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ストロー効果ならぬ文化毒見役の注意報

 たかはぎ・いわき・きたいば首長らのかんがえは浅はかだ。誰の発語かしらんがストロー効果とかほざいて、ジョウバンとトーカイドー線の接続でかねが吸い取られることを心配し、あらゆる悪業をかんがえだそうとしている。これはこの三つの市のサイキンやってる「商業主義行政」でだれのめにもあきらかだろう。誘致、誘致、で市民へは足蹴り。これは本当のこと。政治が腐った地域は悪が栄える。これが歴史の真理だ。

政治家のくせにかねもうけ? なら小売店でも開け。なにをかんがえている凡俗極悪の市政なのだろうか? まことにはなしにならない。かもめ界ではもっぱらの悪評である。

公園をつぶし、金網で囲い、田園を売らせ、かねをかきあつめる。そいで市民のまともな意見(光ケーブル事業でのNTT一人勝ち助成なぞより図書館へネット接続端末導入のが先だろとか、さっさと市民運動場開放しろとか)を無視。かわりにかねをかきあつめるための工場誘致。これがこれらのジョウバン三市のアホい意向なのである。なにをかんがえて行政府に入ったのだ?
そんなにかねがほしけりゃさっさと野に降りて商売をはじめろ。ふざけるな。これがかもめ界の尊攘派ではもっぱらの世論。世論てかカモメ論。
行政奉仕、市民への公僕として当然の義務を無視し、利己的に(つまりかね搾り中心に)ふるまう首長ども。これは寡頭政治の末期である。まことに話にならん。しかも清流とか海辺とかすぐ潰すし。すこしの繊細さもない。なにをかんがえて悪をふりまくのだ?

たかはぎ市の駅前の空き地、あれとかコンペでもなんでもいいから公園にしたらいいとおもうのだが。そういう公益にはすこしも思い至らない。すぐかねもうけ売店をよびよせ、そこから搾取するための凄まじくすきまのない江戸家屋にしてしまいたがる。くだらなすぎる。さすが黄色人種。

 東海道線接続の最大の問題は、関西の不純な文化素がこっちまで流れ来る危うさのほうにある。我々は水戸藩の高い道徳風紀に慣れすぎているので、特に土着系の首長はその「禍々しさ」をしらない。情報化でもなんでも、行政人にとって最大の命題はそれらの不純な文化素をできるかぎり事前に濾過する工夫であり、かねもうけの追及などではない。かねをもうけたけりゃ、何度も書くが、さっさと野におり好きに自分の商売をはじめればいい。だれもそうなればいくらもうけようと非難するまい。商売人は商法をまもる。だがその風紀をとりしまる行政人自身が権力をかさに商売をはじめてしまっては誰も公益には無関心になる、ってこと。こういうのを政商という。つまりまちは滅茶苦茶に荒れまくるということだ。西海圏に行けばだれでもこれは分かるだろう。

政経塾でなにをならったのだろうか? かねもうけの術など行政権威に必須ではない。
くりかえすが、『公益事業』こそ財政の目的であり、それはわたくし企業では必ずみおとされる‘かねにならない’‘もうからない’分野だからなのだ。その意味でこそ公僕という自重がなりたつ。
また民間事業は安定に欠けるのが一般なので、長期視野がないことが多いゆえに公平な市場を見守る名君は「基盤施設」への投資を優先してきた。これに反する行いを習性にしている首長は、よく越後屋とかとつるんでオヌシモワルヨノオな悪代官と代名詞化されてる連中にすぎない。どこの市とは言わないが!

すべきなのは、雨情の甥氏がかたってる様に利根川以北は「水戸の風紀」を堅持し、一切ほかの地域に譲らないことだ。具体的にはろくでもないギラギラした看板の群れ・くだらない女飲み屋および乱れた深夜営業(こういうものが五万とうちよせてくるのは予想できる。それは関西の影響をうけた北陸地帯から秋田まで飛び火したのだ)・人口過剰によるカンサイ弁の流行・異常な性行動の増大・或いはついでに汚い江戸文化の下流の悪影響、これらの入り込みを最低でも利根川まででせきとめることに協力せねばならない。
可能なら静岡から名古屋まで、最終的には西日本全体の文化素を大陸側へ押し返す必要がある。さもなくば我々がやつらのあしき公家文化の餌食になる。すでに名古屋から福岡までは完全にその近畿圏のみにくい影響に染まりきっているし、青森・秋田・山形・会津・新潟・・・と陸奥北陸諸県もほとんど似た状態。これを予想せずストロー効果とか金だけに注目して語り、自分が毒に口をつけたのに理解がおよばない首長どもの浅さよ! よく各地の実情をあつめねばならない。情報は持った側が有利になる。

もしきたいば野郎がどうしても金ってか行政のつかえる税収を激減させたくない(これすら動機が不純だが。重要なのは行政の知恵であって、金ではない。これは福井や金沢あたりの関西圏北陸地方を視察すれば理解できる。金があり余っているほどみっともない政はないのだ)ってなら、すべきことは前も書いたが行政奉仕の水準をまわりの自治体よりはるかにひきあげること。これは努力でもできる。
最低、愛想をわるくしすぎないとか、市民へ(何しろ市民が税収で養っている用心棒なのだから)下手に高圧的態度をとらないとかだ。普通で図書設備や公営運動場が豊かで公園・それに類した行政保持のかわらない自然が広く、綺麗にごみ拾われてるとかだ。
このかねがないとほざくなら、まず市の領域をひろげる努力がとられるべきなのだ。決してそこへむやみと商業をよびこむことではない。そうなると人口密度があがり、東海道線のまちとかわりなくなってくる。もしそういう地帯に住みたいならそっちへ移住するがいい。
徹底した自然破壊のひきかえに商業誘致と、自然は完全にのこっているかわりに広く豊かな土地財産とでは、一体どちらがいいか。これは地域に住んできた者なら誰でも理解できそうなものだ。かもめ界では海べがなくなったら暑いし困るともっぱらのうわさ。

