか? 飽くまで法人だから需要がなければ誘致もできないかもしれないけど、宗教者はさすがに慈悲のおしえに尊いのでおちこぼれに冷たくあたることなどありえないし、もしあるなら宗教者ですらない。
そしてそこへ放っても更生できねば即刻逮捕し、牢獄で余生を送らせるのが完全に妥当だ。迷惑をかけられると優秀で未来のある市民の逞しい育成が害される。その被害対策の方が終っている親子よりは優先なのがまちがいない。人種は生まれつき違う、特に知能で違うということをあの光景は教えてくれた。
すぐれた機械のある社会でそういう親子は知能が劣っているほど生まれてくること自体が誤りであり(但し病気でという場合は良心の問題があるのでなんともいいがたいが、健康体の場合)、しかも他者と共存するための宗教心すらないときその現存そのものが害だ。

基本は「競争社会」を維持することにある。もしそれが維持できれば、つまり共産主義とか社会主義とか原理主義とかの保守思想にかぶれずにやっていける限り、ああいう救えない人種がいきのこることはありえない。もしそういういきものが生き残るとしたら人類など存在意義がなかったにひとしい。知能の特段高くない獣などいくらでもいるのだから、ほかの動物類を害してくらしている限りその生態は地球の多様化運動にとって邪魔だから。

もしキョウエイ高の生徒にこの原則をあてはめれば、もうおちこぼれていく生徒を救い上げる努力はやめたらいい。進学型=自由型日程と就職型=スパルタ型日程を分けよとはもう書いたが、それに加えてスパルタ型日程のなかでもっとも低いクラスは余分に定員をとっておいて、つねにわざとおちこぼす優勝劣敗ルールを導入すればどうだろう。これは飛び級があるのだから自然なことだとおもう。
そういう不良は放置したらもっと悪さするだろう、ってはなしは先に書いたようにできるだけ立派な宗教施設が最低限度の安全網でそこで救えねば監獄で暮らさせるべきだ。そうでなけりゃ例によって暴力であたりに迷惑をまきちらす。
おーさか底辺高校をみたらそれが妥当だとわかるだろう。ぼくには衝撃的な映像で光景だった。あれは教育などしても意味がないとまともな人間になら理解できる状態だった。話を聴こうともしてなかった。奴隷の子どもというならわかるが。
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by smartestone | 2010-07-28 19:10 | 経済論 | Trackback | Comments(0)

じもとの商品交換券

じもと商店街の活性化には「北茨城紙幣」というか商品券を発行すればだろう? すればだろうってこともないが。どうときくまでもなく、現金よりは利回りがよくなるとおもう。

現金をつかうのが不安なのなら、それをとりのぞく工夫をすればよく、これは5~15%くらいの利幅(つまりそれだけじもとで使う得)のある商品券と景品やキャッシュバックサービスで交換して、そっちで消費してもらうのがかしこい。かもめデザインを施してくれれば一石二鳥だがそれはいうまい。
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by smartestone | 2010-07-28 05:41 | 経済論 | Trackback | Comments(0)

涼しげな計画

きのうのいばしんの最後のページにものってましたけど、きたいばはやはり涼しい。朝晩とか特に夏とはおもえない。といってもこのあたりにうまれてからしぬまで住んでる分にはきづかない涼しさだ。やはり気化熱での冷涼効果が大きいとみえ、山側ではさほど涼しくないという話です。

で、ぼくがまちのために今もっとも有用だと感じるのは「都市公園」の計画。ひとつのモデルは偕楽園だが、あれもきたいばの自然にかかれば雑だ。

きたいばの特徴として涼しいというのを前面におしだせば、浜辺の延長か川岸の拡幅や開放がいいのかも。水辺ばっかじゃ冬は寒いじゃんという意見へは山があるでしょうといえる。しかし全体とみればイギリスなんかにくらべて日本は暑い国なので、涼しくしようとするのは正解と思う。なにしろ冬は冬で、あおもりあたりみたいな豪雪でもないのでこま雪がふればふったで綺麗なのだから。
とにかく温暖化の時点ではできるだけ水辺を広めてまちを冷涼にするのがかしこい。昔はその点でもコンクリのビルやアスファルトの熱をためやすい路面もなかったうえ川はいまより綺麗だったのであちこちで子どもが泳ぎ涼をとっていた。エアコンがんがんつけて周りにも地球にも迷惑まきちらすのではないこういう世界にも利点はあったのだ。

