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地域の改良

もうやりだしたので今度の機会だけど、茨城県が放映するPRとはすこし関係ないかもしれないが放送枠として有益なのは、15分くらいで解説込みの科学知識を撒く番組ではないか。

15分もとれねば、5分でもいい。毎朝が不可なら週に1回でいい。朝型の、たとえば以前でおはよう茨城やってた時間にでもみじかく簡潔にまとめた一個の科学法則を、わかりやすいかたちで簡潔かつ大衆的にまとめた枠が有用。

一度に勉学する時間がとれないひとでも、朝の5分だけ受動態でテレビみてれば賢くなる、といった習慣づけがよい結果をもたらす。

 ずっと以前、フジかどこかで『お厚いのがお好き?』という一般知識人向けの深夜番組があった。おそらく視聴率がとれないか面倒か、局内反発かで結構すぐ終ったが、あれに似た最先端の学識(これは筑波あたりに超過博士とかでかなり余っているのだから)の解説を、いまはやりの池上さん系のやつみたく最大限かみくだいておこなうのがよい。簡単な実験とかで。
民放は収益を的にしているのでこういう視聴率の最大化がみこめない番組は放映しづらい。スポンサーが県なら、いわゆる収益ではなく、公益に類する番組を流す方がいい。団塊とそのjr.世代の育ちであり好みなのか、とかく経済中心の市場教義を流す傾向がある。しかし國風にとっては必ずしもよい影響はない。
 常陸のくに辺の人々をより高等な人種にする、そういう番組を希望する。まだみてないからもしかするといまのもすばらしい枠なのかもしれないが、某タレント氏が東京あたりの人へ集客力めあてにこびるみたいな(風におもえなくもない)番組がどれだけ我々の役に立つのか。東京人に地域の風儀を荒らされるだけではないのか。

蓄財の為に國の品格を犠牲にするな、という品格イデオロギーをはやらせたのは某ベストセラー数学教授(っつか藤原正彦氏)だが、これにも一理ある。関東圏ではどう転んでも東京都あたりの人口飽和環境からえられる総量としての税収または総経済量(但し県民それぞれの個別または県の総所得はのぞく)をこえるのは難しい。これは巨視すれば中国と日本の、米国と英国の構図と同じこと。(一人当たりの生産性や所得、福祉具合にかぎってのみ文明度に先後の別がある。)
藤原氏がいいたいのは、「大事なのは國家の名誉」であり、「國家の繁栄では(必ずしも)ない」という武士道倫理の尊重ではないか。なぜなら永遠に繁栄した國家は今のところないから。ところが名誉は大抵いつまでも残る。
勿論これもイデオロギーってか理説なので別に真かどうかも分からない。考え方としては。

 結局、国際舞台、あるいは県際舞台でも、「とある特徴」ある形質を有用な方向へ維持している人物が、最大の経済大国の普通な人物よりも貴ばれるだろう、といったいわば個性主義政略な推測が、そこには介在しているとおもわれる。
よく藤原氏がたとえにだすオーケストラもそうだが、サッカーなどのスポーツでも、汎用性のある選手よりも特徴ある選手の方が高い値がつきやすいし、実際、重要なポジションを維持しやすい。汎用性がなくていいとはだれもいわない。しかし、それだけで一流選手だとはいいきれない。
単純にサッカーでいうと、ブラジル代表は個人プレーのレベルが異様に高い(超個性派ぞろいだ)が、基本能力も並ではない。基本能力、これは普通の人間でいうと経済力というはなしなのかもしれないが、この基礎体力の程度が並ではないのに加えた素晴らしい個性が一流の条件。

よって、経済主義の放送は必ずしも善ならず。それは県民の汎用性を高めるかもしれないが、個性の強化には多くのばあい至らない。
 地域限定の放送権がもし別にあれば、うえにかいた科学啓発の番組がいいとおもう。それが不足している能力の穴を埋め、また才能あるひとを他の地域出身者よりも高度な人材へのばしゆくとおもう。
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by smartestone | 2011-04-29 21:38 | 経済 | Trackback | Comments(0)

自家発電の条令案

(ツイッターとHP経由で)高橋氏がいってたガソリン発電機ってのはないってかCO_2問題からいっても単なる論幕っぽいけど、太陽光発電機の新築義務づけと改築助成なら普通にありえる範囲だとおもう。

