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市内のちいさな水力発電所について

 http://www.neo-logue.com/mailmag/sample_vol39.html の
 津田大介氏の「メディアの現場」Vol.39メールマガジン記事によると、
 東京新聞4月2日朝刊の一面
「東電に安値で売電 最大117億円減収に」
という記事で、各自治体の水力発電所の電気つまり水力が東京電力へ売電されていた事実がスクープされていたという。

 東京都や神奈川県、群馬県と栃木県、山梨県に、これらのただ売り状態の水発がある、と。
 http://www.asahi.com/business/update/0313/TKY201203120753.html によると、北は北海道から南は宮崎県まで、全部で26の自治体が地元の電力会社に水発の電気を売っているらしい。
 ということで、水発からの売電が自由化されるべき、という趣旨の記事らしい。

 そこで、この市内の花園にある小型の発電機(浄蓮寺のうらてのがけ、すこしかくれたところにある)はだれが管理していて一体どこへ売電されているのか?
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by smartestone | 2012-07-20 22:13 | 政治論 | Trackback | Comments(0)

文化からの性格への影響

 わたしたちのもっている忠誠的で穏健主義な県民性文化は、おそらく県外のひとには大人しすぎるか冷静すぎるのかもしれないが、よい意味でひとつの個性であり特徴だろうともおもう。
 あれほどの大災害でも、避難所でおばあちゃんがひ孫にひとこと注意するくらいのはなしで、ほぼなんの混乱もみられなかったところにくらしてきたのであって、幕末の混沌のさなか最後まで親のいいつけどおり一意恭順の忠義を誓って上官である皇室からの命令、たとえ偽書であろうとその証拠とおもわれるもの(いわゆる倒幕の密勅)にそむかなかった徳川慶喜公が藩内でそだったのもそういう優等生的な性格をもっているひとびとのなかにいたからなのだろう。

この点がどうも、権力とは自分が実権を持って他人をだしぬき異民族をしいたげることであるとでもおもっている東京より西側のひとにはさっぱり理解できないらしい。
 というよりだれもが進化の終点ではなく相互参照をふくめ模倣や学習によって向上へのよりよいみちがひらかれるかぎり、状況が悪化するばかりなので決してみならうべきところとはおもえないが、かれらのもっている他人の長所への卑屈さがおなじ国民を心底立派だとは決してみとめたくないのかもしれない。
はっきりいうが、常陸国水戸藩のことそのものは孝明天皇まではごく重宝していたらしいが、その後の薩長支配による暴政へ迎合して一帯を冷遇されてきたともいえなくはない皇族だってそうかもしれない。実際われわれのもっているたぐいの、平和趣味の心象は想像だにできないはずだ。

 超がつくほど非常に猜疑心がつよく、つねに他人は力ですべての他者をむさぼるものであると感じているひとびとの心地には、特に関西広域連合圏で顕著なわけだが、おそらくは古くから都になったことによる商業主義の文化からの長い期間におよぶ心理作用への影響があるのだろう。
 それにくらべて、わるくいえば俗人には想定したり理解できないほど純粋すぎる、よくいえば高貴である、ほどほどにいえばすくなくともすれていない古典的な農業文化のなかにある茨城県域の世界観では、ひとが無償で忠義の一心から人助けをしたとしてもそれほど不思議にはおもわないわけだ。こうしてかえりみると、かつてまずしい松下幸之助を水戸の人があわれにおもってたすけた、というはなしもあながちつくりばなしではないはずだ。

 むしろ茨城県のひとびとにとっていくらか必要なのは、みずからの優等生的な長所はたもったままで、ずるがしこい重商主義の長所からもおのれにたりないところをならいとることだろう。
それはたとえば徹底的なライバルとの競争心とか、他人の領分さえ奪い取るほどの勝利への執着、ずるがしこいまでにおのれの身をたもつ自らの利益への執着、あるいはこまやかな気立てとか状況をみたたくみな機転、さらには内心とはそむいてでもふりまく愛想といったたくましい商人にみられる文化気質かもしれない。つまりは利にさとい、という『論語』では小人のよくない特徴とされている部分なわけだ。