ジョウバン三市での連携は微妙なはなしなのでいますぐどうできるってんでもない、という意見はあるが、経済的にあまりに衰退しすぎてドウシヨウモナイとなったら市の領域を広げるべきで、ヒタチ州に編入後、イワキとの領域連携に進むこと、でそれでも足りないとなれば(ということはないだろうが)ジョウバン州・ときわ州のごとき水戸以北から仙台以南までの一帯を自分らの共有経済圏にすればいい。
 自分の私的洞察では、西日本から東海道の文化よりは岩城・福島から仙台・宮城の文化の方が幾分ましだ。それは涼しい気候も手伝ってるだろうが、おそらく水戸徳川家の功徳や一種の威光がそこまで及んでいたのも皆無とはいえない。この一帯では真面目な性格の方が多い。女性もそれほど極端に女々しくない。伊達仙台藩ら奥羽越列藩同盟の最後は見事に南蛮の裏切り者どもへの制裁を目指したのはこの結果だ。だから日本でいえばこの一帯の文化が他より堅実なのは間違いないと思う。この事実をなおざりに、東海道からいまさらながらかねもうけしようとは・・・なんという低俗さ。だれの市とはいえないが・・・。
はたして黄門様に平謝りしたらどうだろうか。控えおろう蝦夷ども! と、かもめ界ではもっぱらの黄門ブーム。
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by smartestone | 2010-09-25 20:40 | 政治 | Trackback | Comments(0)

市民教育の優先

いまの市長界隈は、カネが好きで好きでしょうがない如何にも黄色人種みたいな性格をしているみたいなのでそういう性格の者へはなんともいいがたいが、派遣労働者群をふやすための工場誘致ばっかりしていて(なら光ケーブルはそこだけに敷け)、少しも公益には感心がないか、もともとその為の洞察もないのかもしれない。これは性格なのでどうしようもないし、民間企業ならそれでいい。

工場からの税収が一番大きい。よって工場誘致しよう。これでわしはウハウハだもんね。これが全員協議会を非公開で牛耳った市長独裁の意味だとしたら笑ってしまう低級民俗だが笑えない。

 問題は、市民にふさわしい教養度と矛盾する非正規労働群(偽装請負などの悪質な手口含む集約的単純労働)のさそいこみはムイミだということ、また大金持ちの俗物の町と、質素だが高尚な町とではどちらが理想かすら分からない人格などお笑い芸人にしか見えないことだ。お笑い芸人だとしたら相当成功している。せっかく市長選までやってギカイひらいてんのにいつも観客一人なんだから。どれだけシュールな澄まし芸なのだろう。まあどうでもいいことだ。
カモメにはカモメライフがある。カモメログにはカモメログなりの見方があるのと、あのお笑いギカイは同じだろう。まあ現代劇すぎてだれも笑ってはないみたいだが、心底の冷笑だ。

もし中国移転を上回る利益があるなら、「品質の高い製品」の製造業に限るのは誰のめにも明らかだろう。だから工場用地の売却益と税収でウッハウッハとかほざきたい市長界隈は、先ず『市内の教育民度』を最優先させろって話なのだ。それ以外のいかなる方法であっても桁ちがいの中国の人件費に比べ、日本で工場誘致した結果の市民生活の末路と言って最近あちこちで復讐におよんでるみたいなまじで蟹工船式の使い捨て奴隷化にされるだけだ。
で、文武不岐と水戸学の理念をひいてるくらいなのだから、さっさと放課後にクソ帰宅部どもが息抜きで仲間同士の運動できるくらいのサッカーラグビー場開放くらいは必ずせよ。そもそもスポーツ選手、特にフットボールやらラグビーとかいったはげしい競戯なぞするのは低級きわまる労働階級だ、相手にならん、先ずはアリストテレス的散歩程度と市街観照による高尚なる哲学議論だという意志があるならある程度尊重しようではないか。が、現実に僕がみてるとそれ以下というか、発情発狂じみたミニスカチャラ高生があちこちでだきつきあって交尾前途まがいの自称青春模様にはげんでいるサル山ごっこが平日市街地ではあまねく散見できる。なにが労働階級みくだし市政なのだろうか? 現実には底辺派遣をいまさらながら量産し、その税収をばくばく喰らうつもりの俗物独裁なのではないか。悪党め!

