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極悪石原環境相の退治準備と革命権について

 指定廃棄物は、環境省はつぎ北茨城市に9割の確率でもってくる。以下の最終選定では北茨城市が現地調査されているからだ。
http://shiteihaiki.env.go.jp/q4.html
http://www.env.go.jp/jishin/rmp/attach/waste_fds-candidate_ibaraki120927-02.pdf
ここでいう北茨城市内の候補地a-2は「県立公園の特別地区に隣接しており、生態系保全上の配慮が必要」とある。これこそが、なぜ環境副大臣井上信治氏が高萩市にいくまえに、県庁によって協力を要請したかの、うらの根拠といえる可能性がある。つまり県立公園の特別地区という自然美をほこる大事な地域のすぐまわりを邪悪な日本国の極悪環境省のたちばで汚染するつもりで、県にうらてをまわし事実上の強制を国家が「ねまわし」したのかもしれない。もしそうなら、われらがやしなうわがくにの政府にあって、どれほど陰湿にして最低最悪の業だろうか。ここは市にとって死活的な一大観光地としての多様な動植物がくらす亀谷地湿原がすぐとなりにあり、形成された多層の群落ごと生態系の多様性と植物社会史を温存してきたひとのてがはいっていない自然林としての度合いをしめす植生自然度は10ランク中9と最高レベル、茨城県レッドデータブック希少種のタゴガエルも無数に生息している。しかもここへ指定廃棄物をもちこむために、邪悪な日本国は県立公園の特別地区だけではなく、こういった希少生物のおごそかにくらすわれらの大事な景勝地をふみにじっていくつもりをしているのだ。こんな災厄そのもの自然破壊環境省など単なる極悪のやくざ組織なのだから、わざわざわれらの金と労働の収益からやしなうくらいならむしろない方がましなくらいなのがまちがいない。
 まず絶対に反対。このためにはたとえ日本政府すべてをほろぼしてもいい。北茨城の自然は最高のレベルの美であり、それをよごそうと邪悪なことをするわるいわるい日本政府のすべての組織や、それどころかいのちより大事だからだ。北茨城の自然はわれらのいのちをはぐくんだ。われらが自然をはぐくんだのではない。
 原発はすべて東京都の搾取のためにつくられた極悪装置なのであって、そこからのよごれや廃棄物は東京都民がだしているのだから、東京都に最終処分場をつくるのが理の当然だ。カエサルのものはカエサルへ。これが実現できなければ、勿論国民主権なのだから、邪悪な権力濫用の極悪環境大臣石原伸晃をどんなてをつかっても絶対に罷免しなければすじがとおらない。そのおろかな悪性大臣がめしをくらう税金はわれらが懸命にはたらいてやって、はらってやって、いやしいばかりか最低きわまりない悪趣味の自然破壊大臣ごときでさえわれらへの奉仕者としてわたしはやしなってあげているのである。これは法律上もそう定義されている。日本国憲法15条「公務員は全体の奉仕者であって、部分の奉仕者ではない」。どれほどおおごえでこれを主張してもしすぎはない。

 国による発表以前に、徹底的に環境大臣でもある極悪人石原一族を、たたいてたたいてたたきつぶすべきだ。まず福島第一サティアン発言や、原発推進をしてきた搾取主体の東京都民で極悪人石原伸晃環境大臣である。
石原慎太郎
 ・「高速増殖炉は人類の夢。実現すれば世界的に大きなパテントになる」(2002年2/9『エネルギー・にっぽん国民会議』)
 ・「一部の反体制の人たちがたきつけて、日本をぶっこわしちゃおうということだろう」 (新潟県刈羽村住民投票でプルサーマル計画否決され)
 ・「投票にさらされることで計画が挫折すると、日本の産業経済は瓦解する」(2001年5月25日、定例会見)
 ・石原軍団渡瀬恒彦がNUMOの核燃サイクル推進CM「エネルギー資源が少ない日本だから燃料を繰り返し使える原子力発電なんですね」
 ・石原伸晃は原子燃料サイクル特別委員会副委員長

石原家の場所をつきとめて、すべてのマスコミをつかい日本の自然美の最たる北茨城市への、極悪東京の極悪会社がつくってもうけている東海第二原発からの極悪東京都のせいで排出されつづけている廃棄物おしつけの悪業を徹底抗議し、ばあいによっては東京都の極悪さを世界中すべての人類へばらすため極悪環境省や極悪東京都に抗議のため、われらが直接環境相宅や環境省内部、東京都におおやけに直接何度でも永久に抗議する具体的準備がなければならない。これは原発による極悪搾取という極悪石原一族および極悪東京都と、極悪日本国家政府のはなはだしい極悪行為の権力濫用をあばき、われらの国家の正義と責任のすじをとおすためである。わるいのはあいてなのだ。
 われらは、極悪人のあつまりである俗物東京都民や邪悪な日本国政府の極悪官僚あるいは極悪やくざの石原一家一族などの悪魔とはねっからまったく正反対にちがって、原発などいらない。天使としか形容できないわれら、天がいつくしみたまいしすばらしく偉大で世界最高の天性と、はるかな過去からはてしない未来にわたる永遠をたたえた北茨城になる繊細にして優美な自然にそだつだれもがうらやむはなばなしい天才、神のつくりし自然愛の資質と天真爛漫なやさしいこころをもつわれらは、当然原発からの廃棄物などもいらない。うつくしい自然があればいいのだ。