 ある面からみればこういった特徴がほとんどない、というのは卑俗さからはなれている長所、武士としての教えからはぐくまれた貴族性、君子や紳士としての資質、道徳性ともいえるのだが、というか自分はそうおもって県のありかたを完全にきにいっているわけでおそらく今現在の東京都という大商業地が中心になっている大衆文化のもとで卑俗化しきったあらゆる世相に反してさえ真実そのとおりなのだが、そこにまったくもってたりていない、ほぼ存在していないかむしろさけられているふしすらあるのは「商魂」というものなわけだ。
 というか江戸時代までの世界観・学問観でいえば商業行為は人間界のなすべき仕事で最下等とされてきたわけで、これへの忌避感ににた行動形質が商業主義者から悪意をもって指摘されるとき、いいかえればいわゆる矢野新一による地域ブランド商品を売り込む気のなさ、つまり商売やる気なさへの理由のない侮辱罪、ならびに論旨をすりかえた風説流布罪である魅力といいかたをまったくうらがえしにしたたちのわるい誹謗となる。
もっといえば矢野新一という人物は、東京生まれで横浜育ちというからにはこれは推測だが、大阪商人の血を引く江戸っ子くずれの根っからの商売人かもしれないので、ご自分が一体どれほど破廉恥な風説流布罪で300万人へとんでもない犯行で迷惑かけているかなんてすこしも反省力はないはずなのだ。
 地域名を冠して恥知らずにも商材を売る気のなさ、がどこでどうまちがえれば魅力、という論旨のすりかえによる誹謗罪になるのだろうか。もし矢野新一に偏見的な恣意で調査させれば、商業国民が世界でもっとも魅力的、というはなしになるのだが。

 そもそも、かれのなかにはおのれの利潤を目的として貨幣取引による壟断行為をする商業というものを卑怯で賎しいものとみなす、といった歴史のながい国家で、とある階級が定着していた場所にはどこでもありそうな、貴族道徳のアイデアさえ頭の隅にもない可能性がたかい。
聖書にいわく、「金持ちが救われるよりラクダが針の穴をとおる方が易しい」。これすら、矢野新一には到底あたまのすみにもはいっていないアイデアだ。「君子は義にさとり小人は利にさとる」。いいかえれば矢野新一のあおっている魅力とは小人の特徴である。
キリストみたいな聖人君子を馬鹿にして、横浜(地域ブランド、なぜか言い換え魅力となづけて、きたいばらき出身の素朴な童謡詩人である一創作者の、商標権を侵害したご自慢の、地域ブランド商品ばんばん無断でうりまくっている盗用の横浜)、いってよければ俗悪きわまりないとしかいえない横浜にすんで調子に乗っているおひとなのだ。それはジーザス自身も困惑して当然の相手である。
 かまびすしい喧伝やあからさまな商業行為をいさぎよしとしない伝統的な貴族の風、武士道をそしって、みずからのためだけの銭儲けという利己的で卑しい仕事を意味もなくまねさせようとしている矢野新一だ。重々しらべてみたところ、この「小人鼓を鳴らしてこれを責めて可なり」の矢野新一が個人HPでひとりでやっているといっていい風説流布罪による風評被害の実態とはそれだけのはなしであり、調査対象が単なるうわさであるといった占い級の非科学性からいえば統計学も中途半端にかじっただけカイ二乗検定やってるとさえおもえない、矢野新一いわく、商材イコール地域魅力度、という到底なりたたない等式でもって、へんてこな商売中心目線系のはた迷惑をこえて犯罪でしかない風説と、偏見の自称ネット調査と、被災地へのはなはだしい風評被害を日々あたえているその風説流布罪ならび県への名誉毀損罪である。

 いずれ矢野新一が深刻でとりかえしのつかぬ刑罰をうけることを強く祈願しつつ、冷静に地域をふりかえるかぎり、これらの商業気質の発揮というものは儒教による教化のもとで、さらに政治階級である武家の専制支配下では徹底的に否定されてきた特徴だろうから、のばすのがむずかしいにせよすくなくとも、職業的に経済活動を専業化しているいくらかのひとがみにつけるべく努力した方が、おおきくみて「中庸」「中道」に一帯の世界観をちかづけることになるのも、あるいは一理あるとする。
 おそらくひとつこの面でのきっかけになるのは、天職思想: calling、というprotestantismのなかにみられるかんがえかたかもしれない。それはカルヴァンによって定義されているが、「救いをえるためにはみずからが天からあたえられた職にはげむしかない」、というアイデアだ。そうしてたまった利潤は決してみずからのためではなく、キリスト教倫理をまっとうするため、いいかえれば世のため人のためにつかわねばならない。
 このアイデアがイギリス帝国勃興にとってはかぎとなってきたことは『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』にあるとおり。資本主義として世俗化してしまってからは質がちがった議論になったが、アメリカでさかえることになった金融業の正当化さえもとはといえばこの救済、みずからが社会の役にたち救われているという確信をえるための、日本でいう封建時代の分限道徳の様なところに起源があった。そしてそれは分をおもんじる、すでにある儒教の世界観とも相性がいいはずだ。
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by smartestone | 2012-07-19 22:49 | 経済論 | Trackback | Comments(0)