 光ケーブルで超高速情報化など後手でいい。世界一の図書館設備と蔵書、最高の運動施設とその全面的開放をもうけ、教育委員へは地上最高の人物を優遇に優遇をかさねて土着してもらい、それからやっとこさ工場誘致に進むなら一市民としてよしや納得しようではないか。かねもうけ市長など誰がのぞんだんだ? これは。

かーもめかもめ
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by smartestone | 2010-09-22 18:07 | 政治 | Trackback | Comments(0)

教育の均衡

いまの国内での教育は、公教育と塾教育の競い合いがあればいまより熱心で、ひらけたものになるだろう。なぜ義務教育やその延長としての高校大学がなかば壊れているかといえば、制度上、塾の側に単位がみとめられてないことがあると思う。

 要するに、塾だけ行ってりゃ卒業同等の資格があたえられる制度をつくりあげられれば、あのクソ学校での陰湿きわまる虐めの数々にわざわざ関わり続ける意味などまったくない。教師すら暴力で生徒を虐める地域なことをよく考えたほうが良い。

だがここいらのイバ人は、とくに教育委員会所属ともなれば石頭のかたまりなので、こんな前衛制度みたいにみえるものを自分から実現するなぞは星が降ってもできない。必ず「重役」みたいのが恐喝に近いおどしをかけて命令する以外では動かない。で、当然だが企業は楽な人事策な学歴サベツにのっかてりゃいいとおもってるから、その中の人らはまったく改革などのぞまない。
だからできることは、できるかぎり公教育のボイコットをつづけまくることだ。そして事実上、大多数が虐待しかできない腐りきっている公教育なぞいくまいと悟ったとき、塾や家庭教育・家庭教師のやくわりが浮上してくる。この時まではどれほどきつくとも徹底して公教育を責めて責めてせめまくるしかない。モンスター親など足りぬ。煉獄の閻魔親となって教育委員会員どもを責めて責めてせめまくるべきだ。裁判は絶対避けてはいけない。また、どれほど苦しくとも、どれほど孤立しようが絶対に学校を批判して批判して批判しまくる。これしかない。

僕は北欧の中学生が私服で、円卓へばらばらにすわって院卒の先生におそわってるのを見た。それにくらべればこの極東の奇形島の島民どもは家畜だ。いかにジャップがバカかわからないから当然なのだが。まさに養鶏場。まあ、それにも一理あるとかいう意見は分からなくもない。企業奴隷を量産したいクニならそれが合理的だ、って話だろう。だが当然だが、二度と高度成長期のごとき機械労働者の需要はかえってこない。もしそれがかえってくれば中国が沈んだときであり、少なくとも100年はありえない。が教育委員長は当然その老廃世代だ。これでは批判しまくる以外に、奴隷教育の方針を改善する道はない。
 ただ、岩城の前例みてると、ジャップは倭すぎて上から言われたとおもったらてのひらをかえした様にへこへこ従う生き物なので、真逆にかじをきりすぎて一切放任化させ最低限度のマナーや倫理すら公教育分野で放棄してしまったりかならずする。これも予想範囲。ということで、塾と張ってくる頃になったら今度は塾批判・学校擁護に方針をきりかえる必要がある。重要なのは公教育のおもすぎる比重を移し、ほかの教育組織へも流れをもたせることだ。

いわゆる虐め地獄的状況(それに伴う自殺や発狂事件)は、どんづまりというか、公教育しか逃げ場がないうえそこへ過大な負担をおわせようとする地域の教育体制のおろかさがうみだす。不況時点ではこういう事件が隠蔽されて膨大な数起こっているが、ほんのいちぶ表面化したものはマスコミに盗まれてさんざんたたき台になる。これらはどちらも、勝ちすぎて腐っている公教育へ行かせまくる親の無知が生み出した惨めさなのだ。もし生徒がこなければ営業がなりたたず、教育委員会に雇われ教師もろとも廃校になるのだから。


 具体的にいえば、子供は「学校へは行かない。但し、塾へは行く。勉強はしたいから」という主張をどれほど親から脅されようが、ケータイでもなんでもいつでもすぐに県警へ連絡する手段を整えて徹底して言い張りまくる。これだ。

keisoumu2@pref.ibaraki.lg.jp
↑メールではここへ相談できる。参考につかってほしい。

フダンから備えておくには↓

警察安全総合相談センター
月曜日~金曜日8時30分~17時15分
(土日および祝日は留守番電話対応)
029-301-9110

で、親が暴力してきたら迷わず 110 番にかけること。「発狂した人が家にいます」、と言うこと。これで親は連れ去られる。

 で、改善されるとしたら、市の暴力教師をクビにし、クラスは塾の様に能力別で分けられ、以前よりはるかに平穏な学校ができあがる筈。もしそうならなければ教育委員会が潰れるまで批判して批判して批判しまくることだ。どれほど裁判をやってもいい。虐待しているのは常に権力を持った側だからだ。なぜならもし生徒が本当にわるいならただ退学にすれば済む話なのだから。
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by smartestone | 2010-09-21 19:22 | 経済 | Trackback | Comments(0)

市債問題の啓蒙

いまの市はがめつい。これは企業誘致へかける情熱、市内の様々な場所でみかける「万引き問答無用」の文句でわかる。だがジーザスが言う様、金持ちが慈善者より救われる保証はない。もしいますぐ死にそうな貧者がパンを一つとっても、この市ではまちがいなく警察へ突き出すに違いない。なんという無宗教の悪人市!

