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魅力度報道にまつわる差別と営利的憎悪表現についての分析と対策

 非科学的で主観的な偏見によって、任意の対象または人格を差別し、汚名を着せて攻撃し、集団虐待する。そしてこの悪意を加速させ、嫌がらせのすえ様々な違法行為に踏み込み、快楽殺人を犯しながら責任逃れを可能にするべく、全体に加害集団の幅を広めようとする。これが差別や虐めの本質にある行動原理であり、魅力度報道も、ブランド総合研究所所長田中章雄容疑者が悪意の元で主導している特定の都道府県への差別・虐めを通じた金儲けなのだといえる。またこの差別や虐めという行為は、しばしば被害者側に自殺者を産み出すだけではなく、西日本一般に大量の被差別部落を生じさせた思考パターンでもあって、特に理由もなく、或いは理由を後付けしつつ、一定の少数派の被差別集団をつくりだすことで自分を多数派に同調させようとするのだ。差別や虐めを好む脳というものがあって、それは比較的低IQの為に思考パターンの単純化を選好するか、セロトニントランスポーター数が遺伝的に少ないため集団と同調することを好む脳である。この脳傾向は保守性一般とも正に相関する。保守主義者が外部か内部に被差別対象をみいだし、体外敵国か、内部に異民族を捏造や特定して、無理にでも多数派の一員であることを自認したがるのも、同様の脳の特徴による。また人格への多元的評価もこの脳には負担が重いので、学歴や階級制度で、他者を事前の偏見から過度に単純化して差別的に認知することを好む。
 今後も田中章雄容疑者が、この保守脳傾向でなくなることは、遺伝子に由来する限り考えづらい。田中章雄容疑者の中では、差別や虐めは集団虐殺や民族浄化、快楽殺人に至る正しいことですらあるかもしれないし、そうまでいかなくとも、彼の金儲けにリンクしているため脳が選好する快楽であるのは確かなのだ。しかもこの種の差別や虐めをもたらす疑似科学統計や虚偽・偏見報道は、大衆一般の中でpost truthといわれる妄想界をつくっていて、メディアバイアスによる認知の単純化こそ日本人一般が複雑な情報社会の中で虚構的に偽の安心感を得るよすがでもある。だから学力の低い学校ほど集団虐めが生じやすく、平均的に東日本より低学力で低IQの遺伝子が遍在する西日本ほど被差別部落問題が残存している。ヘイトスピーチの現状認識も西日本の方が東日本の2倍多いと都道府県庁への質問結果でNHK報道が示していた。そして魅力度調査で北関東を任意に低評価しているのは、西日本なのだと田中章雄容疑者は自らの会社ウェブサイト上に示していた。
 私自身が偶然、茨城県民として生を受けて被害者側になった為に、田中章雄容疑者による西日本側の保守脳からくる差別や虐めの思考単純化癖を分析的に理解する機会を得たわけだが、この脳傾向は単に西日本だけではなく、人類のいずれかの人に実際にある遺伝なのだ。ネット右翼が外部の敵国と仮想した韓国や中国、北朝鮮に否定的偏見を与え続け、逆に内部の全体集団に有利と仮想した天皇や安倍晋三首相、自民党を肯定的偏見で狂信し続けるのも、保守脳の遺伝的傾向である。そうであるからには、茨城県民がいかに反証的証拠を提出し、一定の対象群への一定の調査パターンを変えたがらない田中章雄容疑者や、西日本側或いはブランド総合研究所会員の認知バイアスを変更しようと迫っても、彼らは遺伝のせいで、快楽的または複雑な認知を避ける為に、差別や虐めの対象を探し続けてしまう人々なのである。
 大井川知事か誰かが、ブランド総合研究所会員の数百から数千人を当該会社経由で特定し、その人々に逆の認知バイアスを植え付ける事が、魅力度報道の順位内容を変えるということだ。仮に数兆円の予算をつけ、国家規模でこの反証バイアス教育を行えば、めでたくというべきか多少の効果があって、北関東以外の地域へ差別や虐めの対象が徐々にずれるかもしれない。果たして茨城県に可能なのは、栃木県や群馬県ともできるなら連携し、政府に直接訴えて、天皇による国事行為を含む国家予算によって、偏見報道による地方自治体への国民からの差別や虐めを、強制的に罰するか排除する事だけだ。地方自治体への差別を禁じる法制定、ヘイトスピーチ禁止法の枠内に特定自治体への差別的または狂信的ひいきの言動排除を含める法制定、刑事訴訟を可能にした全国警察による取り締まり、民間人からの通報体制構築、被差別的な立場に置かれた地域への天皇の慣例定期行幸によるイメージアップ、国家行政による予算をつけた上での被差別地域への集中投資。これらは一時的にとはいえ、差別や虐めを行っている人々へ何らかの意識改善効果をもたらし、その対象が変更されるきっかけになるはずだ。