 もし原発とは一切無関係、なんの恩恵もうけていないばかりか、極悪東京と極悪日本政府のせいで放射能の深刻な被害しかうけていないかわいそうな、善良で自然美を愛するこのとうとばれるべき北茨城市に指定廃棄物の処理場を極悪日本国がつくろうとでもいうつもりなら、原発によって搾取してきた極悪皇居に直接、指定廃棄物の直接処分場をつくるのがこのよのすじというものだ。これはたとえいのちをうしなおうと、絶対にゆずれない一点だ。これほどの極悪行為をするつもりなら、そんな邪悪な天皇一族すら徹底してほろぼす覚悟をもつべきである。そんな極悪独裁者が象徴など、人類には害毒しかないからだ。

 極悪人である日本国政府と東京都そして石原一族を、われら聖なる北茨城市民は一丸となってどれほどたたいてもたたきすぎはない。それらのあいてはだれがどうみてもあきらかな極悪人だから、これは勧善懲悪の劇場だ。原発をつくりもうけているのは本社が東京都にある東京電力株式会社の筆頭株主でもあった東京都知事をしていた極悪の石原家、石原一族で、当然、北茨城市ではまったくないしまったく無関係だ。東海第二原発をつくってもうけている極悪の日本原子力発電はこれまた極悪の東京電力株式会社が大量に出資しており、またこれも極悪東京都にある。当然われらは一銭の恩恵もなく、今回の福島原発事故ですら最大の被災者でもある。東海第二原発? まったく無関係。そもそも大反対。それなのに、おのれが原発でぜにもうけばかりしてきたばかりか自然美を一切理解しない悪趣味きわまりない野蛮の俗悪ヤクザ石原伸晃という極悪人一家の最低最悪犯罪行為のしりぬぐいをさせられてはたまらない。
 北茨城市民はわれらの自然をまもるためいまここで決死の覚悟をきめ、極悪人石原一族をせめほろぼし罷免したうえ政界永久追放、極悪環境省そのものもわれらの国家から徹底破壊したうえ全廃することをかんがえにいれはじめねばならない。環境をまもるべきわれらへの奉仕者であるはずわれらのやしなっている環境省という政府機関が、なんとその「自然美」の最たる北茨城市という名勝をよごそうといましはじめているのだ。これほどの最悪の国家状態は、有史以来一度もない。いまこそたちあがれ。そして堕落した天皇をふくむ極悪の国家組織がこれをふせごうとすれば、そんな退廃しきった邪悪でしかない極悪日本国そのものもほろぼすしかなくなるだろう。これは革命権の行使として当然の人権ですらある。腐敗した政府組織を征伐、根底からかえねばならない。
 君主の交代と同様、これほど多数者政治と文民の質に差があるとき、不徳の民衆政府は有徳の共和政府にとってかわられるを得る。ここまでひどい衆愚政としての都政ならびに国政は、有徳の茨城県民によってもはや再統治されるべきだ。
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by smartestone | 2013-02-28 21:53 | 政治 | Trackback | Comments(0)

茨城県民むけただしい経口沃素剤配布・避難水準

原子力災害指針を改定 5キロ圏にヨウ素剤配布

 原子力災害対策指針の改定などについて議論する原子力規制委員会の田中俊一委員長(左端)ら=27日午前、東京都港区

 原子力規制委員会(田中俊一委員長)は27日の定例会合で、原子力災害対策指針の改定を了承した。甲状腺被ばくを防ぐ安定ヨウ素剤を原発の半径5キロ圏の家庭に事前配布することや、5キロ圏外の避難基準として周辺で測定される放射線量を毎時500マイクロシーベルトとすることが柱となる。

 5キロ圏ではヨウ素剤を原発事故後、速やかに服用。自治体が住民に服用を指示し、徹底する。

 改定案の意見公募は「避難基準の数値が高すぎる」など3千件超の意見が寄せられ、規制委は改定を1週間先送りした。
2013/02/27 11:43 【共同通信】

 この原子力規制委員会(田中俊一委員長)という国による基準は、かかる費用をやすくあげることを目的にしており、金を人命より優先させているのであやまりだ。命あっての金なのだから、あるべきすがたはまったく逆だ。つぎに理由を説明する。