市長自身がそういう性格なら仕方ないが(何しろそれを多数決選挙したのだ。仕方なさすら合理的でないという理屈が通る)、大体政治家が金儲けを考え始めたら終りで、その民は全員が損得勘定だけで動き一切の慈悲心を失い、あらゆる弱者を虐げながら山ほどカネを儲けまくる。
 結局国政に於ける財政破綻うんぬんってのは「建設国債越えの程度」が尋常じゃなくなりかねないデフレ下での浪費(つまり某マンガ首相の公家的浪費の誇示)へ頭にきた知識層があおって、マスコミの馬鹿に攻撃させたのだ。建設国債ってのは国内消化の借り物ならいずれは国民にもどってくるって話で、複式簿記でいう投資=消費の関係を利用してるわけで問題は特にない。やばいのは日銀総裁が呆け老人すぎてこの金融学の初歩すら理解できず、ばしばし一度に貨幣を刷っちゃうときだろう。
つまり薄めた水を生理食塩水と言って熱中症に与えても逆に渇きまくって死ぬかもしれない。国内でデフレを緩和するのに急ぎすぎた結果、貨幣価値が限度をこえて暴落したら海外からの投資は冷え、ハイパーインフレとかにつながって企業はどれだけ製品つくっても国内では叩き売られるので元がとれずに国内を無視する暴挙に出るだろう。
でまじめにこうなったら国内問題ではなくなって本気で破綻するかもしれないから賢い国民は逃亡せねばならない。東ドイツになる。湯に黒あたりがすでに海外逃亡はかってるのは企業いきのこりとしてはどうかしらんが、デフレ逃避ということだ。つまり、企業が利己的なとき必ず国民家計の逆の動きをする。

なぜこれらの専門的話題を書いたかいえば、市ががめついのは下らないという意見だ。

 総論だけど「国内産業の空洞化」自体は何をしてもとまらない。それは高等教育の普及と同時に国際貿易をつづければ100パーどの工業化先進側の国でも起こる現象で、国内の単純労働が安価に雇える層から機械へ移っていく歴史の必然。で、この流れへ乗るしかない以上、がめつくしてる市は「市民奉仕」をなおざりに企業誘致その他の商業擁護を優先して市民は足蹴にしているのは矛盾。どういうことかといえば、空洞化が起こる地域ではこの市民自身が知識上の高等さによって機械操作の手になるしか道はない。それ以外のすべての道はすべて国外流出で食う産業としては終る。だから市民への教養教育を無視し、どれほど企業やら商業やらを起こしたところで「稼ぎ手」の取り分が少なくなるだけなのだ。
 素人には遠回りに見えるだろうが、上述の金融学的見識をひけば、これらの稼ぎ手の取り分を高度な教養教育の程度を利用させてできるかぎり高めること、つまり『教育的財政投資』が最終的にはその市へ入ってくる財産を向上させるのであって、途上国へ立地させ量産させればはるかに安価な手工業や以前の第一次二次系の産業を誘致することではまったくない。端的にいえばそういう層をよびこむほど市は貧しく、暮らしづらくなる。たとえだが全員が工場での細切れ派遣労働者の町と全員が医学博士兼医師の町があったとしよう。さてどちらの市の財政が比べて見て豊かだろう? 
だからがめつい市政は過ちなのだ。むしろ市民奉仕が甚だしければ甚だしいほどその市は将来がある。この限度はおそらくないだろう。もし市へ国の問題をおろしてくると、「建設市債(つまり日銀発行外の公的に限度づけられた、民間から借り入れた市債発行の範囲。もし問題を県内に敷衍すると「水戸信発行外」となるかもしれない*1)」がごく豊かに使われても問題はない。赤字財政というのをしろうとが見るとこれもきりたがる節がある。特にレンポー氏とかああいう。だがそうではないのだ。
政治家は日銀を持っているので破産する企業とは違う原則で動かねばならず、それは公共分野への投資によって私的企業では不足する部分を補わねばならないからだ。前の記事に書いたが、運動場(何しろ市民の払った金でつくらせたのに自分らを締め出すとかなにを勘違いしてるバカ市役所員なのだ? おまえすら市民が養ってること、お前の子孫すら俺たちが血税で養ってやってることを自覚しろ。勉強しろ)を開かず、えせ儒教ぶって官で独占管理するとかは頭がおかしい。そんな町にまともな人間が着くだろうか。発狂運動不足のサブカルエドなら住みつくかもしらんが、消えろ以外の感想が出ない。

あと上に第一次第二次と書いたから農家や工場を終りと言ってるかというとそれは違う。第六次産業とかいう造語でも分かるが、単に情報化・知識化によって以前のかたちがより機械によって能率的に行われるだけだ。ガソリンスタンド店員がいらなくなって手動充電スタンドになるかもしれない。コンビニ店員がいらなくなって自動コンビニになるかもしれない。同じ様にスイッチ一つで田圃を耕す耕地ロボが鴨を追い駆けるかもしれない。販売は生協のネット経由で自動配達されるかもしれない。工場はオートメーションが進んで立ち入る機械すら遠隔操作かもしれない。それでも食料製造や工業そのものがなくなるのではないのだ。この流れに逆らう意味は特にない。下手に急進すると誤って失うもの、たとえば詩心や童心だとか、素朴な工芸品だとか細やかな心づかいだとかは大事だ。しかしそれは「文化」によって維持されるのであり、産業構造の後退趣味によってではない。

こないだ高萩でおりたアホ中学生がどっかのトウキョウのアイドルだかなんだかわからん肩出しルックで電車で下劣きわまるバカ騒ぎしてたが、お前終ってるなってわけだ。そんなのが稼ぎ出すみじめったらしい金よりはるかに、上述の産業構造の進展で得られる利潤も、市民生活への改良効果も大きいのを理解せねばならない。それは蛆虫と巨人ほど違う。


