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磯原都市公園化構想

 つくば市はこれから都市化が進むと予想されるので、公園の必要性がますだろう。そのときに大規模公園が無用といっていた市民の無知があきらかになるだろう。現つくば市長の株があがるだろう。
 北茨城市においては、可能なだけ雄壮で広大な都市公園をめざし、大北川流域の桜並木をふくめ磯原圏の全域を公園とみなすべきである。大北・花園川をめぐる周遊公園計画をすすめていくべきだ。といっても、既存の繊細で素朴な自然を眺められるような場所、たとえば簡易な切り株等、間伐材によるベンチなどを点々とつくればいいだけだ。新図書館をめぐり、雨情記念館から天妃山、川沿いの遊歩道をたどり花園へいたる中心市街地を一体的な散歩道として、街路樹と歩道にみどりをふやしていく。こうして工業団地公園から中央公園へ、中央公園から新図書館、下桜井・磯原海岸をへて、津波被災跡地に考えられる新計画公園へと公園と公園を緑の道でつなげ、車道をできるだけまたがないように、安全に町めぐりできる構造をつくる。徒歩による周遊客をふやす。それらの町巡りのあいまにたちよれる新商店街を、中心部に確実な立体駐車場の確保で、徒歩による磯原市街地周遊計画としてつくる、磯原商店街とくんで健全で文化的な地場商業もさかえる地域にしなければならない。また、この磯原遊歩道を大津から五浦へとつなげることもできようし、バス停などをへて花園や雨情の里公園までつなげられようし、松井にある中郷の田畑のみわたせる芹沢鴨の属した神社をへて、中郷駅前ならびに海岸に赤水の日本地図記念碑を建立、これらのあいだに人々が行きかう地元商店街が形成されるように、広域都市計画をすすめるべきである。

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by smartestone | 2015-12-31 02:15 | 政治論 | Trackback | Comments(0)

茨城公立図書館系のネット貸し出しサービス

 県立図書館や市立図書館、いわき市立図書館らの県域公立図書館は、蔵書をネットで自宅から宅配かしだしできるようにし、返却時はポスト投函で済むようなサービスを、民間事業者を参考にととのえるべきだ。また、著作権のきれた蔵書については国立国会図書館ですでにそうなっているよう、電子版を公開するべきである。
 これらのサービスについて満足にできないようなら、蔵書と新蔵書発注の管理をのぞき、かしだし返却サービス業態に関して業務委託による民営化をかんがえるべきである。

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by smartestone | 2015-12-22 14:44 | 政治論 | Trackback | Comments(0)

改めて茨城の魅力度謙遜論

 茨城県は謙虚な県民性を維持し、無学で無知な西日本人から何もない、何も知らないとおもわれていても、ことさら宣伝せずに、「なにもないと思われているくらいが楽なんですよ」と、自分たちの地域が低俗な観光地化しないように努力していればいい。一般化すると、欠点が長所である。欠点は個性の1つであり、評価の角度をかえればそれが長所になる。無個性は凡庸の意であるから、全中庸が最善ですらない。
 第一次、第二次産業の抜群性、そして科学技術、工学の抜群性を暗にしりながら、その宣伝をむしろ極力しないこと、逆に自他県の比較文化的研究につとめること、つまりプライドという悪徳をすてさることが、茨城県の社会課題だったと結論することができよう。たとえば、大阪や東京がもっている都市問題その致命的欠点にくらべ、めだった欠点といわれている点が1会社の偏向した主観調査できめられた、曖昧めいた魅力度、その内実は傲慢な一東京都民によるわが県の謙虚さへの下賎な揶揄でしかなかった以上、われわれのとるべき態度は真の謙遜をみにつけることだけだった。この特徴、つまり謙遜の個性は水戸学に由来した学究的な文化風土によるものだろうし、むしろ人品とみて長所でしかない。さらに、われわれ自身にはなんの損失もない特徴であって、どちらかといえば西日本一帯のよう無知無学な民度の地域や、観光業に偏った非産業力的な地域、さらに他県をけなす傲慢という悪徳をもつ特定地域にみわけがつくために有益なのである。

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by smartestone | 2015-12-20 19:14 | 政治論 | Trackback | Comments(0)

プラス茨城

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『プラス茨城ブランド記章デザイン』2015年

 茨城のブランド記章として、あらゆる県産品にエンブレムを付記する計画。

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by smartestone | 2015-12-13 11:47 | 経済論 | Trackback | Comments(0)

茨城語論

 茨城語は、旧茨城語(茨城弁、茨城方言)を簡素化した標準語へ部分集合的にのみこんだものにするべきだ。茨城語と標準語の関係は、茨城語をアメリカ英語、標準語をイギリス英語ととらえればいい。茨城語においては無アクセントを利用して発音に関する抑揚を最小化、あらゆる国のひとにならいやすいよう必要十分な漢字をのみつかう日本語とし、可能なかぎり簡素な表現をも奨励するようにするがいい。

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by smartestone | 2015-12-03 16:53 | 学術論 | Trackback | Comments(0)