特に南茨城圏はこれから人口増大と新規開発が確実なので、条令で自治体範囲でこれをやっても損失はない。寧ろ全国や全世界から尊敬される先勝政策っぽい。
空からみればわかるが、屋根ってのは全く無駄というか光あたるだけ意味ない空間だし、ソーラーパネルが瓦状に改良されればいまの家のかたちでも問題なくなる話。そういう技術進化を促すのでいい政策だとおもう。勇気がない人らには永遠にできないので放っておくしかない。
 保守的な人は頭が固まったからそうなのであり、放っておけば世の流れからとりのこされるのだから放っておけばいいのだ。自分自身が損害をこうむってみないと永遠に反省も理解も及ばない人には説得する時間が無益である。エネルギー政策もまったく同じで、後進地はとりのこし放っておけば自滅するからそれでいい。
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by smartestone | 2011-04-28 20:19 | 経済 | Trackback | Comments(0)

基盤施設の絶対高さ

市役所が率先すべきこととして、全ての危急用な基盤施設をすくなくとも市役所レベルの高さへ至急移動させること。これは時間がかかるものもあるだろうからすぐに。鴎は放っておいていいかもね。
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by smartestone | 2011-04-25 23:47 | 政治 | Trackback | Comments(0)

復興論

復興構想というものを政府主導でやろうとしているが、この地域ら辺の為に事前な忠告をねっておくと、ほんとうに賢い復興は『完全に民間主導』でなければ。

 社会主義国系の首都をみればわかるが、政府がおもにたって行った都市計画はわるい意味で冷たく、人間味がなく、暮らしづらい居場所となりいわゆるスラム化が進む。
例えば家をたてるときを考える。完全に家族構成やら細かな好みの違いを無視というか度外視して政府高官が自己満足度のために与えた計画どおりに家がたったとしよう。ところがこれには風呂便所も一緒だわパーティーのための洋風テラスがきわめて広いが洗濯する場所もないわだとする。社会主義系都市計画の使いづらさはこの‘使用者目線の欠如’にある。

この地域は今のところ復興税とやらが投資されそうな雰囲気はないが、それがもしきたとしても、政府、つまり市政の独断で使い道を決めさせない方がいい。そうではなく、できるかぎり民意を吸い上げる形、または直接各家庭か個人へ配分する形でこの復興財源を用いた方がいい。
普段から近くに買い物を足す場所がなくて困っていた人も、今にも崩れそうな崖の補修をしてもらいたい人も、のりあいのタクシー券を発行してほしい人もいる。数かぞえきれない需め;もとめがあるが、すべてを市政がじかに満たすのは至難。
だから、「社会基盤」とされる法的整備の域、つまり道路や河川や防波堤あるいは図書館や大学など公共施設やその法治の条例施行にかぎっては政府がじかに発注を行うのは構わないだろうが、それをこえてはいけない。こえれば都市の私生活はうまく働かなくなる。かもめを繋ぐな。砂浜は保全しても、かもめ自身を放っておけ。そういうこと。

もちろんこういった公営事業へも競争発注や、市民へすべての情報を最大限公開したうえでのはなしあいで詰めていく経過をとったほうが、政治というかいまの市長の独断で進めるよりうまく市民の幸福へ期する確率が高い。そうみれば民意の代理人としての市長には無私のみが徳なのだろう。

追記。
一例をひけば、磯原中央公園なるものが6月までにいちおうできあがるらしい。けど、あれも社会主義系の施策ってかいきなり上から目線でつくりはじめていきなりできたものだから、市民にとってすばらしく幸福な代物かって言うとかなりちがう。市長の自己満足かもしれないが、かえって周辺住民の一部は迷惑がっていることもある。あの空き地は、たとえばすぐ目の前に昔からある教員住宅にとって、また昔からの住民にとって目の保養というか唯一、「なにもない雑草の空き地」としてこの地域の原型をとどめていた希少な場所だった。駐車場にならなかったのは救いだったかもしれないが、今度はすぐ窓の目の前に公衆トイレが出現した。資産価値がおちるのみならず、すみごこちも以前よりはわるくなった。さらに、以前は雑草がしげってたので転んでもすりむかなかった遊び場だったが、今度はなぜかケチったか遊び場は土の広場になってしまった(雇用体系とみても芝生管理はいい高齢者向けの仕事とおもうのに)。ここで遊んでも土煙で学校の校庭とかわりないばかりか、行くにも道路をわたらねばならず、しかも道路に面してるのでまちがって飛び出したら死亡事故が起きるかもしれない(飛び出しに対応する計画ではないし、フェンスも気づかなかったかで設けられていない)。
 ‘トップダウン政策’型の公共施設は大抵失敗する(いわゆるコンクリート系箱物批判)というわけで、ここでも市民からの公募とか話し合いで詰めていく設計や発注競技をおこなわなかった業が明るみに出る。景気循環をはかろうと土建業にみつぎまくる結果、市内ではその末裔による暴走族ごっことか、学校の荒れ加減とか、或いは違法パチンコ店のもうけがあがり市政へ傘下(ママ)してくる。
 今度こわれた堤防あたりでも、或いは市の設備でも最大限の透明性のもと、審査過程も審査員の経歴もはなしあいの経過も結果もすべて公開していった方が「公共設備への投資」は巧くいくことが多い。なにしろ最も腐敗というか、土建票との癒着がおきやすい一点なので、自民党閥がよわまっているいまのうちにこういう慣習を身につけた方がいい。もちろん、この公募は公募で民意をすいあげた結果、中庸案にまとまりがちな傾向があってきわめてすぐれた君主による先見の明ある施策には及ばない場合もなくはないが、それは時と場合による。こういうワンマンな断固トップダウンが成功するのは絶超名君が出現し在籍できていたという一定期間に限るだろうが、割合とみればきわめて期間が短くその機会も少ない。すくなくとも、文化の働きとしてはボトムアップ(底上げ)型の施策も試みておく方がいい。それが通常の時点での良策につながっていく。
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by smartestone | 2011-04-20 12:34 | 経済 | Trackback | Comments(0)