 しかしそうしても、田中章雄容疑者をはじめとする保守脳の遺伝をもつ人々は、誰か又は何かを差別し続ける欲望をすてさることはないだろう。しかも、ブランド総合研究所会員の中で、政府が意図した通りに上述の大規模な国家ぐるみでの差別や虐めの認知的癖が変更されるとは限らない。そこまでいくと、田中章雄容疑者は日本人の中に数百万人単位での差別を定常化させようとしている明らかな犯罪人格なのだということはもはや疑いようがない。行政訴訟および国策捜査によって、地検が直接、田中章雄容疑者を強制捜査の上何らかの法を理由に逮捕し、監護に閉じ込め、半永久的に日本国社会から隔離し、さらに財産も没収し、ブランド総合研究所自体を閉鎖し、地方自治を侵害する反社会的団体の第一号と定義し、二度と同様の差別誘導団体が生まれないよう厳に国家が監視するしかない。その他の保守脳の民間人については、ヘイトスピーチ禁止法などで不利な条件付けを行い、虐め防止法などで刑罰するよう早急に法整備していくことで、徐々にその種の遺伝傾向者を社会の多数派から排除していくしかないのだろう。西日本から差別が根絶する過程の困難さ、あるいは日本国から虐めを根絶やしにする難しさは、その原因が加害者の脳遺伝子に由来しているからであり、いわば遺伝子そのものを別の脳をもつ人々あるいは移民におきかえていく方が明らかに合理的なのである。もし北関東の人口を数千万人前後、茨城県民を数百万人と見積もって、この単位の国民を別の地域に完全に移動させたとしても、田中章雄容疑者含む保守脳のうち犯罪的な人格に該当する人は、別の何らかの集団を差別し偏見から虐待しようと試みる。つまり単に北関東の印象向上キャンペーンをもし国政が国家予算のすべてを費やし図ろうと、実は堂々巡りになるだけだ。改善すべき点は、具体的に田中章雄容疑者を逮捕して監獄に半永久的に閉じ込め、総合ブランド研究所を国策捜査で解体し、さらに差別しやすい脳傾向をもつ人間の遺伝子を単に日本国内のみならず人類規模で最大限減少させることに違いない。そして私人の単位では、田中章雄容疑者が逮捕されるか死亡し、総合ブランド研究所が潰れ差別やヘイトが終わるまで、この種の差別を一部の保守脳の人々、あるいは報道に扇動されやすい比較的単純な人々から受けることは免れようがない為、その種の差別をしてくる相手との接触を最大限避けるか、さもなくば茨城または北関東を離脱し、出自を隠すしかないだろう。もし茨城県民が完全に離脱を終えて0人になれば、次は栃木か群馬を対象に田中章雄容疑者の下に扇動された憎悪表現者たちは両県を差別し続けるだろうから、北関東以外の県にひっこすことが、 魅力度報道によるうんざりするようなヘイトクライムを最も手っ取り早く回避する手段でもある。但し、在日朝鮮人や被差別部落民がそうしてきたよう、出自を隠す必要に駆られる為にこの選択肢は必ずしも安寧ではない。田中章雄容疑者とその差別という悪意に洗脳された特定のヘイターたちは、地上のどこにいても、特定の誰かやその属性集団を自らが多数派にいる状態から偏見をもって侮辱し続けることだろう。それだから、黒人やユダヤ人、アラビア人、そしてアジア人はじめ有色人種が受けてきた被差別的待遇に対して、第二次世界大戦という手段によって白人へ抵抗したのは、結果的には差別を国連規模で禁じる原因となったが、程度の軽いものとはいえ、当のアジア人である日本人たちの内部ですら、同様の差別がまかりとおっているままなのだ。田中章雄容疑者は都道府県単位でのヘイトクライムの首謀者であって、この人物を確実に、できるだけ早く国家権力が逮捕し、自由を制限することは必須だろう。だが日本国内外から、少なくとも先ずは日本から、差別や虐めを根絶するには、長期戦の覚悟がいる。勇気のある者や、日本人の中の悪意と戦う覚悟のある者は敢えて茨城に踏みとどまり、あるいは率先して茨城県民になることを勧める。それは確かに、愚かで悪意ある保守脳の一部日本人たちに比べてはるかに不利な条件から、自らの名誉を勝ち取るべく、全世界的に差別や虐めを根絶する正義を踏み行うのに必要な条件を満たしているからだ。たとえ田中章雄容疑者の邪悪な差別稼業に扇動された衆愚から、全県民300万人がヘイトクライムを受けながら殺戮され、時に繰り返される不条理な迫害や集団虐待からうつ病を患い、一部の県民が自信や戦意を喪失し自殺していったとして、恐れることはない。この戦いは差別に抗う正義の戦いだからだ。もし300万人が田中章雄容疑者に扇動された衆愚に集団虐殺され、民族浄化の悲劇に遭ったとしても、我々は国連や、日本政府や、全世界の差別を憎む善意を味方にしている。