*1 水戸信は貨幣を刷れないのでこのあてはめは厳密にはまちがいじゃないか、って観点もある。県内で流通する全財産の借り入れ・貸し出しに限定したらそうかもしれない。つまり水戸信→市債→財政投資→市民の労働賃金→水戸信、って循環が永遠に回るとしたら、貨幣を刷れる日銀と同列に扱うのはおかしいのであり、この循環そのものには経済上の問題はないことになる。だが、この論旨で言っている観点を県際の問題に広げると上述のあてはめには理が通る。つまり県内で循環する貨幣量(この概念を『県の貨幣価値』と呼ぼう)も考えに入れると、原則として県内で最大の金融機関からの借り入れは望ましくない。
なぜなら、もし外部銀行→市債→財政投資→市民の労働賃金→水戸信、って流れに入れば、それは県の貨幣価値は比べてあがってきて、いってみれば経済大県になる。水戸信の貸し出しできる分量が常態として上がるからだ。で、輸入がつねに有利というのは実質的には「安く買える」こと、また輸出品が「高く売れる」ことだからもし国内に限ってはこの常態が続けられるのが今のところ良い。もし事情が逆転するとしたら、県債市債の踏み倒しがフツウになった戦時だけだ。万一そうなったらこれらの原則はうちすてて、水戸信からごっそり借りて県内消化にかえりざくのがいい。それで県の貨幣価値の低さのためにバブルその他を演出できる。勿論これらも金融財政に限る話題であり、政治のばあいによってはどうでもいいことだ。まつりごとは商売ではない。
 で但し、償却不可に市債だしすぎて陥った時は、県が救済するか、さもなくば水戸信にのりこんできてもらうことになるのでまずい。「発行限度額」を市民全体の財産以上にならない様にせねばならない。これは市の財政がどれほど苦しくてもそうだろう。もしものときは食堂禁止、全員弁当持参、給与カットの上ボーナスなし、公用車はすべて最も安い大衆車、冷暖房の節減で庁舎内では半ズボンとマフラー可、挙句にはサービス残業、とこういうところではないか。サービス残業は民間企業のまねだ。あきらかに奴隷である。というか、「公僕」という概念を高萩市長から引けば、まさにそれが理想だろう。
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by smartestone | 2010-09-18 23:15 | 政治 | Trackback | Comments(0)

市の運動場の閉鎖性

この市は性悪説でやってる傾向が以前からあり、特に現市長の間は教育も含めすべてがその流れできていると思う。たとえば青少年を単位フリーとかほざき放置しながら一切の運動施設から締め出すとか。許可を取れ許可を取れと張りがきし、そんなの未成年がいちいち許可とりにいけるだろうか。もうすぐ死ぬ老人は当然、運動での抑鬱発散などいるまい。死ぬのだから土になって好きなだけ運動してほしい。ただ、先のある若者を運動施設から性悪説かつケチんぼで締め出すのは最悪だと思う。

学校とかも、東京で流すテレビのニュースの見すぎなのか過剰防衛張って許可を取れ許可を取れと書き、少しも運動場で遊ばせない。窒息しサブカルで自慰をしてろ、カネはわしらのもんだ、わっはっはというレベルのクソみたいな老廃市政である。

 できるだけ広い運動場を市民へ全面的に開放しきること。これが重要だ*1。これがないままで青少年へのきつい締め上げを行っても、自殺者や発狂者、異常発情での歪んだ性行動、或いは市が放置したままで青少年を不健全に育成したがっているサブカルチャー類のマンガ・アニメ・ケータイ小説・くだらん芥川賞系の大衆小説・ケータイマンガ・テレビドラマ・インターネット経由の不埒情報の数々・アイドルもの・カンリュウのそれとかのさまざまな有害情報をない金つかって買いあさらせてるに等しい。
はっきりいって、現状では若者は一切金がない。高度成長のなごりで年功序列が残ってる上、若年雇用のしめつけがあり、しかも市ではスポーツなどでの抑圧発散を行わせない様にあらゆる運動場を許可制にしてフェンスで覆い締め上げている。はっきりいってこれで自殺しない方がおかしい。引きこもるのなど良いほうだ。


*1 しらべによると、10日前までに申請せよとかいうおかしいルールを生涯学習課(市の教育委員会所属、おそらくはスポーツ振興係)がしいている。だが常識でかんがえればわかることだが、運動不足の10日前にその10日後の運動可否が予想できるだろうか? たまたまたてこんでもう運動しにいけないや、とか行こうとおもったけど体調わるいやとか不確かな要素は排除、これで市民奉仕してるつもり?
 で、休日の「受付」すらない。市役所は土日閉まる。これで鍵かけてだれも使ってない広大な敷地が余ってるってわけなので、生涯学習どころか生涯拷問課と言える。休日受付の設置、最低でもそれ用の料金所だか受付だか(そもそもかね払えってところがケチくさい。税収で養われてる職員のくせカネを払えとは! なんというカネの亡者だろうか、それとも権力を身につけた商売人なのだろうか。この低サービス役所は)を設けるべきだ。一刻もはやく。あの高校生らとか、アスファルトの上であぶない上しょぼい擬似運動しかできない若者がこんな悪環境で水戸ホーリーホック入れっつっても無理に決まっている。一年中、歩いて5分の芝生敷きサッカー場とか、河川敷とかがある「高行政奉仕」の適所にいる市民とくらべてどれほど悪条件だろうか! 少しでも空き地の広大な広場があれば潰し、かねに換金しようとしてくる。しかも政治屋が! なんという吝嗇民俗!
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by smartestone | 2010-09-18 21:14 | 政治 | Trackback | Comments(0)