 まず経口沃素剤の事前配布についてのただしい水準。普通のばあいでもまちがいだが、すでに多少あれ被曝している住民、国民、県民、市民への規定としては、国によるものはさらにあますぎる。最低でも避難が必要になるすべての住民、具体的には最低でも福島のばあいにそうされた80km圏内のすべての住民へ事前に経口沃素剤を配布し、万全のそなえをしておかねばならない。政府の機関なのだからこれは公務をになう全体の奉仕者として、おおやけの税金をつかっておこなうべき義務である。しかも、経口沃素剤というものはごく安価なので、原子力発電所による利益やそこからえられる税収にくらべ、どれほどくばってみたところでまったく損失にならない程度のものなのだ。ウィキペディアのヨウ素剤の項目によれば、原子力災害時の推奨摂取量(WHOの推奨値)はおとなで100mg。またアマゾンのNow Foods ナウフーズ ヨウ素 60錠入り Potassium Iodide 60 Tablets (海外直送品) 900円で4錠分なので、一粒15円×4なので、大人ひとりあたり60円が経口沃素剤をくばり原子力災害時に摂取させる費用だ。茨城県民を300万人とみつもって、18億円あれば十分足りる。そして東京電力株式会社の平成24年度第3四半期の売上高は、前年同期比14.0%増の4兆3342億円である。つまり、東京電力株式会社の3ヶ月分の利益のうちたった0.0415%だけの費用をあてれば、茨城県民全員に災害時に健康面での安全を提供できるのだ。原子力規制委員会(田中俊一委員長)は、非人道的なかねもうけ至上主義者であり、このとんでもないやすあがりのいのちをすくう費用すらかねほしさにけちるとんでもない人道の罪と罪悪に加担する我利亡者、または無知きわまりない佞奸の臣としかいいようがない。なお、日本原子力発電のばあいでいっても、2012年4~9月期の連結純利益は前年同期比24%増の209億円、売上高は9%減の762億円。このばあいですら、主権者である国民自身のいのちをまもるために最低必要な18億円は日本原子力発電株式会社の半年間の原発による純利益あたりたった9%、売上高あたりにいたってはたった2%である。これはもう明白な人道への犯罪といってもいい。日本原子力発電とは大公害をもたらす悪意満々の、永遠に歴史に記録して責め呪い続けていい極悪搾取法人といっていいレベルであるといえよう。この害に加担しようとする原子力規制委員会(田中俊一委員長)も、国家的国際的に司法裁判所にかけていいほどの極悪腐敗機関とよんでいい。全人類に対してどれほどおおごえでこのとんでもない悪業をおこなおうとするヤクザ連中の暴力を説明報道してもしすぎないといえる。

 あるいは、経口沃素剤の事前配布をふくむ避難水準については、「50ミリシーベルトでこどもは検査が必要らしい」によれば、50ミリシーベルトというのが、IAEAの国際基準で、こどもの危険領域である。
<甲状腺内部被ばく>国が安全委の追加検査要請拒否 毎日新聞 2012年2月21日(火)15時0分配信

 国際原子力機関(IAEA)は昨年6月、甲状腺の積算被ばく線量が50ミリシーベルト程度の子供でも甲状腺がんのリスクが上昇するとして、甲状腺の発がんを防ぐためのヨウ素剤服用基準を100ミリシーベルトから50ミリシーベルトに引き下げている。~【久野華代】

もしいまの国の新基準毎時500マイクロシーベルトだと、24時間で12000マイクロシーベルト=12ミリシーベルト、ゆえにたった4日でこの50ミリシーベルトという水準に到達してしまうことになる。今回の大震災の経験上、インフラがとざされて最低でも1週間は脱出に時間を要するはずだ。逆算すれば、
7・24・x=50000
168x=50000
x≒298.619≒300
よって、最低でも300マイクロシーベルト毎時、が前回の大災害と同等レベル(脱出まで事故発生から1週間)を考慮した最低限度の避難水準でなければならないはずだ。万一をみて、2週間の脱出期間をかんがみれば、
14・24・x=50000
336x=50000
x≒148.809≒150
よって、最低でも150マイクロシーベルト毎時、が周辺自治体水準での余分(脱出まで事故発生から2週間)の安全率をみこんだ避難水準でなければならないことになる。

 こうしてきちんと計算したかぎり、原子力規制委員会(田中俊一委員長)の基準はあの事故時でもはっきりしていたがインチキ国家としかいい様がない質であり、基本的に非人道的でほとんど信用できないレベルである。きちんと計算結果を国民自身がだして、てらしあわせてはじめてそのゆるすぎる安全率の程度がわかる。これは「たみ」をよらしむべししらしむべからずの時代からくる、あしき官尊民卑の弊害といえる。
 特に今後の検察と裁判にかかっており、まだ責任が曖昧にされているままだが、当時の枝野官房長官の真実と相反した虚偽報道とみなされるほかないニュースでのくりかえしの大本営発表。当時の菅直人首相の事故直後の官邸篭城、公務を濫用した休日豪遊によって主権者である被災者と被災地放置の業、現場を有害無益な時間帯にみにいく暴威によって国民へ不必要な分の大量被曝をさせたつみ。あるいは当時の原子力安全保安院西山英彦審議官の事故当時の乱倫行為による更迭。当然国民のものである税金をひびついやしていた原子力安全委員会委員長でありもと国立東京大学教授である班目春樹氏の水素爆発しないといったあまい予測へおきた最悪レベルの大公害事故という正反対の誤答。東京電力株式会社から最大の株主配当をうけていた原発災害の原因ともいえる罪深い東京都知事石原慎太郎がなんと大公害である人災をふくむ被災者への天罰発言、電気ガス水道のとまっているうえこれまで原発で東京に電力を供給してきた被災現地よりさきに己自身を優先させるいつもの東京ジャイアニズムによる極悪の計画停電措置、食料の不足した被災地をさしおきかいしめする都民の放置。などなどどう仕様もない低質な政府とつみの内容はその実例といえる。おそらくこれらはたまたま大災害でちらっとみえた氷山の一角で、これらよりさらにとんでもなくひどい悪の実例が日本政府または菅内閣、石原都政の内部にはかぞえきれないほど隠蔽されていたのだろう。
 人命より国税をけちる商業化した悪徳国家の甘言にだまされて原発災害への十分な対策やその先憂を、賢明な茨城県民は自主的にすこしたりともおこたってはならない。
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by smartestone | 2013-02-27 21:04 | 政治 | Trackback | Comments(0)