日本人の性格

日本人の社会のつくりかたに因みがあるはずだけど、いざとなって日本人は‘集団にもたれる’‘一丸になりたがる’‘公共に依存する’傾向がとてもとてもつよい。或いは東日本の人のみの傾向ではない。日本人全般が、おそらく儒教と国学(要は国家神道。天皇教ともいえる)の影響でその達をひきずっている。

最も根では建国神話が皇祖をもとにしてきたことが大きいのだろう。そのよりかかる心を普段からいまの国歌(君が代)等ではぐくんでいるのだから、危機にいたれば非常につよくでてくる性格らしい。

 そこで理念とみても、独立や自由などの個人主義傾向への啓蒙を普段から最大限行う必要がある。極論すれば依存心がつよすぎる民族なので、個人主義のみが啓発されればいい。それで行いの傾きがちょうど普通の水準になる。
漱石や福沢がのべてきた理念はすべてこの日本人の性格の改善にかかわるらしい。根本では、皇祖崇拝への離反に至る心のありさまといってもいい。神道批判ともとれる。とかく、依存しすぎ機会費用が高くつきすぎる(つまり期待水準がたかすぎるのに比べ、さして公共人は役に立たない)のが日本人の同質系社会なのでできる限り独立型の人格をそだてあげる文化努力がいる。
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by smartestone | 2011-04-18 11:42 | 経済 | Trackback | Comments(0)

実証科学の習性づけ

市内の主婦層の間では非科学な迷信がとびかっている。具体的に何日へ余震があるというなんの根拠もない俗説、因果関係のあきらかではない鯨などの海洋生物の浜辺打ち上げとの確証偏見こみの関連説など。それがかれらの不安感をひどく煽っている様だが。

 こういう風に普段から強烈なほど科学で教育されていない市民というのは、危急時には簡単に俗説や風評へ流されてしまう愚民といえる。そしてこういう社会へあしき宗教説などがはびこってくる。

やはり今すぐ、科学の啓蒙を徹底せねばならない。自分にできる域のことは最大限おこなうが、最も合理なのは大学を建設することだ。共同体が運営する市立でも構わない。とかく市民が科学的に合理な行動をとれる様に普段の学習が要といえる。それがない場合、危急に陥れば一層状況はひどい。

教育されていない老人というのは、儒教圏では一層たちがわるい。頑固とも固陋ともいいがたくなかみのない、あるいは害でしかない権威をおぶせかけて少しも恥じることがない傾向がある。儒教はすでに日本国内、少なくとも北茨城市では害毒の方が大きい思想だと自分はみる。
社会の趨勢についてこれなくなった引退すべき老人が、迷惑をまきちらす言い分につかわれる思想な傾向が大変たかいが、現実にはそれがあるだけ社会へあたえる悪影響も大きい。その分停滞してしまうからだ。儒教は宗教とみれば信じる者がいてもかまわないが、すこしも学校教育や社会構築で‘必要な’思想ではない。

年上の悪徳もちがいた場合、この人物を批判してさっさと先に行くことが有用だ。儒教圏ではズルズルとこの人物の後を追うみたいだが、それも悪徳にすぎない。年寄りにかまってはいけない。経験則のたねとしても利用できなくなったらパスすべきだ。
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by smartestone | 2011-04-17 22:44 | 経済 | Trackback | Comments(0)