東海村長の格調高い宣言

以下 http://ibjcp.gr.jp/?page_id=227 より転載
―――

●東海村長・村上 達也さんからのメッセージ

志位委員長をお迎えしての日本共産党演説会のご盛会をお慶び申し上げます。

さて、東日本大震災、福島原発事故の後、本当に呆れた政府、情けない国だとつくづく思っています。
特に原子力政策に至っては、何ひとつ新しい方向が打ち出せず、というよりは原発事故に蓋をして、まるで災害がなかったが如くにしてまでも利権集団の利益擁護に血眼になっているのですから。
政府がやっているのは電力会社の利益のため茶番劇を演じてまでの原発再稼動、そして原子力偏重のエネルギー政策の失敗の付けを国民に転嫁する電気料金値上げばかりです。
原発事故で被災し避難している福島県民の救済は全くそっちのけです。呆れるより怒りを覚えています。

私は30Km圏内に100万人が住み、かつ首都圏唯一の東海第二発電所の再稼動中止・廃炉を政府に求め、併せて福島県を除きますが全国の原発立地市町村の首長として只一人脱原発を提唱しています。
そして去る4月28日、三上静岡県湖西市長、桜井福島県南相馬市長、上原前国立市長らと呼びかけ、70数名の市町村長の加入をもらい「脱原発をめざす首長会議」を立ち上げて参りました。
東京の城南信用金庫本店で開催された設立総会では志位委員長からも直接激励を頂きました。お礼申し上げます。

私が脱原発を唱えるのは、目先の経済的利益ばかりを求め、そのためには生存権などの基本的人権さえも抹殺して突き進む原子力ムラの権力的な文化、その体質に長年付き合ってきたがためです。
その発端は約13年前の東海村JCO臨界事故にありました。
その時も、この国は原発を保有する能力、資格のない国だと思いましたが、フクシマ以後の現在をみて更に更に強く思っているところです。

この日本で政治家や官僚、財界人や学者をみれば失望ばかりですが、今私は大いなる希望を抱いております。
それは原子力一辺倒の国策に対する民衆の戦いの盛り上がり、それは安保闘争以来、いやそれさえも超える民衆の戦いが全国津々浦々に巻き起こっているからであります。
これを私は、明治時代初期の古い言葉ですが民権運動、「国権」に対する新たな「民権」の戦いと評価しております。
今や国民世論の80%は政府に対し脱原発によるエネルギー政策の転換を求めています。

東日本大震災、福島原発事故を体験した私たち日本人には、世界の70億人の人々に対し脱原発を達成する責務があります。
そして又、原子力発祥の地である茨城県は、その先陣を切る義務と権利があると思います。
本日の会議が大飯原発再稼動後の野田政権の反動的流れを堰き止めるものとならんことを期待し、そして祈り挨拶といたします。

―――

 以上引用したが、東海村長のおっしゃるとおり、われわれ茨城県民が全国民に先駆けて廃炉を決断する事が日本を救う。というより、茨城県民にはすぐとなりで世界最悪といっていい大公害がおこったかぎり、一切の再稼動廃止、きっぱりと国からの交付金麻薬と縁を切る、勇気ある先導役を率先垂範で決断し、第一に達成せねばならない責務がある。
 それがみずから最新技術をためしはじめた者のもつべき誇りだろう。雄々しく進歩しようとするかぎり、人類には失敗するときもある。だれでも失敗しえるのだ。重要なのは失敗ときづいたときにごまかさず、冷静におのれ自身を反省し、間違っているとわかったならきっぱり改める事だ。君子は豹変する。
放射能汚染で犠牲になる世界人類の未来をすくうためだ。このさい、手段はえらばない。日本一国でおさまる問題ですらなく、いまより放射性廃棄物をこのちいさな島から地球中にひろげない為にはなにがなんでも、まず自分たちからそれを達成するしかないのだ。先ず隗よりはじめよ。

 原子力発電所は、いわれてきたほど決して効率のよい発電機でもなければ、ひとたびさけられない自然からの影響で大事故になれば手のつけようのない大災害をひきおこすパンドラの箱だった。さらには持続可能性、もつ性能をもっているわけでさえない。廃炉する時期がさきのばしにされるほど汚染物質がたまりつづけ、それを冷却する費用がますますかさむといった「ながいめでみて不経済な」発電装置だったわけだ。
元請けである株主からみれば、下請けにあたる製造者である、加圧水型原子力発電所の三菱重工業、沸騰水型原子炉の東芝やアメリカのGEとくんでいる国内製造業者の日立にも、国民すなわち国家をつくっている主権者自身の国内政策への態度が、最低限でも国内でこれ以上増産をするかどうかの意向へもっぱら方向性をあたえるのはまちがいない。
 というより、民間需要としての依頼がなければあれほどの費用と手間がかかる大規模装置は生産されないはずだから、なにもそれをつくらなかったからって伝統と信頼実績のある安心の日立製作所や東芝、三菱重工業といったこれまで原子炉製造にhigh technology面で貢献してきた会社法人が即座につぶれるわけでもなし、そのままおとなしくすくなくとも国内分の原子力発電所製造の関連産業分からは撤退すればよいだけなのだ。簡単にいえばこれから国内ではつくらない、これだけのはなし。
 なおす分はこわれてきたらあぶないので必要なだけなおさなければいけないわけで、否定しない、というよりできないけど。