防犯灯

 青色または青白色の防犯灯が犯罪抑止に効果がある、と実証的・帰納的にいわれだしている。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG10014_Q2A011C1CR0000/
http://www.e.u-tokyo.ac.jp/fservice/faculty/sawada/sawada.j/sawada01.j.html
駅に青色灯、飛び込み自殺8割減 東大分析 2012/10/10 11:56

 東京大学の沢田康幸教授らは10日までに、駅や踏切などに取り付けた青色灯が列車への飛び込み自殺を防ぐ効果があるとの研究結果をまとめた。首都圏の71駅で2000~10年に起きた自殺のデータを分析した結果、青色灯を設置した駅は未設置の駅と比べ、自殺が平均84%減少した。

 沢田教授らの研究グループは青色灯のある11駅と未設置の60駅を対象に計128件の自殺の傾向を調べた。駅の大小などの条件も考慮したうえで、統計的に処理すると、自殺の発生に明らかな差があるとしている。

 青色灯には人間の気持ちを落ち着かせる効果があるとされ、防犯灯として設置する地域が増えている。鉄道会社が駅や踏切に設ける動きも進んでいるが、自殺者が減る効果を示す科学的な根拠はなかった。

 沢田教授らは青色灯はホームドアに比べてコストが低く、費用対効果の観点からも有効な自殺防止対策とみている。

プルキンエ現象か副交感神経への影響、沈静のセロトニン分泌効果がかんがえられている様。高萩駅前にもすでにあった様だが、えきまえの駐輪場あるいはコンビニまえ、学校まえなどにそなえつければ防犯性があらわれるかもしれない。
 茨城県全域でいえば、すべての駐車場にそなえつけることが第一に自動車窃盗をふせぐ効果があらわれる可能性がある。またHIV罹患率をさげるために風営法で規制された場所である水戸と土浦の一部、あるいは日本人のHIV患者は相対的にすくない茨城県ではこのおもな感染ルートでもあり風紀のわるくなっている外国人居住区の様な場所周辺にも、行政区が計画的に青色灯を設置するべき。そして鉄道会社と協議のうえ、線路ぞいにもうけることがとびこみをふせぐかもしれない。
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by smartestone | 2013-02-27 15:52 | 政治 | Trackback | Comments(0)

茨城空港のえらさと東京のわるさ

 極悪東京都民とNHK、中部国際空港がLCCを就航させるときはさもいいことかの様に偏見報道。
 ところが茨城空港がそれを首都圏のさきがけとしてすでに震災前、大々的におこない、現に首都圏の深刻な被災にもかかわらずひとびとをすくいたすけるためうごかせつづけた高徳の功績から、海外のローコスト・エアポート2011を受賞したことはまったく報道しなかった(豪シンクタンク、CAPA Centre for Aviation; Low Cost Airport of the year 2011)。
 東京都民は首都圏をになうほどの道徳性はない馬鹿者である。そればかりか、なんとかえってそれ以前の建設時に、なぜか茨城県税の使途を勝手に無駄だ無駄だといいながら茨城県民の主権者としての公益を完璧におとしめつづけて風評被害をあたえまくっていた。自分たち俗物連中は羽田がちかくぜにもうけしやすく便利なので、とうといわれら茨城県民の利便であるばかりか首都圏アクセスの補完として、自衛隊基地を民営利用するアイデアものの立派で平和的な近未来の茨城空港の偉大なすがたは一体全体、一方的にすさまじい偏見報道のむれでおとしめつづていいとでもいうつもりなのだろうか。いいかえれば、東京都民は単に低俗でみるめがなくおろかきわまりないばかりか、ねっから我利亡者の商売根性にそまりきった完全な悪人なのだ。東京都民は首都圏にあってまったく最低の悪友としかいいようがなく、ちかい将来おちぶれるのはみたところまちがいない。東京とは不徳かつ極悪の地域であり最悪の俗物のすんでいるあつまりなのである。いまのうち、賢明かつ良識的な優等生である茨城県民と茨城県は、まこと悪徳にそまりきっている邪悪な東京とは縁をきれるだけきり、そとからもわかりやすく首都圏社会でのたちばをとおざけておくべきだ。

茨城空港はアジア・太平洋地域でナンバー1のLCC空港
配信日:2011/10/20 22:15
http://flyteam.jp/news/article/5382

茨城空港はローコスト・エアポート2011を受賞しました。センター・フォー・アジア・パシフィック・エイビエーションによる2011年の最も優れたローコスト運営の空港やターミナルを表彰する部門で、アジア太平洋と中東地域で1位に輝きました。

2011年10月20日にシンガポールで開催される授賞式に茨城県の橋本知事が出席し、受賞の喜びをコメント。

いわく

「東日本大震災により被災した本県にとって,このような賞を受賞できたことは,大変大きな励ましとなります。・・・我々のめざしてきたものが評価されたものであり、・・・今後とも皆様が使いやすい空港づくりに取り組んでまいりたいと存じます。」(一部略)

とのこと。

今回の受賞理由に震災の被害を受けながら、LCCへ優れたサービスを継続して提供したことも評価されています。

震災当日は、成田空港や羽田空港が閉鎖したことから、茨城空港にダイバート便が到着。空港ターミナルビルの天井の一部崩落があり、春秋航空も不規則な運航を行いながらも、4月1日から通常サービスを提供していました。

関空でも本格的なLCCターミナルが着工されましたが、空港として先輩でもLCC空港としては茨城の方が先輩。これからもLCC空港として楽しいイベントや茨城ならではのサービスにも期待しましょう!