また黄金虫についての風説あり

http://mainichi.jp/life/housing/petnavi/news/20100708ddm013100137000c.html?inb=yt

↑たまたまこういう記事をみつけた。消えたときのことを考えてなかみを要約すると、毎日新聞 2010年7月8日 東京朝刊に

>梅谷さんによると、野口雨情の童謡「黄金虫」はゴキブリの歌だという。雨情が生まれた茨城県北部ではゴキブリをコガネムシと呼び、たくさんすみ着くと裕福になるとの伝説も残る。

というあきらかに誤った記述が載っているらしい。この記事を書いた者は、この「梅谷さん」とよばれている昆虫学者の梅谷献二さん(79)という人物、の風説をうのみで流布している。これも風説の流布という点では、天下の毎日にして同罪だといえるだろう。堂々と雨情の生まれた北部ではとか書いているのだから。私はまったくこの該当地域で暮らしてきた一個の証人だが、いちども聞いたことない上、そもそも十年前まではいなかった。蔵のある商家でも同じで、その出身者の年寄りの証言でも人口がこれだけふえるまでゴキブリなぞ生まれて一度も見たことなかったという話がある。結局この自称昆虫学者の梅谷献二さん(79)は根拠のない風説を平気で流布していることが理解できる。

ちなみにこの人物のプロフィールを転載すると


うめや けんじ
   昭和6年(1931)1月16日生まれ

【略  歴】 : 
 昭和34年(1959)北海道大学大学院農学研究科(博士課程)卒業(農学博士)。
 同 年、農林水産省入省。植物防疫所、各試験研究機関を歴任。
 平成 2年(1990)同省果樹試験場長を退官。
 (社)農林水産技術情報協会技術参与を経て
 現在 (社)農林水産技術情報協会研究顧問
 日本応用動物昆虫学会名誉会員
 (独)農業・食品産業技術総合研究機構フェロー
 中国林業科学研究院資源昆虫研究所名誉教授
 生き物文化誌学会評議員

【著  書】 :
「虫の博物誌」、「虫の民族誌」、「ヒトが変えた虫たち」、「虫のはなし・Ⅰ~Ⅲ」、 「こん虫のふしぎ」、「作物害虫ハンドブック」、「日本農業害虫大事典」、「虫を食べる文化誌」、「虫けら賛歌」等々、編著・共著を含め約80冊



これだけ権威ばった人物が風説の流布というのは話にならない。もし万一、この人物なりの正当化できる根拠があるなら、それをはっきり市の雨情会へ提出してもらいたい。故人へのいわれない中傷に近い虚偽を流すというのは犯罪のひとつ(刑法223条 虚偽の風説の流布、刑法230条 死者への名誉毀損罪)だからだ。コガネ虫と堂々うたっているのにゴキブリとうたうはずがないだろう。なにをかんがえている? 同時に、根拠のない記事を堂々と載せている毎日新聞へも賠償請求を行う準備に入るべきだろう。


追記
http://www.afftis.or.jp/konchu/gokiburi/goki03.htm
↑こういうページも追加でみつけた。

>また、野口雨情の「こがね虫は金持ちだ」に始まる有名な童謡の“コガネムシ”は、金属光沢のある甲虫のコガネムシではなく、 チャバネゴキブリだという説があります。
>雨情の故郷の茨城県ではゴキブリを方言でキガネムシと呼んでいたことに加えて、その体系が小判に似ていること、 雌は腹端に昔の財布(きんちゃく)のような形の卵の袋(卵鞘)をつけて持ち歩くことなど、この童謡の主人公としてふさわしいかもしれません

という記述をまた同一人物梅谷献二さん(79)がしている。要はこの人は「実証主義(実験や経験でくりかえし検証した事しか真実として認めない思想)」の考え方がないので、いろんなところで得たうわさをそのまま真実みたいな権威のベールで覆ってバシバシ流布している習慣者なのではないだろうか。他にもいろいろ書いてある耳目を驚かす記述にも根拠が引用されていないところからそれが分かる。
哀れむべきことでもあるけれど、迷惑こうむる身として身も蓋もない嘘を広められちゃどうしようもない。もうお歳だが犯罪は歴とした犯罪と思う。
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by smartestone | 2010-09-18 12:36 | 政治 | Trackback | Comments(0)

魅力度調査の判断

いばらきケンへ魅力を感ける者の割合、全国でもっともすくないという調査がいばしんにのってる(ネットで見たが9月17朝刊だとおもう)。で、県ではPRに力いれるとかのコメントつき。