 それにしても、現に賢慮ある東海村長殿が脱原発技術、というあたらしいことばで構想しておられるとおり、廃炉にかかわる技能やそれまでありつづけるしかない原子炉システムについては即座に需要が消滅するではない。というか、はっきりいえば合理的で経済的な廃炉技術を開発するといったあたらしい分野にむけて進んでいった方が、すでにできあがってしまっているものをほぼ自動で維持しつづけているだけよりも、はるかにかずおおくの有効需要が、下請けにあたる関連産業すべてに発生するに相違ない。
要するに、原発をやめようとすることさえ「とかくもっこをうごかす」「ふねをみがかせる」「うまくいかなかったピラミッドをつくりかえる」様な、いまの大不況時にごく景気回復へききめのあるケインズ政策なのだ。安心さえ買えるわけだから、日本最大の機械製造業者であられる日立製作所様には是非とも方針転換系の新事業をおねがいしたいものなのである。
 国際的なシェアについては、いまだに途上国のあらゆるところでふえつづけるしかない需要や、これはいいすぎでなければ是非ともという特別注文の依頼がつきないので、絶対にもう二度と事故をおこさせないという「安全技術面で貢献できる」ことはまだまだ器用な日本勢にはあるはずだ。
勿論、われわれ茨城県民が、すなわち日立製作所発祥の地でなおかつ東洋における原子力発電発祥の地でもあるところですべきことは、「ひとびとが原発なんてもうやめたいとおもった」ときにはすぐさま、もっともよいてだてで廃止できる技術をさきにつくっておくことだろう。つぎつぎ濫造したがっていて、たとえ日本の製造業者だけが手を引いたところでとめられない途上国からはまだまだでてくることになる、世界中でうずつもっていくほかない放射性廃棄物のもっとも安全な処理に関するそれもふくめて。
 しかも、(http://kamomenome.exblog.jp/16416709/ 「夜間の過剰電力のための原発」) にみられるとおり)発電量がとても調整しにくいので夜間電力の過剰化にしか役立たないとなれば、これから少子化がおこるのだから国内での大量の電力需要がみこめているわけではないかぎりできるだけはやく手を引く方がすべてにまさって賢明といわざるをえない。

 先憂後楽という水戸光圀公の座右の銘を、今一度おもいかえすべきだ。茨城県は全国民から勇気をたからかにしめすことを、いまこそ期待されているのだ。ひとびとをがっかりさせてはいけない。名誉をえるか、それとも敗北かだ。間はない。

問題をさきおくりにしたところで、どちらにしてもつぎの世代が廃炉に向けていくしかないのならば、善は急げ、というほかない。

大事なのは、中途半端ではなく、このばあいとりかえしのつかない祖先伝来の郷土を永遠にうしなうという大事故の危険性がつねにめのまえにありつづけるかぎり、中庸さえなく、県政の原子力発電事業の継続に関する意志をはっきり国家といういまの体制いいかえれば、「主権者である国民自身へ」しめすかどうかだ。世論もそれを支持するにちがいない。
このばあい、すでに大規模なデモが都心の官庁あたりや代々木で何度も起こっており、やむ風向きがないかぎりはっきりときりかわった世論のながれの風下にある経済産業省の動向については、皇統に象徴された日本国の中央政府の永い権威を重んじる茨城県民のひとりなので個人的には軽視するはずはないが、とりあえずひとりの意見の自由をもつ国民とみれば除外していいはず。
なぜなら、もし省庁がこれへ無理にさからおうとしても、つぎの選挙でこういった争点の処世にいずれたくみな穎脱エイダツの小沢氏をふくめて原発をやめさせようという積極性をもったちがう政権にかわっていくはずで、官庁はきりかわったあらたな経産省長官のなすがままにするほかないのだから。再稼動さわぎについていえば、さきにそれへさとれるかどうか、に関の東西で理解力へ一頭の差があっただけかもしれない。