スーパー堤防(超堤防と訳せ)というアイデアがあり、段々をゆるくするかわりに親水ひろばみたいのを広く設けるということなのだが、あれもいい考えと思う。特に下流の方ではいまでもやろうとおもえばできる。草ボウボウになってる場所をゆるい勾配で川まで降りてけるように少々土をもればいいだけだ。
もと、みとの千羽湖は人工池というか非常飲料をかねて那珂川の迂回でつくったらしいから、こういう考えをひけば磯原のまちなかにも涼みのための流水路やそっから個人宅までひいた池をつくったりできそうなものだ。

もしかすると市の計画で国道バイパス化しようとしてる議論があったのは、海辺ってか浜辺をまちまでつなげようっていう大胆な長期構想があったのかもしれないが、それなら歓迎する。浜辺は涼しいものだ。単に津波だけ景観と矛盾しない堤防の計画で避けれればいい。

 あと地味なはなしですが、路面の熱容量をへらすには白塗りにすると効果があるとどっかできいた。簡単なはなしだが、今後道路を市内、特に中心市街でつくったりなおしたりするときには都市計画課で検討してほしい。
国道交通省の法的規則とかで路面は生アスファルトの黒ときまってるわけではないとおもわれ、たとえば高速でもたまに生コンクリの白がでてくるが、ああいう白色をアスファルトの上に塗るだけでまちは涼しくなる。これがまちがいないことは陽射しのはげしいので有名な地中海の街並みみればいっぱつでわかる。かもめ風にまっしろですから!
なにも磯原・大津あたりの市街部だけ都市計画で白塗りしたからって怒られるなんてありえない。びびってやらないよりはやってみる方がいい。昔はアスファルト舗装道路そのものがなかったのだからあのむしむしと蜃気楼のたかる黒色が伝統というわけでもないので固執する意味はなにもない。
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by smartestone | 2010-07-25 05:02 | 政治論 | Trackback | Comments(0)

川のキレイさ

ポピュリズム(人気政治)にあらがうには、現実にある堅実な話題でできるだけ行政の長に余計な人気とり稼業をさせないこと、つまり「つねに仕事をあてがっておく」必要がある気がする。放っておくとテレビ出演で一人勝ちしたがるのが民主政末期の症状=衆愚政。

で、きたいばでいうと下水道の整備率とかだ。これはひくすぎるのではないか? 要はなかば未処理のコレラ菌とかがへたすると川に流されてないともいえない。

実際花園川についていえば中流にたくさんできてきた新興住宅付近での洗剤のにおいとかひどくなってきた。陥没しているところでは泡が浮いている。浄化槽は単独で浄化能力が十分ではないと思われ、それ以前に川に流す場合もあるのかもわからない。
こういう喫緊かつ長期の課題をなおざりに、豪華すぎる娯楽設備完備とか問題があると思う。あと応援団にもかかれてましたが、耐震改修の遅れはひどすぎる。大地震があれば子どもは死ねと言っているに等しい。こういう堅実な課題はクリアしても自己犠牲しかないとおもうからだろうか、美術館とかなんちゃら施設とかカラクリなんちゃらそういう目立つのにお金つかって人気取りはよくない。

 けっきょく、行政人のモラルとは「自己犠牲」にあると思う。そうしたくなければ行政府に入るべきでもないのだ。まちの基礎ができてないのに上っ面飾ってもなんにもならない。この面では○まろとかまじで切れる。どこに住んでるのかしらないが、なにせまろだ。公家じゃねーんだぞと。ま、どうせ違う市だから放っとくが、人気取りは長期でみればろくなことにならん。川がドロドロでアユ死滅ボウフラ大量繁殖、ヒトはコレラ感染、大地震で子孫ども生き埋め、こういう末路に至りたくなければなんのかのと削減した予算は地味に基礎建設にまずまわすのが道理でないか。

ふつうに暑けりゃ川で遊んでる子どもとかあるていど昔はそこら中にいたわけだが、いまはあまりヒトが近づく様子がないのは行政の怠慢と新規住民の低モラルがあるとおもいます。
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by smartestone | 2010-07-23 09:48 | 政治論 | Trackback | Comments(0)