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 ちなみに茨城空港のテーマ曲は、北茨城市出身の石井竜也氏のうたう米米クラブの名曲『浪漫飛行』に専属契約すべきだ。すでにHALCALIのカバーもある。
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by smartestone | 2013-02-27 10:53 | 経済 | Trackback | Comments(0)

工学

 Solar panelを車体の天面にはり、停車時の室内温度調整にその蓄電力をつかう。
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by smartestone | 2013-02-25 15:39 | 学術 | Trackback | Comments(0)

関東北部と高萩の方策

 最終処分場は、栃木県と徹底連携し、東京都へおしかえすべきだ。もしおしつけてくる様なら、茨城県民は首都圏最大の電力の供給もとであり北茨城市内にすら株式会社パワーステーション茨城という15,000kWのバイオマス発電所が現にあるわけだが、その茨城県内での消費量分の生産量が100%以上(茨城県民の総需要50万kw<東海第二原発の総出力110万kw)と過剰なのですべて、東京都や神奈川県はじめ、関東南部で深夜需要がある東京圏へおくるためだけに発電されていることを科学的根拠にしなければいけない*1。つまり、核廃棄物の最終処分場は「法人格としての東京電力株式会社」、「株主としての責任主体である東京都」そして「電力消費地としての東京都」という3つの点から、かならずや東京都内にその東京都民自身の排泄物をかえさねば道理がたたない。なにがなんでも、だ。自分で自分のしりすらぬぐえない幼稚きわまりない阿呆で俗物の東京都と極悪の東京都民をせめるべきで、せめすぎは絶対にない。どれほどおおごえでどれほどこわだかでもいい。マスコミすべてをつかい、海外の主要メディアにうったえてもいい。いや、かならずや、永遠にうったえつづけねばならない。わるいのは東京都なのだから。
 地元自治体からのいい分をきかないばあい、具体的にそれらの廃棄物を、このうらみをはらす戦争の機会があったばあいにそなえダーティボムにしあげるための県政にのりだす必要がある。それがせめてもの、原発搾取でのうのうと暮らしてきている極悪東京都民への最終責任のとらせかただろう。
 最終的にききわけがないばあいは、公正無私にして善良な県民300万人の命をまもるべく、自民党政権と石原一族で計80万人程度の極悪我利亡者どもの勢を二度と復活できない様、根底からつぶすつもりでやるべきだ。目的は勧善懲悪。これは原発政策に対して距離をおいてきた脱原発派である茨城県北部の人にとって、今後の死活問題になりかねないから。

 また高萩えきまえのあき地は都市公園としてできるだけおおきなひろばにすれば、むしろえられがたいだけのぞましいつくりになる。中心市街地でもあるえきまえに広大な公園があるのは、計画してえられたわけではなかったにせよ文化のたかさでもあるといえる。

*1 引用元:世界の環境ホットニュース[GEN] 791号 11年3月28日
http://melma.com/backnumber_90715_5142774/
日本原子力発電株式会社、東海第二原子力発電所、発電所概要
http://www.japc.co.jp/plant/tokai/dai2top.html
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by smartestone | 2013-02-25 14:39 | 政治 | Trackback | Comments(0)

映画天心への2つの疑問

 映画天心は、岡倉覚三を有名にこそすれ、北茨城市そのものあるいは茨城県の地域振興や、よい印象づけとはなんら関係がなくなるのではないか。
 また映画が小中学生や、家族で安心してみられる内容にならなければ、市税という「全体の奉仕」のための財産を、一部のおとなの利益のためについやすのにすぎなくなるのではないか。
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by smartestone | 2013-02-25 10:24 | 政治 | Trackback | Comments(0)