 所詮、国つまり国家という体制さえ個々の国民があつまってつくっているだけなのだから、国家ということばは幻想にすぎず、実態はただの国民みずからが団結するというときの姿勢やこころざしにすぎない。特にrepublicや、民主政にちかい民衆支配状態のもとでは。国とは一帯の文化がもっているなにかをするときの雰囲気、のりでしかない。
現実にする行動といえば原発という維持していくのが不合理とわかった事業体そのものを減らしていくしかないにせよ、それとは別に、国民をひとまず安心させる結果になるので理念の上ででもいいのであるから、尊敬すべき東海村長のごとく、「はっきりやめると決断をしめす」かどうかで男として天と地の差がある。これはわらうところだが、東京都知事とは格がちがうところをみせつけるべきである。
 人事を尽くして天命を待ち、いずれひとは信じる道をすすむほかない。
 水戸学がつたえるところに報本反始、ということばがある。その思想をうみだしてきた県の北端のちいさな市民でしかない自分の常識が、身近にまきおこされたこれまでの隣接自治体での事故後の経過ならびに状況をみあやまっていたのではなければ、最終的にわが県知事殿は、あるいは未来の運命をにぎっているこどもをふくめ11万人が現に署名した個々の茨城県民の意思をどう尊重するかと同様に、無数の史跡や文化財、国宝級の文物をふくめて、歴史や伝説に事欠かないきわめて有名な県都である水戸市というまこと格式高い土地がこの決してひろくはない日本、もしくは地球そのものから将来破滅するかどうかにさえ、致命的な決定権をもっておられるのではないだろうか。

 無論、なんらかのこれらとは質のちがう方針であっても立場がことなればはかりしれない最大の熟慮のうえだろうから、以上の論旨でもって北茨城市民としてできるかぎりその決定が持っている合理性や不合理性への意見はするが、いずれ別の説得方法をもちいるなり、みずからがえらんでいる公権力である県政の方針そのものへは一県民としてさわがずしたがうつもりだが。
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by smartestone | 2012-07-19 19:33 | 政治論 | Trackback | Comments(0)

夜間の過剰電力のための原発

 以下の資料からよみとれるのは、原発が電力会社によってつくられるおおきなわけは、「夜間電力を余剰にするため」ということになる。つまり、その原発がまかなっている電力の大量消費地、具体的には東京都と神奈川県の夜間電力をおおはばに節電できれば、費用負担は決してほかの発電量を調整できる方式で不可能ではないばかりか、総合的にはあきらかにほかの発電源をつかった方が効率がよい。
 いいかえれば原発でなければならない必然性はない、ということだ。それがあっても本来不必要な夜間電力が過剰になってしまって、揚力発電所までつくらねばならず、むしろ総費用がたかくなることが資料からわかる。
 さらに事故後の現実をみればどちらかといえば、地震国や津波のありそうな海岸立地、あるいはテロリズムなどをこうむる可能性での首都圏事故リスクによる損害額の方があきらかに、たとえば火力発電所のばあいより短期・中期・長期すべてに於いておおきい。これは原子力発電所のひくい経済合理性という真理について、明白な知識らしい。

 出典が責任をもてる個人(立命館大学国際関係学部教授の大島堅一氏)なのでこの資料の信憑性がもし十分にたかいとすると、原発・火力・水力・揚力の発電所のなかでは、水力発電所が、もっとも単価あたり発電効率がいいことになる。ダムをつくって自然破壊するのをさけようとすれば、それを最大限に安全にしたうえでこまかく用水路などに配分して多元分散型にすることがいいのかもしれない。実際、花園にも目立たないが、ひとびとにはみえないがけのうらの滝に水力発電機がある。

以下引用
―――
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立命館の大島堅一教授が、電力各社の「有価証券報告書総覧」を基礎に電源別費用を算定

費用は、下記の3点です。
1.発電に直接要する費用(燃料費、減価償却費、保守費用等)
2.バックエンド費用(使用済燃料再処理費用、放射性廃棄物処分費用、廃炉費用)
3.国家からの資金投入(財政支出:開発費用、立地費用)

*事故の場合の被害額、被害補償額は含まれていません。

一番高いのは揚水ですが、これは、夜間などの電力需要の少ない時間帯に原発から余剰電力の供給を受け、下部貯水池(下池)から上部貯水池(上池)へ水を汲み上げておき、電力需要が大きくなる時間帯に上池から下池へ水を導き落とすことで発電する水力発電方式です。原発は細かい出力の調整ができないので、夜間に発生する電力を有効に使うために作られました。原発のためにある発電方法です。
この2つをあわせた、(原子力+揚水)がもっとも単価の高い発電方法となっています。

[出典]立命館大学国際関係学部 大島堅一氏
(http://www.aec.go.jp/jicst/NC/iinkai/teirei/siryo2010/siryo48/siryo1-1.pdf)

小出氏が説明している動画 (01:06:00くらいから)
(http://www.ustream.tv/recorded/13897618)

―――
以上の引用は http://kingo999.web.fc2.com/instant/tanka.html より(傍線筆者)
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by smartestone | 2012-07-19 13:47 | 政治論 | Trackback | Comments(0)

被曝検査義務は東京電力にあり

http://kamomenome.exblog.jp/14825315/
「東京電力株式会社が終生責任を負うべき人数」
の記事で過去の人類の経験値から計算される被害の発生率によると、最悪のばあいで1%の新生児への先天性障碍の発生確率上昇の可能性がある。
 具体的な人数にすると、50年間で最悪の場合で139人の先天性障碍児が、東京電力株式会社がひきおこした大公害事故によって市内にふえる可能性がある。いいかえると、最悪の場合2011年3月から~2041年か2061年まで(つまり最低でもセシウムの半減期がおとずれる30年間か5万人の市内全人口が世代交代ですべていれかわる最大で50年間までのあいだ)、毎年2、3人ずつ新生児のなかに先天性障碍をもった子がふえていくかもしれない。