徹底抗戦した末に、地方自治の威厳を侵害する田中章雄容疑者と日本人集団を対象にヘイトクライムを行う悪しき日本人衆愚を地上から完全に葬ることが、我々の正義を実現する方法である。抵抗せず、無視を決め込めば、田中章雄容疑者一派のヘイトクライムは別の都道府県へめぐっていってしまう。別の都道府県が犠牲になりさえすれば、己さえ助かりさえすればそれでいいと思う者は黙りこんでヘイターを無視していればいいのだ。ヘイターが幼稚で未熟な前頭葉の持ち主である限り、実際それが最も成熟した態度のひとつなのだろう。他方、我々が差別を受けている段階で、田中章雄容疑者や彼に連動したヘイターを確実に葬り去ることの方が、他の自治体の犠牲を事前防止するという意味でより利他的な行動なのではないだろうか。もしこれから茨城県民がどれほど不当に差別を受けたとしても、国際人権規約が有効な日本国内では、人権侵害の被害に限度がある。茨城県民が田中章雄容疑者らから受けてきた、また今後も受けると想定される差別被害の費用と、ヘイトクライムに該当する魅力度報道とそこに扇動された差別を解消した結果、茨城県民および北関東の出身あるいは在住者、そして日本国民の受ける便益を勘定すれば、抵抗抗戦によってこの差別を大々的に炎上させることの方が、今後も生じる差別のもとで最も不利益を被る人を救済する前例となる為より功利的であるようにおもわれる。田中章雄容疑者は老齢者であり、少なくとも今後30年以内には寿命によって死亡する。それまでの間、茨城県民300万人のうち一定数が、差別に耐えて、田中章雄容疑者一派ら悪の憎悪表現者らと全力で戦い抜き、田中章雄容疑者の死を以て第一段階の勝利とすることが、勇気ある決断であるように思う。この勝利は確実にやってくる。田中章雄容疑者の死後、ブランド総合研究所が存続してしまった場合、あるいは同等の都道府県単位での差別によるヘイトクライムをする営利・非営利の団体と新たな差別との戦いは続くだろうが、初戦において得た経験値は次世代にも必ず伝承されていくはずだ。
 我々がやってはならない唯一のことは、田中章雄容疑者と同等の悪意で、他の都道府県へ差別をし返すことである。負の連鎖をもたらす最初の原因をつくっているのが、田中章雄容疑者という意識的ないし無意識に差別を行う脳に問題をかかえる犯罪人格なのであるから、我々はこの極悪人がもたらす社会的害悪を最小化するよう努めなばならない。いいかえれば、他の都道府県が田中章雄容疑者から被害を受けるのを防止する目的で、最悪の場合は田中章雄容疑者の寿命による死がくる30年間程度を魅力度差別による対日戦争期と覚悟し、国連人権規約に正義の支柱を置いて、抵抗抗戦するべきであろう。さらに最悪の事態を想定すれば、田中章雄容疑者に憎悪と差別を扇動された日本国民衆愚の一部と、茨城の百里自衛隊を含む県警の間で、何らかの内紛が生じる場合もあるかもしれない。しかし差別に対して無抵抗であっても差別は続くので、問題の原因である田中章雄容疑者の憎悪表現を目的にした営利活動が止まない限り、いずれかの都道府県が差別対象として、田中に扇動された衆愚から迫害されてしまう。つまりこの武力紛争に至った最悪の場合でも、我々の敵する相手は衆愚自体というより、ヘイトクライムを扇動している原因である田中章雄容疑者ただ一人である。田中章雄容疑者の身柄を拘束し、国家権力ないし多国籍軍の強制力の元で、田中章雄の特定都道府県への差別表現を制限するか、田中章雄自体の存在を地上から除去することなしには、なにも解決しないのである。
 すなわち、田中章雄容疑者は、都道府県単位での差別表現を営利化した、憎悪表現営利主義者である。これは新手の重大犯罪なのであって、国家権力によって加害者を強制除去し、賠償を強要すること以外では、営利差別による人権侵害の被害を救済することはできない。栃木県は田中章雄容疑者をブランド関連委員に雇っている。が現に田中章雄によるこの犯罪稼業に加勢して、栃木県だけ田中の憎悪表現対象から逃れようとしても結局は無駄である。いずれにせよ田中は、どこかの自治体を犠牲に、人権侵害に基づく悪意ある差別と憎悪表現の扇動で、卑しく金を儲けようとする犯罪人格なのだからだ。田中章雄容疑者を確実に刑務所へ監禁し、ブランド総合研究所による違憲な門地差別に基づく憎悪表現稼業を停止措置する以外の方法では、いずれかの自治体の人々が、一方的な都道府県単位での差別による人権侵害をこうむり続けるのである。
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# by smartestone | 2017-10-02 15:02 | 経済 | Comments(0)