茨城県民の地味な上品さ

 われらのもっている非俗物さは、いいかえれば素朴さだが、俗物さを媒介にした資本主義経済とは最適化しているわけではないわけだ。このわれらというのは、平均してみた茨城県民といえる。
 茨城県民の体力や学力は最上位にあり、県民所得や総生産も中くらいからたかい方で、首都圏にあるのにもちいえがおおく、かなりひろいにわつき一戸建てすまいは結構常識的でもあり、くらしむきにはゆとりがある。すばらしく綺麗な自然景観もいくつもあり、そして人口も比較的おおい。それにもかかわらず、県外のひとにはすこしも認知がなく、魅力がないとおもわれている。栃木県もにたもの同士かもしれないが、このわけは実感としても茨城県がなにかを外部へむけて主張するまでもなく自足しやすいほどめぐまれた適所であること、さらにそこにながらく適応してきたひとの温和さは、こういった「県外のひとびとの不幸な勘違い」に対して誤解をとこうとする意欲すら特段よびさまさないからなのだ。現実には特別に愛郷心のつよいひとか、一旦その外部にでてからじもとへの客観性をみにつけたひとにしか、これだけすぐれた場所柄を魅力がないとおもうほど趣味がわるく、茨城県への関心がない様な俗物への対策を講じたりもしない。総じて、この穏健さこそが茨城県民の平均してもっているある特質なのだろう。
 明治維新のときの水戸藩内の抗争は、『文明論之概略』によれば学問の宗教化の弊と喝破されているが、それすら山口県、鹿児島県で実際におきた激しい藩内抗争とはおもむきを異にする。山口では第二次長州征伐以来、非正規軍が正規軍を制圧してしまい、藩内クーデターが成立した。鹿児島では私塾によった武装勢力が政府軍と戦争をして滅びた。このどちらのパターンともことなって、茨城ではこの同時期、非正規軍は西へと出陣していっていなかったうえ、のちこの残党が新政府側としてもどってきて抗争し藩組織を交代させた。つまり、水戸藩内でおこったのは正統性、legitimacy、権限にもとづく正規軍のいれかえだけで、しかもそれは藩士組織の実質的な政権交代劇にすぎなかった。つまり懸案の攘夷戦争はおきなかったし、一般市民へおよぶ影響もほぼなかった。このやすらかな感覚は『覚書 幕末の水戸藩』で慶喜公がかえってきたときのあっけらかんとした感想でわかる。
 とかくこの穏健派であって急進派とはのりがあいにくいこと、これがなぜ資本主義経済へ最適化しているいわゆる大衆または俗物との温度差が、茨城県にうまれてくるかのおおきなわけだ。急進的なひとびとは江戸へやってきて、巨大都市東京をつくった。
 しかもこの特質は勘違いされやすく、単に穏健なだけなのだが、急進したい人間からはおくれにもみえないことはない。これが田園のよさを理解しないひと、すんだこともないひと、いわゆる趣味の面からみれば自然への感受性がない完全な俗物なわけだが、こういった自称都会の俗塵うまれには、いなかといえば俗語で田舎いのであってなんら関心がないわけだ。そして究極のところ、こういったひとたちとののりのあわなさは永遠につづくだろうから、ロマン主義以前の俗物根性というのは所詮われらのみちではない。

 要は、大衆的な俗物性をもとにした資本主義経済というものは茨城県民の平均的特質にとって、おそらく封建時代の水戸学からきた遺風なのだろうがわれらは貴族的で上質なものをこのむというすこしのずれがあって、最適化はされていない。かといって県民所得は全国でもよい方なので、それがかならずしも苦手なわけではない。単に俗物さからとおいだけだ。そしてふたつとなりにあって俗物が集積している大都会東京、あるいはその原理とよくにた大阪からかなりとおい心理であり、ある特質をもっている。たとえばシャイネスや謙遜、いわゆる武士道時代の古きよき道徳目が多少あれ維持されているのは首都圏でも茨城県民であるといえよう。
 こうしてふりかえれば、実質は大変すぐれているのに魅力がないとおもわれていることは茨城県民が平均してもつひとつの個性でもあり、いわゆる謙虚や謙遜、謙譲といったゆずりあいの徳と一致しているある資質、うまれのよさなのかもしれない。たとえば財産の面で全国に比して茨城県が特別たりないわけではないので、テレビ局に関心がないというのもあきらかにこの特長がでた部分といえる。そして現実にわたしがじもとの人間としてくらしてきたよい意味での自足の状態として、東京や大阪発の卑近なテレビはみるだけ気分がわるくなるにすぎず、まったくくだらないし必要ないばかりか、いまおもいかえしても茨城県民へ害しかおよぼしていない。現実にはありえない化粧された映像をみせつけられて不幸感をふやすだけ、贅沢自慢の実にくだらない卑俗な内容がつぶれてくれれば、それだけよのひとびとのくらしの質もあがってくるだろうから。
 こうして、俗物の反対概念としてのとうとさやその質をまとった聖なる価値をもとめ茨城県民は東京都民へせをむけてあるきだせばよい。この行路はたとえ全国民が理解できなかろうとまったく関係がない。世界の人類はおろかものばかりではないし、そもそも東京の日本語によるテレビなどみていない。俗物はどこでも俗物なのだから、俗物である大衆からは魅力がないとおもわれているほど反俗物的でわれらの謙遜のよい効果があらわれている、とかんがえていい。それだけ茨城県に俗物がくる機会がへり、真に趣味のよい人間があつまりあるいは安心して定着してくれるだろうから。
 また、ある意味ではこの高貴高尚で理解されがたいか、素朴でひかえめであるために卑俗な社会にあえてちかよらない、ちかよれないという部分は、われらのもっているうまれのよさとして貴族精神、gentleさにもなりえる。むしろよい特長として維持されていい。現実にはすばらしいよさがあるのだが、魅力がひくいとまわりからおもわれる、というのは一つのはっきりした才能をもつ個性であり、それは維持された方が多分無個性よりすぐれている。かえってこれはpartnerとしての安心感をうむだろうから、安心してつきあえるという面で交際がひろくなることも十分かんがえられる。つまり「派手でないためまわりから魅力がないとおもわれる」、というある欠点にみえるものはむしろ俗物根性からはなれればはなれるだけ長所でもあって、「地味」という特別な個性としてそれ自体が主張されていい。たとえば徳川慶喜にも同様のはっきりした個性、貴族的なうまれのよさがみられる。そして趣味の一般原理はこれを上品さとして評価する。おそらく、将来にわたってもそういうジェントルな個性がえらばれうまれそだち、出身していきやすい場所柄があるのだろう。
 俗物根性を媒介にしている資本主義経済の社会はいずれおわり、あるいはかわるか、商人世界のものとして限定化されるだろうし、すくなくともそのうまれをわるくする淘汰によって、全体最適化しないひとを俗塵からとおざけてくれる。自分のみるかぎり、派手な宣伝効果によりそとづらは魅力的とおもわれているが実質はよごれた大変すみづらい東京にいついているひとと、節度あるおさえられた趣味のため魅力がないとおもわれているが実質は綺麗で大変すみごこちのよい茨城にいるくる、あるいはかえるひとびとのあいだでおきているのもその関係性であるとおもえる。
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by smartestone | 2013-02-23 10:36 | 経済 | Comments(0)