 よって、国民は東京電力株式会社をあいてどって、先天性障碍や癌が胎内被曝や身体被曝によっておこった可能性がある全員へ、その心理的ならびに生活被害への賠償をさせるべきだ。国民のいのちを犠牲にしながら利潤を儲けてこえふとる悪徳企業につけあがらせ、のさばらせてはいけない。これは良識の問題なのだ。

 東京電力株式会社が大公害の原因でしかありえないのだからその法人へ、被曝した父母と子供の全数、かつ希望者全員へ、義務として被曝検査を公害事故発生の責任としておこなわせるしかない。なぜか法人格なのに、未来の子供のいのちにかかわる大公害からにげだしてこの国土を大規模に破滅させたうえ、さらに賠償費用を下知ろうとしているが、ありえない対応だ。
 こういうあたりまえの責任の義務からさらに逃げ手を打つ様なら、個人のみならずNPOや医療機関、教育機関も団結して行政訴訟まで視野にいれねばならない。福島県、栃木県、群馬県、宮城県、あるいは千葉県や埼玉県を入れる南関東のすべての県や岩手県、山形県、新潟県はては避難者をうけいれたすべての自治体までこの被害を受けたから団結できて当然だが、公害をおこしたのは東京電力株式会社であり、市民にはなんの責任もないのだ。こどものいのちを奪われる理由などどこにもない。
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by smartestone | 2012-07-19 12:25 | 政治論 | Trackback | Comments(0)

常磐圏の方向性

 だれも指摘しないみたいだけど、動物は20km圏内の放射能管理エリアにでいり自由だから、そこで大量に被曝してから生態系にはいりこむことがたやすく予想できる。
 魚、鳥、獣、虫、微生物。植物をたべた動物らの糞によって、環境の表層にはいりこむはず。

 この長期的な人体への影響はかえりみられていない。放射能による「長期的被曝」がかなりゆっくりと、そのまわりにひろがっていくということが当然予想できる。半減期の差(*1)によって、特にセシウム-137とストロンチウム-90が問題あるといえる。そのなかでも、放射性セシウムは成人が100mSvより被曝すると(年少者はその4分の1~6分の1、つまり25~16mSv以上といわれる)確率的に甲状腺癌をひきおこす、といった臨床例がある。安全なヨウ素の同位体として、のどにある甲状腺があやまって吸収してしまうから。発生確率は受動喫煙と同じ程度の0.55%~1.08%前後(*2)。
 これらによる影響が半減する最低でも30年間、食料自給率に特別な配慮をしてでも、できればちかばから自然のたべものを極力とらず、それよりできるだけとおく、ひとまわりそとから輸入してとりいれた方がいい、といわざるをえないだろう。このはじめの30年さえやりすごせば、というのもほとんどの動物はそれより寿命がみじかいわけだから世代交代がおこり、被曝した動物がひきおこす生態への壊乱もほぼおさまるだろう。(*3)

 そこで、むしろおもにきたがわの常磐圏では食料自給率の必然的な低下に比例して積極的に第一次産業からの脱却をめざしたらいい。最低でも第二次産業以上のホワイトカラー職、特に、日本が国際的には劣勢になっている状態の情報産業がわへとかじをきっていくほかない。この点でいえば、むしろ今回の大公害の責任のかたぼうをかついでいる国政にもちかけて、集中した国策でシェアをとられてきた韓国の市場をおいあげおいぬく、常磐圏が国際的なリードをとりつづけるといった大規模目標をかかげていけばいい。
 これからしばらく食料は輸入せざるをえないので、購買力、つまり一帯の「ひとりあたり所得」をどんどんあげねばならない。アメリカでいうシリコンバレーみたいなものに、いわき辺をしていくべきだ。ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズ、マーク・ザッカーバーグ級の稼ぎがある人物をどんどんうみだせねばならない。

 将来的には、通常たちいりできないことになった原発20km圏内は人家がまったくない、という条件をこのましさとして逆にいかして、宇宙船やスペースシャトル、衛星の発着場としてつかう構想がある。はまどおりは宇宙基地にする、というのが当然ありそうなちかい未来だ。もともと、これは騒音問題がすさまじいので人口密度のたかいところでは不可能だったので一石二鳥ともいえる。


―――
*1
各放射性物質の特徴。
ヨウ素-131     β線、γ線(キセノン-131変化後)   半減期 8.04日
セシウム-137    β線、γ線(バリウム-137変化後)   半減期 30.1年
ストロンチウム-90  β線のみ               半減期 29. 1年
プルトニウム-239  α線のみ              半減期 2.41万年