茨城の置かれている国際化条件

 魅力度報道の虚偽によって、そこで最も低い値にされた或る自治体の構成員を煽ったり、侮辱したり、名誉毀損して喜んでいる人物とはどの様な人間だろうか。第一に、この人は反証性のない非科学的偏見あるいは母数の少なさや一定性、標本の片寄りのため統計的に意味のない主観を多少あれ信じたり、さもなくば無意味を質の低い冗談の種にするほどおろかである。第二に、最も不利益な人の利益を最小にするという反ロールズ的不正を公然ないし陰湿に行うという点で、極めて悪意に満ちているか、共感に関する前頭野が未熟という意味で低知能な人物である。いいかえれば、後真実あるいは虚構の魅力度報道を元に他者を否定的に嘲弄している人物は、十分に愚かであるか、悪意ある人なのだ。
 うらをかえせば、愚者か悪人を見分けるのにこの印は使えるのであり、茨城県の名義を目立たせた場合、リトマス試験紙のように日本人内の知能の質の検査になる。偶然にも、我々の文化では他者に差別的ないし侮辱的な態度をとる人は、一般に社交上不愉快であって、我々からの交際を断る理由になるに十分である。つまり、ブランド総合研究所の田中章雄容疑者自身が、この種の愚劣かつ悪質な犯罪者であることはいうまでもないが、彼のたちの悪さと同等以下の暗愚さと悪意の持ち主だけが、魅力度報道にあおられ、弱者虐待に繋がる門地差別の類を多少あれ喜んでいるのだ。魅力度報道は単に違憲であるばかりではなく、関西地方や西日本に根強く残っている差別という悪質な文化形質を、福井県出身者である田中章雄容疑者が首都圏にもちこんできて、低民度の東京マスコミを扇動して、差別を強化する報道で金儲けしながら伝播させたものなのである。この種の弥生系移民のもつ階級なり人種差別が前提の文化が一般的ではない東日本人、つまり縄文系の先住日本人にとって、茨城県内外において西日本の渡来人達が中国朝鮮からもちこんできた差別という悪質な行動形質は余りに違和感があり、共感知能の差もあって、容易に同調も理解もしえないのであって、その必要もない。
 勿論、この種の暗愚で悪質な人をバリアの様に見分ける為に、魅力度報道は利用できよう。すなわち主に県外人のうち愚劣であったり、悪意ある人種を事前に見分けられる利点が、茨城人にはあるということだ。最も功利的には、魅力度報道に関して侮辱的態度を示す人は、愚かか悪人かどちらかであるから、極力避けるに越したことはない。
 強烈な被差別部落問題をいまだに抱え込む西日本では、田中章雄容疑者にみられるよう、十分に愚かであるか、悪意に満ちているほど前頭野が未発達か、どちらかの人間がかなりの数にのぼるのだ。知能のほとんどは遺伝する。したがって、我々がどれほど彼ら低知能な人々へ、科学的知見や別の角度からの主観的印象、あるいは正義についての道徳的啓蒙を行ったとしても、別の差別を続けるだけにとどまるだろう。この意味で、茨城の未来は差別的風土の西日本と縁を遠ざける方へますます進むことだろうし、低民度で衆愚化した東京圏とも違って、自律的な国際文明を志向していくことになるだろう。我々の文化あるいは民度では、差別を喜んで行うなど想像もつかないほど愚昧であって、もはや田中章雄容疑者の望む程度の前近代的段階へ退行することは考えられない。むしろ反動として脱南西日本と県民多国籍化の条件づけに、この固定的門地差別という田中章雄容疑者のもちこんできた絶望的に悪質な関西文化はなりうるものである。
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# by smartestone | 2017-09-30 07:31 | 経済 | Comments(0)