科学と善

 社会をかえること、それをのぞましいむきにかえること。

 すべて科学、知識、scienceは自体としてものぞましいが、その応用とみればこれにつかえるだけだろう。工学の濫用が戦争や侵略をまきおこす。しかし、政治のしかたがただしいかどうかがとわれている。
 人類史でおきたもっとも悲惨なできごとのひとつは、ヨーロッパ移民らによるアメリカ大陸の先住民の虐殺での建国だ。これがアメリカ大陸の精神として政治上ただしいとはおもえない。そして同様の歴史は、茨城の名義になっている天皇家支配へもあてられる。このどちらのばあいも工学はまちがったつかいみちをされている。工学は芸術の基礎だから、目的としての芸術を高度化させるためにある。つまり岡倉天心のいう意味での「戦争による野蛮人が高貴な芸術をこどものあそびにあたいするとおもいたければおもえ、われらはよろこんでまとう」というのが、アメリカや天皇家へ、あるいは薩長土肥ふくむ明治以来の新政府へいえることだ。もっと巨視すれば、平和の縄文文明が戦争の弥生文明がわへあてつけられる真理だ。そういった蛮行で絶滅戦争をした結果は、かれらをふくむ種の多様化をそこなうばかりかにくしみやうらみ、あるいはきらいをかい、将来の繁殖価をへらすことだろう。だれからもうらまれたりいとわれたりしないばかりか好感をもたれる人間になれれば、つまりよいひとになれれば種の多様化という本来のいきものとしてのめあてにかなえる。

 善はいそげ、悪はのばせ。このことわざは過去から未来まで人類に記録や記憶の才があればかならず業があるから。なんらかの利他性を徳あるいはのりとし、工学や知識は別個のものとする。こうすると、いわゆるmeta-physics、「自然学のあと」というものは、工学や知識というphysicsより優先度がたかいのがみてとれる。それは業という社会のなかにあるしくみが、いずれ人類のなかにかえってきやすいから。善はいそいだ方がよい行動者の系列としてひとびとに協調性をうけがいやすく、悪のばあいはどうしようもなくしなければいけないときでもできるかぎりさきのばしにしていれば、いずれ状況がかわり、しなくともすむことになるかもしれない。

 ある時間をへだててみれば、こういった因果ははっきりでる。ゆえに科学のつみかさねは、ある意味では形而上学とよべるかんがえ、社会を運用していくのりとしての哲学のもとでしかない。そしていそがれているのは、実際には善をになう哲学の方なのだ。真善美は科学、哲学、芸術というそれぞれのしわざがうみだすある特長をいいあてている。
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by smartestone | 2013-02-21 08:17 | 経済 | Comments(0)

東京の反面教師性

 茨城県は東京都のわるい部分をしりぞけて、最高の地位をしめるべきだ。わけなく東京都を模倣している水戸以南の人間は、そのわるい面すらまねてしまっているとおもわれる。
 基本として日本のマスコミに扇動されたり、総合ブランド研究所の様なネット世論まがいの偏見にだまされる人間は「衆愚」とよんでいい。この集団にこびへつらう必要はまったくなく、かえってこのclusterは最大限さけ、その逆にいくことがよい結果になる。
 特に性的退廃というのが東京都の最悪の面だ。水戸と土浦はだれがなんといおうと、こういった「わるい」なりわいを東京都むかしでいう江戸からまねてしまって、そのひどさは東京ほどではないにせよ県全体に害毒をもたらしている。こういった商売は売春防止法によって断固としてとりしまられていい。東京都というのはこの点はっきりいえば世界でも最低の場所、最悪の風俗だからまったく反面教師にしかならない。もしこの真相が理解できないか誤解しているとしたら、テレビなどで印象操作されて真実をしらない衆愚でしかないのであいてにするだけ損害だ。水戸市内、土浦市内で茨城県警は断固、性をうりものにしている犯罪者のとりしまりをしていいのだ。そもそもこういった人間はどの国家にあっても最も害がある。いいかえればそのたぐいの隣国からのアメリカへの移民が現に迷惑がられている様に、あるいは茨城県でも現に迷惑であるごとく、普段からごく風紀のわるい東京や大阪からどこかのくにへの移民にも同様のみかたがされることが当然予想できる。外国人HIV患者、あるいは同日本人、性的に堕落した東京人とそこから影響をうけたひとびとが東京都から直接飛び火しているのが、茨城県内の風紀にとっては最大の憂慮である。電車や地下鉄、道路での東京都とのつながりはこの点むしろ不便なくらいの方がいい。
 つぎに、犯罪率。東京都は当然だが大阪府とおなじくらい日本最悪の発生率で、まったくわるい場所だ。強姦、強盗、侵入強盗、殺人の人口比における犯罪発生率1位が東京である(出展: 警察庁、犯罪統計資料(平成24年1~4月分)。