で、この議論だが調査したのあやしげな研究所だし、調査対象がネット限定なうえ調査期間が異様にみじかく、恣意が入ってる割合を考慮しても、まあ妥当ではないか? はっきりいって、いばらき県民そのものがやたら好かれたがってる県民性ではない。名前からして。当の自分もそうだし。愛想はまあ比べてわるいと言っても良い部類だろう。で、県全体がそうなわけで、そういう個性ということだ。
 県のPRになんでだれもに好かれたいのかがわからない。日本人にへんてこな調査で最も好かれたら必ずいいことがある、というなら話は別だが。その調査で上位にはいってる県は、観光地か、又はいわゆるスタンドプレー好きの目立ちたがりといったところだ。どことは書かないが想定内とかんがえていいメンバー。逆に「めだたない」場所は魅力を感じられてない。どうもこの点でこの研究所の調査は恣意的に思える(つまり魅力=派手、という誤用か解釈があると思われる。さもなくば地方にしてこれだけの人口はないし、経済規模もない筈)。めだってても周りの人から嫌われている地域も数多い、又はすくなくとも耳にする。
目立ってて好かれている地域、これは神奈川・横浜あたりということらしいが、結局それは「都市開発」の最先端ということになりそうだ。その一帯は異常な高さの高層ビルから総合開発型商店街から目白押しで、人々の流入も流出も甚だしい。ある都市計画学者の説ではあんな辺鄙ないなかが今は…ということだが。勿論人口の過剰増加は必ず反面に退廃を伴う。神奈川県は急激な開発を伴って東京と一帯化しつつあると考えてもいいだろう。あからさまなベッドタウンとしての埼玉、空港や某遊園地の誘致を介したその一種としての千葉にもこの余波はあるが、神奈川ほどではない。
所でめだたないなら、しかしそれでいいのでは? なにを必死になってどんどんキリギリス的に好かれていこうという? 地味の浪費だ。関東で最も伝統ある地域(風土記参照)として独自の個性を目指そう。

多分、この新聞記者の意向としては観光面で好かれたら得やん、とかの単純な損得勘定でないかと推測する。だが一般則だが観光地はよごれまくる上、人心は一回限りで二度と会わないどうでもいい一見さんばかりを相手にしてるので荒廃する。産業の質は下がり、どこの馬の骨ともしれないスラムの山ができ、すみごこちは当然わるくなってく。どれほどはした金をおとしてもらおうとそれでは元も子もない。
但し、ほどほど中間くらいのランクでなく最も魅力度が低い、という調査結果のはあきらかに逆相関であり別の理由があるだろう。

 自分の考えでは、おそらくこの調査結果には「控えおろう効果」とでもいえる功徳が働いてる。要は、マキャベリズムだ。それは是政者の徳を恒常的にもっているということにつながる。つまり県政の王道からみればこの結果を挽回する必要など全くない。もっともっと県の格式として大いに畏れられた方が却って良い。
 但し、おそらくこの徳の一面に必須だろう慈悲深さ調査みたいのすると印象から言って奈良が上位にくるはず。で他意はないが商業都市の大阪が最下位にくるか。こういう印象は重要かもしれない。仁慈の実例を程度こそあれ誇大宣伝してでも、県の印象をより「控えおろう効果」の増幅につなげるべきだ。

自分の意見をいうと、いばきりの勢力によって奈良に比肩かそれをこえた格式ある宗教施設を建立する、又は親鸞の喧伝をするのはどうか? 奈良には法隆寺というものがあり、空海の高野山がある。その関東版だ。(笠間をあとおしすべし)

でそういう個性も必ずや重んじられる。世界中にいるだれであれ、どっかの誰かへ観光客相手に愛想笑いばっかしてろとは思わないだろうし、実際そうしている人の末路といって絶対立派なものともいえないのだから。究極で言えば県民自身が自身の管理している風光明媚な場所に遊べるのが最も良い。観光地化でカネを、ってのはまず話にならない。それは実質は窮余の一策であり、どこでも主要産業のない後退的僻地はそうなる。
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by smartestone | 2010-09-18 00:51 | 政治 | Trackback | Comments(0)

下水道計画の問題点

下水道に虫が棲みついているらしさはないのだろうか? こないだオオサカの繁華街でマンホールの下に五万と虫がうんぬんというのを偶々なにかでみかけたのだが、下水道普及には亜熱帯環境に適応している虫が棲みつきやすい、という弊害があるのかもわからない。

この問題点はいずれ解決するを得る。市の都市計画課で調査や研究できれば一番いいと思う。
どうもゴキブリという生き物は自分は見たことなかったのだが、この数年の間に町に出てくる様になってしまった。この原因は実は公共下水道に虫対策がほどこされていない、という都市計画の欠陥にある気がする。鉄筋コンクリート製の建物もやはり問題だが、もしそれがなくなっても、夏場の蒸し暑い時期にアスファルト舗装の路面の下に大量の水と共に一年中暖かい虫の繁殖場を提供してしまってるとしたら、これはどう仕様もない。

日本風土は蒸し暑くなりがちなので、涼しくする事はどれ程工夫しても足りない。
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by smartestone | 2010-09-16 09:34 | 政治 | Trackback | Comments(0)

かねまわり中心社会からの脱却

市民運動場から磯原市街地へのぼりくだりする通りの、クリーニング屋の裏手、磯高のグラウンド裏に昔からある一軒家の平屋がひどい。ほぼ破産者の家みたいに荒れている。生活保護受給してるんだろうか? ごみが散乱し、虫とかいそうな感じだった。

高級な情報化より先にああいう世帯への対処のが行政としては義務的な気はする。これからもっとふえるに違いない。高度成長はしていないし、情報化社会への進み足はとても遅く、若い世代がそういう商材をいくらつくっても少子化していくカネナシ世代しかそれをほしがらないので、はっきりいって経済としてうまく回ってない。

 それと複式簿記というものを勉強すれば分かるのだけど、市場への流通額と損益は一致する、とかんがえて、結局経済成長とはなにかといえば「かねまわり」でしかない。蓄えやら投資とは無関係だ。つまり経済成長がそのまま豊かな社会への指標では全然ない。不足があるから市場取引が行われるのだ。
で、昔は物々交換の方が主流だったからいまの貨幣経済中心の指標にはでてこない流通もあったし、これからもこの程度の市ではある。
 というわけで、自分が市民として思うにはかねまわりより「心配り」の社会状態の方がこれからの先端を行くのではないだろうか。かねがまわらなくともこころ(つまり気づかい)が隅々までくばられている社会、これが資本主義経済の次の段階としてあるのではないだろうか。