想定と業

http://mainichi.jp/photo/news/20110417k0000m040109000c.html

~~~以下引用
 ◇チリ津波が基準 想定外、高さ15.8メートル
 市によると、51年前に市を襲ったチリ地震津波の高さは5.5メートルで、これを基準に防潮堤を築いた。しかし、震災後に現地調査した東京海洋大の岡安章夫教授(海岸工学)によると、体育館を襲った津波の高さは壁の痕跡などから推定15.8メートルだった。4月11日、戸羽太市長が言った。「災害は想定しちゃいけない。常に最悪の事態を考えないと、大変なことになる」

東日本大震災で壊滅した岩手県陸前高田市民体育館。避難所に指定されていたため住民約100人が逃げ込んだが、生存者は3人だった。その1人で市職員の佐々木英治さん(38)や住民たちの話から「あの時」を再現すると、想定外の大津波に、なすすべもなく流されていった高齢者たちの姿が浮かぶ。

 ◇午後2時46分 
 強い揺れが襲った時、体育館内では県立高田高(同市)女子テニス部員15人が練習中だった。主将の金(きん)優里香(ゆりか)さん(17)は「ステージ側の壁がボロボロ砕けて落ち、天井の大きな照明がゆらゆら揺れて落ちそうだった。扉付近の部員がドアを開け、みんなで外へ飛び出した」と振り返る。

 直後に体育館に着いた顧問の川口倫(ひとし)教諭(37)は「体育館の中は停電して真っ暗で、フロアは砂ぼこりが舞い『安全じゃないな』と感じた」といい、生徒たちに高台のグラウンドへ向かうよう指示。部員の菅原美鈴さん(16)は「歩くというより2列になって走った感じ。余震のたびに立ち止まった。泣いている子が多かった」と語る。部員たちは午後3時すぎにグラウンドに到着し、津波の難を逃れた。

 ◇海抜3メートルに立地
 テニス部員と入れ違えるように、体育館には人が集まり始めた。目撃者によると、60代後半以上の高齢者が多く、車椅子の人もいた。市は体育館を避難所に指定しており、防災担当者は「体育館に避難し、津波の恐れがあれば高台に逃げる流れだった。ただ高齢者の場合、高台まで遠くて行けないのが実情だった」と言う。

 隣接の中央公民館に勤務していた佐々木さんがラジオをつけると「予想される津波の高さは6メートル」と伝えていた。「6メートルなら体育館に来るころはもっと低くなると思った。チリ地震津波(1960年)の高さなら、市の想定では浸水は1階だけで済むはずだった」。体育館は海抜約3メートルの土地に建ち、地上から2階通路まで約6.4メートルあった。

 別の市職員の女性(51)は義母(79)を体育館に避難させた。「チリ地震の時も津波は線路(JR大船渡線)までしか来なかったと聞いていたから『体育館2階に逃げれば大丈夫』というのが近隣住民の認識だった」

 一方、体育館近くで食堂を営んでいた鈴木邦夫さん(66)は車で高台へ逃げた。「避難所は体育館になっていたが、自宅と海抜が変わらないので逃げても仕方ないと普段から思っていた」

 徒歩で高台に向かっていた加藤りん子さん(60)は体育館前で、60代ぐらいの女性が「避難所はこちらですよ!」と叫ぶ姿を見た。集まっていたのは50~60人。加藤さんも声をかけられたが「高台に行きます」と断った。体育館を通り過ぎて振り向くと、さっきまで後ろを歩いていたお年寄りたちがいなくなっていた。「みんな体育館に行ったと思う。年配の人たちは、津波警報が出たら体育館に行くよう訓練(毎年5月実施)していた。私は昨年11月末まで福島にいて、訓練したことがなかった」

 ◇行きどまり殺到
 佐々木さんは体育館2階に続く外階段へ避難者を誘導。高齢者に手を貸し、車椅子の人は2人がかりで担いだ。「最終的に100人ぐらいだったのではないか」

 市によると、津波の第1波が堤防を越えたのが午後3時22分。海岸の松林が水に埋まり始めたのが同24分。階段の下で誘導中だった佐々木さんからも大きな津波が見えた。2階に上がると、みんなが「ここも危ないんじゃない?」と騒ぎ始めた。「ドン」と音がして体育館1階に海水が浸入してくると「わー」と叫び声がした。

 奥にある男子トイレへ人が殺到した。その先は行きどまりで、ぎゅうぎゅう詰めだった。佐々木さんは両足が「ぬれた」と感じた瞬間、津波にのみこまれていた。海水を飲み「ああ、これで終わりだ」と思った。「よく言われますが、本当に自分の子供たちの顔が思い浮かびました」

 水中で、同じようにもがく人たちの手足にぶつかった。もがくうちに鉄骨のようなものをつかみ、思い切り頭を突き上げて水面に出た。水かさは天井から約30センチの所まで上昇したが、水は少しずつ引いた。暗くて何も見えない中で「おとうさん、おとうさん」と女性の声がした。離れた所にもう1人、男性が生き残っていた。津波にのまれてから10分ほどの出来事だった。

 天井から長い髪の毛が垂れ下がっていた。どこかでうめき声がして捜したが、間もなく途絶えた。1階は水没したままで、何度も津波が押し寄せた。生き残った3人はずぶぬれのまま身を寄せ、一夜を明かした。