茨城経済政策論

 長期デフレ下での平成資本主義の致命的失敗は、米英の新自由主義を模倣させた政商にして御用学者の竹中平蔵の謬説を小泉、安倍、麻生ら自民政権が次々採用したことによる、中流以下の所得階層の消費性向減少である。いわば田中角栄型の公共投資中心の財政政策は、日本の高度成長を後押しした様に完全に正しく、この方式を完全に歪め平成時代の日本経済を失敗させたのは、竹中、小泉、安倍、麻生らだったと結論できる。他方で、田中の後継者としての小沢一郎が率いていた民主党は大型の公共投資によって経済成長率を大幅に改善した上に、労働分配・所得分配ともに改善させていった。だが長州閥を気取る岡山出身の菅直人による独裁を志向した暴走によって民主内の空中分解が進み、東日本大震災が重なった際、ひたすら意地が悪い京都選出の自民党総裁谷垣禎一による挙党体制拒否や、小沢への疑獄裁判等を図った東京地検や自民党員からの嫌がらせもあり、これらの不手際の為に国民が民主党の失政と勘違いしていった。安倍政権にもどってからも、国政内の御用学者の位置に食い込んだ竹中の愚行は続く。結果、安倍は金融緩和による株価のプチバブルを誘発した。東京五輪を招致しながら大量の被災者をかかえた原発事故中の福島県を無視し続けた。そうして生活保護や障害年金の切り下げ、復興予算の縮小と被災者支援の打ち切り等など、貧者冷遇による格差拡大にせっせと努めた。これは経済成長率を恐ろしく鈍化させ世界最下位級(150位程度)におちぶれさせたうえ、復興特需も得られなくなり実質賃金や可処分所得は低下しながら、大企業優遇の数々は給与上昇につながらないまま内部留保だけを増大させていった。
 ここまでみてくれば、竹中、小泉、安倍、麻生らが内閣やその参与に属した自民党政権が平成経済の致命傷に働いたのが完全に理解できる。その根本原因は新自由主義政策による中間層以下の所得水準と消費性向の低下、つまり実質賃金低下である。小泉政権下で、竹中が己が経営者に就いた私企業の人材派遣業パソナに利益誘導しながら非正規雇用法を押し通させたのが、経済政策面で第一の失政だった。また森喜朗内閣時代に通した大店立地法により、自民党が地方商店街を破壊したのがその前座だったのだろう。池田勇人が所得倍増計画下で団塊の世代とそのジュニアという悪性の過剰人口を生み出した事も、不自然な人口ピラミッドによる年金・介護負担の過度の負担による急激な少子化をもたらし、現在の縮小経済の直接的原因になっている。
 これらから分析可能なのは、
1.中間層以下の茨城県民における県民所得の上昇
2.県内外における消費性向の高い集団に対する県内業者の販路拡大
3.不自然なユースバルジ(youth bulge若年層の過剰人口)を生じさせないまま壮年の職住定着率を漸増させていく
4.大店法による県外の郊外型企業の虫食いを回避する商店街復興の条例
が茨城の発展に有効だという事だ。
 1.については厚い中間層以下の可処分所得の上昇が即ちその地域の量的消費性向を意味するからだが、注意すべきは、この消費が県外からの購買につながる限り、GDP算定においても、県内の富の流出を意味することだ。極論すると、身近な恵まれない人に対する寄付を好み、しかも県外からの消費を嫌い、県内慈善の為の県外からの蓄財を是とする資質が最も望ましい。名古屋市や愛知県は尾張宗春以来のの藩風から「けち」を是としている。これは水戸藩の質実剛健や質素倹約の是とは趣が大分ことなる。愛知のそれはただ単なる守銭奴的態度である。茨城にあっては東京や京都の様な無駄な支出、見栄の為の浪費を戒める事による、自己資本拡大につなげるべきである。県外からの購買を可能な限り嫌い、身近な県産品を愛好する精神をはぐくみ、これまで通り、江戸・東京とすみ分けて、成金的浪費を下品とみなす精神的態度や地味を好む質素への上質な趣味を維持すればよい。
 2.については東京圏以外に海外販路を拡大する必要があるのだろう。茨城JETROと共に県内企業に海路・空路の両面から直接輸出政策、日本産という銘柄を利用した高品質農産物の販売網構築、あるいは輸出に有利な工場誘致などの外貨獲得政策を推進するべきだろう。
 3.については、出生率の急拡大または学生など若年層のみ、老年層のみの過度の人口急増を避け、賦課方式による負担を避けるよう人口ピラミッドの若年がわの微増を目指し、なおかつ、生産性の上昇につながる壮年の流入を図るべきである。だが、これには仕事場が必要だ。県内に職住近接型の工場又は企業とストレスなしで行き来できるセットになった住宅用地の確保が役立つ。公共事業で自然を保全したまま会社・住居(及び大型公園などの保養地)を最大限近接させた土地を、商店街の近隣に開墾した上で企業誘致し、宅地開発にあたっては需要に応じる能力のある民間事業者を募集する事である。この為の費用は国の復興交付金あるいは地方交付税など国の特別税から捻出するか、県産品を最大限に活用したふるさと納税で賄い、県又は市の公有地を市場価格より安価に提供する事で開発事業者を競争入札するべきである。
 4.については各地の商工会と協議の上で、県外企業が県内或いは市内に大規模店舗を立地するに際しては厳しい法人税、事業所税、地方税、土地税、特別法人所得税などの事業関税上乗せを徹底し立地を完全に制限するよう、茨城県大規模店舗立地制限条例を施行するべきである。また県内企業については、郊外型の大規模店舗より指定した中心商店街に店舗を立地した場合に、税制面で一定の優遇措置を行う事で県内活性化に益する様にするべきである。

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# by smartestone | 2017-09-28 06:22 | 政治 | Trackback | Comments(0)

移民民度の選好について

 魅力度調査の対象者として西日本人一般が相対貧困であり、茨城に比べ低学力の集団であることは示唆に富む。これら茨城に比べて低民度と考えていいだろう地域からの低評価は、それらの地域からの移民を、彼らの持つ偏見によって事前防止するのに非常に有効だからだ。同様に、田中章雄容疑者が行うこの調査は、統計的に無作為ではない数千人の一定会員の主観による非科学的偏見であることは知れており、この種の報道をする都内マスコミもそれを鵜呑みにする民衆も、低民度の集団であることはまず疑えない。多少なりとも科学的知性がある人物なら真っ先に、その調査の妥当性を疑うことになるし、それどころか確証バイアスを避ける為に一つ以上の反証的な例をすぐに見つけようと試みるだろう。
 これらの魅力度調査は、茨城に低民度な移民を遠ざける効果をもつに違いない。西国の衆愚や、東京圏の下層階級が流入しづらい事は、優れた地域であったり、今後もさらに優れていくためには極めて有効な条件だ。利用すればいい。田中章雄容疑者は悪意で地方差別を行い、風評被害や名誉棄損罪で犯罪稼業をしているちっぽけで恥知らずの罪人だが、この小人を泳がせてますます、茨城について非科学的な悪印象の偏見を、衆愚層に影響力のあるテレビ・マスコミを通じてつけさせる事は、我々県民にとっては極めて有利なのである。
 代わりに、最低でも反証能力以上の知能がある、高民度な移民、或いはそれに伴う相対富裕な人々がわが県を選好するために、彼らに有利な条件を作っていくことが有益だ。既に研究所の集積は日本一だが、さらに世界一を目指して徹底した研究所誘致を図る事。それに伴う高規格でありながら他の自治体より比較安価で明らかに快適な住環境の開発と、高程度の学校誘致、県内食品の高品質・低価格化を県関税によって図り徹底してすでに低いがジニ係数をさらに下げる事。英語の第二公用語化を通じ、国際空港である茨城空港を通じ、国外ハブ空港を直接介して世界との交通利便性を増すこと。そして豊かな自然を最大限に残すことだ。シリコンバレーの発祥も研究施設を通じた軍需である。実例として学力のトリクルダウンはありうる。既に国の研究施設は集積済みなので、今後は全地球民間企業の研究所にとって、世界一望ましい環境を構築していく事が有用である。