各放射線特徴と距離
α線 : 質量が大きく、正電荷を帯びているため、水中では通常短い距離(1 mm未満)しか進めません。紙1枚でもアルファ線を容易に止めることができます。従って、アルファ線被曝により健康影響が現れるのは、アルファ線を放出する物質が体内に摂取された時(体内被曝)のみです。
β線 : アルファ線と同様、主な健康影響が生じるのは体内に取り込まれた場合です。
γ線 : 人体の深部まで透過できるのでがんの放射線治療に広く使用されてきました

下記参照
■原子力資料情報室 http://www.cnic.jp/modules/radioactivity/
■財団法人放射線影響研究所 http://www.rerf.or.jp/radefx/basickno/whatis.html

*2
http://www.nsc.go.jp/info/20110526.html
(http://megalodon.jp/2012-0719-1105-11/www.nsc.go.jp/info/20110526.html)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110501/dst11050107010003-n1.htm
(http://megalodon.jp/2012-0719-1108-58/sankei.jp.msn.com/affairs/news/110501/dst11050107010003-n1.htm)
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*3 自然淘汰をかんがえれば、どこかが癌化して不健康になっているか、または影響をうけやすいごく幼い胎児か卵生時点で被曝した結果、奇形化した動物は健康な個体にくらべて不利なゆえいきのこらないので、基本的に浄化されていくはずでその点、中長期的な自然環境そのものへ問題はないはずだ。ただし、海底や地上の植物や土にのこった放射能については、半減期のきわめてながいプルトニウム-239(とおくまでとびづらいという説がある)へは経口摂取しない様に注意深い観察経過がいるだろう。
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by smartestone | 2012-07-19 11:20 | 政治論 | Trackback | Comments(0)

低線量放射線の健康影響について(引用)

http://www.nsc.go.jp/info/20110526.html
(http://megalodon.jp/2012-0719-1105-11/www.nsc.go.jp/info/20110526.html)

低線量放射線の健康影響について

平成23年5月20日
平成23年5月26日改訂
平成23年9月8日改訂
平成23年10月24日改訂
原子力安全委員会事務局
標記に関する原子力安全委員会の考え方について説明いたします。

 放射線の健康影響は、「確定的影響」と「確率的影響」に分類されます。

 「確定的影響」は、比較的高い線量を短時間に受けた場合に現れる身体影響で、ある線量(閾値)を超えると現れるとされています。比較的低い線量で現れる確定的影響として、男性の一時不妊(閾値は0.15Gy、ガンマ線で150mSv相当)や、リンパ球の減少(閾値は0.5Gy、ガンマ線で500mSv相当)があります。100mSv以下では確定的影響は現れないと考えられます。

 一方、「確率的影響」には、被ばくから一定の期間を経た後にある確率で、固形がん、白血病等を発症することが含まれます。がんのリスクの評価は、疫学的手法によるものが基礎となっています。広島や長崎で原子爆弾に起因する放射線を受けた方々の追跡調査の結果からは、100mSvを超える被ばく線量では被ばく量とその影響の発生率との間に比例性があると認められております。一方、100mSv以下の被ばく線量では、がんリスクが見込まれるものの、統計的な不確かさが大きく疫学的手法によってがん等の確率的影響のリスクを直接明らかに示すことはできない、とされております。このように、100mSv以下の被ばく線量による確率的影響の存在は見込まれるものの不確かさがあります※※。

 そこでICRPは、100mSv以下の被ばく線量域を含め、線量とその影響の発生率に比例関係があるというモデルに基づいて放射線防護を行うことを推奨しております。また、このモデルに基づく全世代を通じたがんのリスク係数を示しております。それは100mSvあたり0.0055(100mSvの被ばくは生涯のがん死亡リスクを0.55%上乗せする。)に相当します。

 なお、2009年の死亡データから予測された日本人の生涯がん死亡リスクは約20%(生涯がん罹患リスク〈2005年のデータで予測〉は約50%)です。また、その評価の基礎となった2009年度の全国のがん死亡率は10万人あたり約270人でしたが、都道府県別では10万人当たり190人~370人程度でした。

※原子力安全委員会では、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)及びICRPの文書から、その根拠となる部分を「低線量被ばくのリスクからがん死の増加人数を計算することについて」として抜粋しました。(平成23年9月8日)