~~~


この例をひけば、市政が当初から主張している「想定外だったので」「なにせはじめてのことで」という言い分は全然正当性がない。防衛者の責務は市税をあずかる市場の胴元としてその市民の生命と財産をいかなる事由の前でも守りきることではないか。
 もし全滅したとしよう。そのあとで「想定外だったので」「なにせはじめてのことで」なら、一体なんの市政だったのか。今後きちんとおのれどもの業のわるさを反省し、想定はつねに最悪の事態を先取りしてもらう。それでも想定外のことがあるだろうが、少なくとも何もしないよりはましになることをみとめねばならない。

また、倭人はよく「一丸になって」と言う。鰯じゃないのだからそれは危ない。一網打尽ということばをうらがえせばそうなるわけだ。「一人でもいいから」というのが真理だと思う。たった一人でも助かる方が、全体最適化で全滅よりはまし。
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by smartestone | 2011-04-17 12:27 | 政治 | Trackback | Comments(0)

市長の情報基盤投資への業の暫定期間

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110416-00000008-mycomj-sci
http://journal.mycom.co.jp/news/2011/04/16/017/index.html

この記事でもわかるが、大抵20年以内には量子コンピューターの実用化がはじまると思う。技術は可能になったのだから真空状の最新規格光ケーブル事業まで進むにはそんなに遠くない。
これは筆者の推測だが。

今の市長が2億5千万ちかく市税から支出してあきらかに効果分の費用高な全面に(現行の)光ケーブル敷設したのは、今年が事業開始年度としても20年から内の効用関数しかない。それをこえた範囲では効果は逓減する。要は効率に劣る投資だとやはり思う。危機時にも1週間程度、電気不通で使えなかった。災害用ですらなかったのだ。いまからでも遅くない。より合理的な、(以前の記事も参照して)公衆LANによるリスク分散を計って欲しい。かわりにいますぐ、防災用の装置を購買したり開発せよ。いますぐ。これは市税が無限でないからこそだ。
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by smartestone | 2011-04-17 12:17 | 政治 | Trackback | Comments(0)

この例をはやく市政はとるべき

以前紹介した体育館内テント設置をはかるべき。

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ニュースで北茨城市内の避難所の様子をうつしてたが、まだやってなかったのかということだ。なんと雑魚寝でしかも磐城からの避難者も多数あり。仮設住宅入居までのつなぎとして100個くらい市内のみせや通販でかえばいい。かえないことはまったくないのだから、単純に怠けだ。現に避難所暮らしの人らの前で雇用ディスプレイなんかやってるばあいか? 本当に無能ともしごとが遅すぎるともいいようがない。市政は動きが普段からかなりにぶいが、こうなってもにぶい。

いまの地震でも市内への避難の警報もないし、ホームページでも確認できない。1ヶ月たってもすこしも改善されていなかったというわけで、結局これは行政の才能がない首長としかいいようがない。
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by smartestone | 2011-04-11 18:43 | 政治 | Trackback | Comments(0)

心理学

 うみべへ万端の警報機を設置しなかった(がゆえに逃げ遅れたひとがでた)のはどっちかといえば市長の私的な業であり、我々、普段から災害対策や備えを指摘してきた市のたみの責任とはいいきれない。これをまちがってほしくない。正直いえば私は豊田稔市長の娯楽出費で迷惑をかけられていた方なのだ、まじめに。普段から。
 この仮定に一理あるなら、社会心理学識として逆授かり効果となづけられる。つまり備えを怠ったつけをなぜか全体責任のもとで償いたがる後付け自己弁護の心理。個人的失政費用の全体責任化では、以前の一度目の失政時に重ねた二重費用が生じる。以前からないものより自分の責任で失ったものをより有り難く勘違いしてしまう、といいかえてもいい。
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by smartestone | 2011-04-11 06:29 | 学術 | Trackback | Comments(0)