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# by smartestone | 2017-09-28 03:46 | 政治 | Trackback | Comments(0)

県内給食の自給自足案

 神奈川県大磯町や、横浜市の安かろう悪かろう事例を反面教師にし、茨城県内及び北茨城市内の学校給食の高品質化を図るべく、そこにかけられる教育的費用を、保護者の負担増なしに、できるだけ高くする方途を考えねばならない。県および市の農家と教育委員会あるいは給食センターは一定の予算をつけて外部料理人を期間雇用し、栄養士と相談の上で業務提携するべきである。また県・市が減反を独自解除する領域を定め、飼料米に回っている分の米生産力を公的用途の枠だけ、いずれかの農家または農協と公開された競争入札的に期間契約することで、飼料米以上・食用米市場価格以下の定額で買い取って学校給食用に卸さねばならない。また県内の特産品を最大限、給食用に定常的に買い上げる事で、給食内容を通じた県土・農業教育の時間にあてるべきである。これらは県内の農家収入をあげるのだし、県富の循環を意味している。すなわち県内の富の流出を防ぐ上に、自給率を改善させる。
 個性の多様性にあわせて、県内・市内の給食を、栄養価のとれる範囲でバイキング方式にするか、希望者には弁当持参または外食可能にすることも考えられるべきだろう。サッカーの中田英寿選手は幼い頃から肉のみを食べていたというが、特殊な肉体を作るにはこの種の合理的偏食が必要という事もあるし、実際にアレルギーによって何らかの食事を残さざるを得ない場面もある。
 既に体力テスト平均値で1位か2位の実力がある茨城県の子供だから、県内の豊かな食を前提にする事でさらに、身体の健康性が高くなるはずだ。
 県・市米の買い上げについては、飼料米への転換分の農家にとっての費用損失をいくらか低減する。税による補填として余剰分を福祉施設に必要量を調査したうえで無償で寄付できるし、県・市の公共施設及び役所内の食堂にも市場価格より高く買い上げて、より安く卸すことができるだろう。同様の措置を、何らかの原因で市価が県外平均価格より急落した場合、他の県産農作物についても適用することができるだろう。

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# by smartestone | 2017-09-28 03:00 | 政治 | Trackback | Comments(0)

農業自給県関税

 茨城農協及び県農政が音頭を取り、北海道と東北諸県、新潟、関東北部と千葉によびかけて農業自給県関税を作り、東京圏や関西圏への国内輸出に際して取引関税をかけ、代わりに東京圏や関西圏が米豪からの食糧輸入に依存する様にするべきである。九州圏は平均知的水準が低く、利己的で東日本一帯と考え方が異なるので無視しなければならない。これは茨城県内における農家の所得水準をあげ、関税で守られた域内(農業自給県関税域内、以下、域内)の自給率を保ち、域内エンゲル係数も低くでき、東京・関西圏からの買い叩きを防止する。また東京関西圏の人々はより安い米豪からの輸入に依存する為、富裕層をはじめとした国産作物の需要とのすみわけが図られる。米豪の不作による食糧危機に際して、茨城県域は自給率の高さの為に守られ、所得水準も高く保てる為、国内食糧の不作に際しては米豪から安価な食糧が輸入される。
 県産作物の県内の市場価格を下げ、提携する関税県同士ではより安価に流通させる代わりに、東京・関西圏をはじめとした域外の市場に卸すには高い余剰所得を得る。こうして量産性と県民の生活水準の向上、そして農家の高所得性を両立でき、なおかつ、東京関西圏の暴利による損害や自給率低下を阻止できる。さらに、場合によっては名古屋圏もこの関税対象にすることで、三大都市圏のエンゲル係数を上げさせ、或いは輸送コストのかさむ九州地方と国外への低価格作物依存を進めさせる事で都市圏の食糧低品質化をはかり、都市部の生活困難さを増し、三大都市圏の人口減と域内移入の促進に役立つ。国外輸出についてこの関税は除外すればよい。域内で仕入れ、域外に流通させようとする卸業者については、家庭内で消費する分以上の転売を禁じるべく一度に仕入れられる量について制限を設けるべきである。