※※ICRP Publ. 99「放射線関連がんリスクの低線量への外挿」では、第2章疫学的考察において、「数十mGyオーダーの被ばくに関連した過剰がんリスクの直接的な疫学的証拠」として、X線骨盤計測により放射線に胎内被ばくした子どもに関するいくつかの症例対象研究をあげていますが、「これらの胎内被ばく研究の解釈をめぐってはかなりの議論がある」としています。
出典:ICRP Publ. 99 放射線関連がんリスクの低線量への外挿 国際放射線防護委員会
   ICRP Publ.103 国際放射線防護委員会の2007年勧告 国際放射線防護委員会
   放射線と線源の影響 2000年報告書 原子放射線の影響に関する国連科学委員会
   放射線と線源の影響 2006年報告書 原子放射線の影響に関する国連科学委員会
   がんの統計'10 (財)がん研究振興財団
   人口動態統計 厚生労働省大臣官房統計情報部編
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by smartestone | 2012-07-19 11:06 | 学術論 | Trackback | Comments(0)

高萩と協調すべき所

 高萩は第一学院(ウィザス高校)を香川真司選手が卒業した学校である、ともっと大声で喧伝すべきだ。
 世界的に有名なマンチェスター・ユナイテッドへ移籍したのだから、出身高校があるというだけでも相当の宣伝効果になるだろうし、さらに将来の有名人が名声に魅せられて来るという循環にも当然なりそうだ。
実際、ロケ地として福山雅治や堀北真希など有名人がおとずれる確率がたかい場所になっている。セレブリティの滞在を前提に市の再開発をかんがえるといいのかもしれない。

 高萩市政と現在積極的に協力すべきところは、長久保赤水の生家あたりを史跡としてととのえることだろうか。
足洗海岸が実質の立地だから、高萩市に行政区画ははいっているが、事実上は北茨城の南中郷駅から向かうというのが現実ルートで、駅前からの案内や整備もかりの行政のわくをこえて協力しなければうまくいかない。

 まえまえからくりかえしてるが、「多珂」と『常陸国風土記』に記述がみえる地域は、いまでいう常陸那珂よりきたがわだが、立地やひとびとのきまじめな対文化意識がほとんど一体といえる。
廃藩置県でいまの区画になるまえは実際ひとまとまりだったのだろうから、いまの区画はまことかりのものでしかなく、協調を前提にすすんでいく方が人口縮小にともなって行政の省力化のため、ちかい将来ありそうな自治体再編にも益する。規模のちいささからいっても対抗すべき地域同士ではまったくない。
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by smartestone | 2012-07-18 19:29 | 政治論 | Comments(0)

アートという文化財の魅力

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「アンブレラ」 クリスト 1991.10 茨城
 (引用元 http://blog.goo.ne.jp/1234toda/e/ab767a3a417a6367884981bcc5d9251f
 http://blogs.yahoo.co.jp/o_keke_nigel/30597182.html
 http://christojeanneclaude.net/projects/the-umbrellas より。©1991 Christo)
が常陸太田や美里であったはずなのだが、再生して「常設化」すれば半永久に集客力を発揮できるだろう。
クリスト・バージョンですでに雨によってとじるしくみらしいから、ソーラーパネル設置をかねて自動化するか、あけるかかりを雇用すればすでにある農業との調和もはかれるだろう。そもそも、これらのかさ状のすがたに「布状のソーラーパネル」をしつらえて、田園地帯にいわゆるメガソーラー計画として設置する、という前衛性もある。
『雨降りお月さん』、のうたとかさねて雨情型ソーラーとかなづけて北茨城が商標権とってやってもいいかもしれない。
 地域ブランドとは、すなわち関連商材などをよい意味でのめずらしさ、うつくしさ、きよらかさ綺麗さ、審美性の高いこういった特別ななにごとかと協働すればいいはなしのこと。

 北茨城市でいえば、チャンスをいかしてディズニー・レーベルとのコラボレーションをさぐること、これもはいるはずだ。既存の雨情や天心らにかかわる環境装飾との絶妙な調和点をみつけるのもいい。
 それによって、ディズニー単独ではおこないえなかったなんらかの特別なよさが地域にまつわるすがたででてくるかもしれないし、創作者としてのかれらにも素朴な童謡や美術への深い審美観(『もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。我々は我が芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。』といった)のアイデアがつたわって将来的な相乗効果: synergyが期待できる。

 ところで、とらえかたによってはこの天心による『茶の本』にみられるするどい逆説にみちた宣言は、「茨城」となづけて皇族による野蛮な侵略からおとしめられた地域特有の、平和を愛する誇り高い心情そのものの代弁ともよみとれる。古道といえば、こういったある特徴的な理念こそが特別な地域性の表彰なのだろう。
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by smartestone | 2012-07-18 14:02 | 経済論 | Trackback | Comments(0)

県政の課題

 県としての課題をいえば、いまはつぎの3点があげられるだろう。
1. 地域ブランドを強化して地域名にまつわる魅力度をあげながら、風説流布源の矢野新一を法で罰する事。
2. 県警が自動車盗難へ徹底した防止策を講じること。
3. 在日外国人による同性間性的接触によるHIV感染率をひきさげる啓発。
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by smartestone | 2012-07-18 13:25 | 政治論 | Trackback | Comments(0)