物々交換やじもと商品券などのいままででいう世界貨幣への経済指標に還元されてこない取引、の方がこの高齢者がほとんどなゆっくりとした進み方の社会には向いている生活方針ではないか。

かねほしさに老人の骨を隠すとか、あきらかにかねまわり中心社会の矛盾があらわになった。どうも近頃うみで老人の遺体がみつかる割が多いのは、この骨隠しの一種で捨てているとも想像できる。想像でしかないけど。こういう社会は望ましい社会とは見えない。かねまわりのよさをあまりに目指しすぎると、かねほしさになんでもやったり、かねのなさで自暴自棄になる世帯があらわれてくる。この後退に注意がいるので、進み方のはやい世帯への一層の援助より、そういう世帯への助け舟を共同体が出していく方が社会的貢献の格が高い。
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by smartestone | 2010-09-04 22:28 | 政治 | Trackback | Comments(0)

エイズ罹患率の減退策

おもにその罹患は県南、特にむかしは「新治(にいばり)」とよばれてた埼玉と千葉にまたがる一帯が殆どなんだろうけど、エイズ罹患の人口あたりの比率が茨城は全国二番目に多いという統計があった。これには驚いた。県民性としてみた一帯はかんがえ方として保守的なのだから。勿論、もっともそれが多い東京の悪影響は近隣諸県に及ぶのは予想できるとしても二番目というのが気になる。ちなみに長野が三番だ。

で、実際その統計で「外国人を除く」とずっと順位が下がる。それでも八番目とかなのだが。要は県全体でみて最高に高い性道徳風紀とはこの時点でいえない。が、なぜ外国人の罹患割合が高いかを分析すべきだと思う。
 で、感染のルートを見ると、6割が同性間の性的接触によるらしい。簡単にいうと、ガイジンの同性愛者がとても多いわけだ。それでも八番目なので、勿論ニホンジンの同性愛者も割合としてたとえば罹患率そのものが低い東北や中国地方にくらべれば少しは多いと言えるだろう。なぜ長野も茨城の様にそういうガイジンがとても多く住んでいるのかは不明だ。

東京はいうまでもなくサイアクにエイズ罹患率が多い。これは反面教師にしかならない。で、都市化の進んでない土田舎は全体として低い結果がある。こちらをみれば、おそらく「人口過密」によって性行動が異常化するのが主な原因じゃないだろうか。たとえば昆虫でも相変異という現象があり、過密状態ではおかしな行動をしたり健康異常が出てきて普段とは違う発達をする。
 一方で、健全な異性関係として純情にして清潔な状態が最善だろう。だから東京を反面教師にすれば『人口過密をなくし、健全な異性関係を保全する』ことでこのよくない結果は今より改善できると思う。

僕が前から思ってるに、東京の企業がまきちらす性情報はどれも歪んでいる。大体がおかしな異常な行為を描写したり、そういう部分を強調したりする。これは西日本の文化(京阪神がおもな発信源だが)でも同じだ。どうしてそうなのかといえば、それらの場所が上述の人口過密状態にあるからなのだ。そこでの性行動はヒトとして正常の状態からかなり歪んでいるので、いまのこの市でも本屋やらワンダーグーやらコンビニやらでそういう都市でつくられる異常な性行動の記録がいろんなかたちで販売されているが、どれも害ばかりある。だから即刻規制して締め出した方がいい。そんなものを売りつけて何一ついいことはないのだ。

健全な性行動はどんなものか? という問いがあるとする。それは「自然状態」のものだろう。いわゆる情報汚染を受けていない状態が最も健全な性愛を示す、とかんがえて先ずまちがいないと思う。さらに人口過疎ならより望ましい。人口の面での大集合都市をつくろうとすることは人道の面からみれば過ちなのだ。
だから僕は市長の判断でトウキョウとか西日本でつくられる異様な性情報を、市民に光ケーブルを通してどんどん浴びさせるのは大いなる間違いだと指摘しているし、批判している。それはなにもいい結果をもちいらないばかりか、茨城県そのものの歪んだ性行為の割合を煽りたて罹患率をさらにあげるだけだろう。いまの段階でもフィルタリング(情報濾過)で、たとえば携帯電話での青少年ふくむ市民のそういう情報への接触をできるかぎり防ぐのが行政権としては当然の義務だと思うが。全国二番目にエイズ患者が多い県であることを深刻に考えないと、いずれは県北地域にもそういう人が、土浦から水戸を経由してふえてくるだろう。

あのタバ高とミニスカ高生の愚かさをみているとこれは確率としても僅少ではないだろう。どうして子どもがあんなにヤンキーなのかは分からないが。おそらく教育度が低い地域、学校や研究組織があまり多くない地域では下請けなどの商売に陥る割が高いので、その連鎖が子どもを内的増加率のたかい=発情周期の短く数の多くなるヤンキーへ育てがちなのではないか? よって茨大工学などの啓発、或いは知的水準の徹底向上はごく重要だ。ヤンキーがウイルスを広める確率は、あきらかにおとなしいタイプの場合より高いはずだ。偏見でもなく。
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by smartestone | 2010-09-04 07:57 | 政治 | Trackback | Comments(0)