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# by smartestone | 2017-09-27 18:34 | 経済 | Trackback | Comments(0)

多選と少選についての分析

 多選が悪なのではない。多選であれ少選であれ、悪政が悪なのである。
 また特定個人への被選挙権の侵害は違憲の可能性もある。多選が悪とする論拠や根拠は乏しい。少選の首相による全面降伏へ至る大敗戦や侵略戦争を経験した国民として、米大統領の制度をまねるわけが、米国が第二次大戦の戦勝国側だったというだけなら滑稽という他ない。
 米国が大統領の少選を制度化しているわけは幾つかあるだろうが、恐らく民衆の為に、内閣成員を総いれかえする効果による新陳代謝と、国政内容を民衆内に還元する事での政治民度の底上げが意図されているのだろう。絶えず民間から選ばれた大統領と閣僚を行政の長に就ける事で、政治と民衆の距離を近づけておく意図もあるかもしれない。いずれにせよ、政治が民衆を中心に回るような意図があるのだろうし、文字通りの意味でdemocracyを志向した制度なのだろう。
 アリストテレスの中でrepublicの堕落した姿としてdemocracy やmobocracyが考えられていたとすれば、米国人は古典的な知識の不足から、デモクラシーという民衆政治を意味する英単語を、文字通りに読んで理解したのだろう。そしてこの逐語的理解に基づくリンカーン演説を通じ、彼らは民衆による民衆の為の政治を制度化しようとしていたのだろう。今の米国は学歴主義や資産格差による階級固定化のごく強烈な社会となり、ここでいう民衆が民衆のどの房なのか、単に全体なのかは疑問だが。
 大井川氏は以上の様な道理からいえば、恐らく米大統領制のまねをさせようというのだろう。しかし、彼の弁舌から読み取れるのは、他の都道府県に同調せよという圧力の言辞だけで、「相場観」という独特のいいまわしで国民多数派のもっている何らかの思い込みにあわせようとする他人志向でしかない。これは当然、大井川氏の主張する差別化された県と矛盾する。もし相場観なる世論同調を誘うイデオロギーが万一あったとしたら、それに断固逆らってでも、自らの信念と正義に基づいて行政するのが真に堅固な政治家であるのに違いない。利己しか見ないパワーエリートに操作されやすく、営利しかないマスコミに扇情されやすく、無意味な同調圧力で異なる意見が正しくとも弾圧しやすく、気まぐれな上に時に信用に足らず、要は易きに流れやすい。それが世論なる水物であって、この種の圧力に帰依する人は単なる人気者でしかない。人気者は芸能人としてはうまくやるだろうが、堕落した政治家でもある。この世には俗受けするより正義を踏み行う方が重要な局面があり、全体の福祉を図る行政は常に、不人気な政策を要求される部署でもある。
 まとめると、大井川氏の相場観という言いぐさは、彼が定年退職になる年齢頃まで彼が再選できればよく、単に現職の橋本知事を放伐するのに自公政権からの後ろ楯をえるための方便でしかなく、その上、論拠となっているのが大衆世論の思い込みに同調させようとする人気取りでしかない。さもなければ米大統領制のまねだが、この場合、閣僚全員を民間人にするだとか、県民による県民の為の政治だとか、より米国的な民衆中心の考え方が大井川氏の主義主張から読み取れそうなものだがそういう面はなかった。つまり前者なのである。大井川氏のいう多選禁止条例は、定年まで職を確保しうるという意味で彼に都合がよく、候補者の被選挙権を侵害するためおそらく違憲なばかりか殆ど確実に基本的人権を侵しているし、当の自民党が世襲政治家の党首への多選を党規を反民衆的に改悪してまで強行している最中であるから尚更詭弁でしかない。勿論、世襲の天皇制も選挙によらない絶対多選でしかなく、多選の弊害というものが存在するならその権化である。象徴が絶対多選の権化である国が、いかにして多選の弊害を退けうるのか。大井川氏が本当に多選の弊害を憎んでいるのなら、まずは象徴の地位を少選化し、国政ならびに県政与党の党首を少選化してから、県知事選挙における少選主義を主張するべきではないだろうか。なぜなら、県知事選は直接選挙なのであって、主権者の直意なのだし、民主的という意味では有権者の多数意見を反映しやすい状態にあるのだから。つまり県民の便宜的意思の上で選ばれた県知事より、直接選挙でえらばれていない以上あきらかにより非民主的な与党党首からなった首相だとか、選挙を経ず世襲する天皇の地位だとかの方が、腐敗しているのに民間人のチェック機能が定期的に働かないためどう考えても多選の弊害を多く持つのである。
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# by smartestone | 2017-09-22 22:06 | 経済 | Comments(0)