 結局このどちらの場面でも、警察のつよさ、とりしまり能力がおおきく効果をもち、なおかつほとんどの課題が水戸をふくみそれ以南、特に県南にあるとかんがえられる。それだけ、東京からはいってくるひとがいるからだ。
 茨城県知事にはつよく、この2つのとりしまりを強化されることをねがう。まず水戸や土浦の売春防止法にもとづく徹底的な風俗浄化、そして警察組織の強化による犯罪の徹底的なとりしまり。どちらも、東京都、特に甚だしい前例のある新宿あたりが反面教師になるといえるだろう。

 この全体図をみると、こうわかる。
 テレビの登場以降、それが洗脳装置としてはたらき日本をふくめ人類の現実感をうそでぬりかためてしまった。東京都などすみごこちからいえばほとんど最悪の場所にちかいのに、テレビではさもいい場面ばかりをきかざってうつすので、その洗脳装置にあたまを支配された人間は、どこにもない東京という場所を現実にはそれよりはるかによい茨城よりもすぐれているとおもいこんでいる。これが真相である。この洗脳された愚民というべき人間は、また総合ブランド研究所によるネット世論のにないてでもあって、北海道や沖縄という過酷または深刻な自然環境や、経済状況や心身の健康におとった場所をいわばテレビ洗脳されてよい場所だとおもいつめている。いいかえれば、テレビの内容がかれら衆愚にとっては現実におきかわってしまったのだ。
 としよりがテレビで洗脳されつづけていく光景があちこちでみられる。それどころか、こどもさえそうだ。テレビはこうして資本主義の悪魔のはこ、パンドラのはこだった。
 茨城県が唯一、テレビ局をもっていない。これは以上の論旨をもってすればかえってよいことというほかないだろう。俗にそまっていない。まだたすけがい、すくい様があるのだ。そしてわれらはこの日本でもっとも貴重な長所をむしろそだてていかねばならないだろう。テレビやマスメディアなんてあいてにしないし、かえってそういう態度をもった高貴かつ良識的な人間を大事にし、まねき、すまわせ、かこいこんでいく。この方向性が知識人、文化人のだけではなく、一般人の社会としても将来性があるといえる。そして本来あるべきすがたとは、東京都のごとき俗物根性のすみかたではなく、茨城県の様に質実剛健のいきかたでなければならない。日本人や外国人の衆愚がこのことにきづくときづくまいと、われらは人類としてまっとうで、ただしいみちをいくべきだ。そしていつか衆愚はそのあやまちとあやまりのために大失敗があきらかになるだろうし、うそを本当かの様におもいこんでいたひとびとはそこからくる不経済のために結局はくらしを悪化させ、健康性をそこなったり悪質な子女しかそだてえないだろう。つまりは社会的な淘汰がおこるかぎりはこういったわるい系譜はそもそも時代ごとにすこしずつ除去され、数がへるか、末期には絶滅するはずだ。
 結局、こうしてみれば洗脳装置によって衆愚をあざむいてみたり、印象操作をして世界に害をあたえたりしていた結果は、巨悪として因果にはねかえってくるのだろう。現実に東京都ほど生活環境が最悪なのは、おなじ日本では大阪府くらいのものだろうが、いまだに衆愚はさもこれらの最悪レベルのくらしづらい場所をよいものかのごとく、ひびの映像と音声による洗脳で頭脳を支配されているわけだ。日本の極端な人口密度のかたよりはこうして生じている。しかしそういったむれたがる人間へなにも仕様がないから、単におろかものとしてみかぎるほかない。

 東京都のよい点はおもにその人口規模のみ、といえるかもしれない。すでに人口比がそのまま、出自しえる才能の多様性としてノーベル賞受賞者数に比例するとわかっている(社会学)。つまり、茨城県ではこれから人口比をもっとふやすこと、たくみな宅地開発や都市部のたかさ制限、緑地整備などで人口集中度をおさえながら総合人口比では東京都よりもおおくなることが必要になる。

 また将来機会があれば、茨城県では放送大学よりもすぐれた質をほこる局をもって、県民がほかの諸都道府県より徳をえられる様にすべきだろう。自分のしるかぎり、NHKのBSプレミアムをのぞけば、イギリスBBCワールドニュースがその視野のひろさとまじめさという点で質のたかい報道局であり、これをNHK水戸放送局は模すればいいかもしれない。
 法人としての放送大学そのものを、幕張から県内に誘致することもひとつの有効なてだてになるかもしれない。そしてこういった放送大学で筑波大学や茨城大学、ほかの公開大学講座を茨城県民へ限定してとどければ県民の教育レベルをあげることができる。この最後の構想はいわば弘道館テレビ局化構想といえる。
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by smartestone | 2013-02-16 22:39 | 政治 | Comments(0)