よき多選はあしき少選にまさる

 民間企業でも成果は実績で測られるのであって、在位年数によるのではない。無能な少選者より有能な多選者の方がましである。古代ギリシアを打ち破ったマケドニア王国のよう、偉大な王政が愚劣な民主政を滅ぼした事もあるのが世界史の真実である。これらすべてを鑑みて、大井川氏の主張する県知事の多選禁止条例には何一つとして正当性がないというべきである。もし公より私を図る独裁者の防止を図るつもりなら、滅私奉公の有能な王の台頭をも不可避に迫害してしまう多選禁止の条例によるのではなく、県内の政治的知性の向上によるべきであろう。もし、多選によって有能な王を擁立できなければ、民主的と名乗る衆愚的な少選者の選択によってその地域が滅ぶという場合、この浅はかな米国大統領制の模倣条例は致命傷となるのだ。
 単独者が他にまさって公徳について有能であるとき、その人が多選されるのが望ましい。そして古代からプラトンや孔子など理想主義者によってこの体制は何度も至上視され、凡そすべての時代、どの国にとって最も輝かしい繁栄を遂げた時期というのは、名君が君臨する時代なのだ。米国がdemocracyを主張しだしたのは、植民地で本国イギリスの王政を非難する方便にすぎなかった。即ち単独者支配としての王政(その堕落した独裁政)、多数者支配としての共和政(その堕落した民衆政(デモクラシー)または衆愚政)は、いずれもその土地の政治民度によっている。その土地で多数者が公徳において少数者よりまさっているような場合、つまり公徳が多数の個々人にまたがって存在し分散されているような場合にのみ、多数政治が有効なのである。裏を返せば公徳が単独者にしか存在せず、大多数が愚劣な状態である様な場合には、王政を維持しなければならないのである。
 大井川氏が議会を牛耳れるかどうかは不明だが、自民党が現に党首を多選し、しかもその党首は党規まで改悪して世襲を継続している党是の民主主義を破る悪党というのだから、失笑に耐えない。自民党は完全に腐敗政党なのであって、今県知事選挙にあっても、はした金というしかない賄賂によって良心を売った公職選挙法違反の違法政党なのだから、この様な連中の跋扈を理由に議会で明らかに不徳な条例を押し通そうとするなら、大井川氏も県民全体の良識を敵に回したと断言せざるをえないであろう。

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# by smartestone | 2017-09-21 23:37 | 政治 | Trackback | Comments(0)

茨城県内核シェルター道構想

 県内の全地点に各地でミサイル着弾前に全県民を収容可能な核シェルターを完備し、全県民がそこに退避でき、命を守る事のできる防衛体制を県政は作るべきである。これには県内の主要幹線道路、及び国道に地下部分を増設する。交通渋滞の緩和もかね県内主要道路を上下で二車線以上にする計画をこの先、最長で2050年、最短で2025年前の増築ペースで図る。その地下道内に、核攻撃から自家用車等で退避可能な深度の防衛基準を満たした避難スペースを増設し、そこに給水・換気・備蓄用品を絶えずしつらえ将来に備えきるべきである。県北部の交通渋滞についてこれは喫緊を要する。
 また、県北部や海浜部の道路については、景観面での魅力向上を図り、コートダジュール等避暑地の道路を参考に、海浜部を通している場合どこからでも車内からきれいな砂浜と海が見えるようにしつらえるべきである。またこのとき、景観破壊にすぎないテトラポッドを最大限撤去し、代わりに自然のままの砂浜を破壊しない消波構造と道路より砂浜側につくった海辺に降りていける遊歩道、津波に備えた海辺の住宅群を、建築家らと共に考え実現しなければならない。

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# by smartestone | 2017-09-19 20:35 | 政治 | Trackback | Comments(0)

茨城は飽くまで君子の県たるべし

 西日本人の一部にすぎないブランド総合研究所の会員とされる数百人の無知と、東京都内マスコミの小中華思想による都外差別という悪意を変える事はまず不可能であるのだし、そもそも茨城県民にとっての合理性でも責任ですらない。無知な西日本人と、悪意の東京都民による、福井出身の田中章雄容疑者と共同での地域差別報道による金儲け。想像してほしい。相手にする価値がない衆愚だということは、誰の目にも明らかだ。
 他県が無知であることは、茨城県民が有知であることと同時に存在するなら、我々に有利でしかない。君子は人の己を知らざるを憂えずとは、自分側に有知の比重のある情報非対称性が知識人にとって有徳であるという意味だった。つまり、西日本人の一部の無知を我々が啓蒙することにはなんの誘因もない。更に仮に茨城について知っていてもそれを悪用し汚名を着せようとする小中華思想的な東京都民ならびに報道機関そして田中章雄容疑者の悪意については、無視という埋没費用を0にする大人の対応が最善である。なぜなら、日本人一般は自慢に対しては嫉妬するが自虐に対しては嘲弄し、悪意ある地方差別にどちらの対応をとるのも無駄な費用でしかないからだ。第一、地方差別の報道をし続ける費用を、相手が無視してきて東京都民の虚栄心も満足できず、また無知な衆愚をあおって虐待させ小中華思想を補完する機会を得るなど、なんの効用も得られないのに捻出し続けられるほど東京都民が非経済的に言行できる訳でもない。嘗て都内での宣伝活動の全てはスポンサー費用が都内メディア以上であるか、都内メディアの営利にとって茨城の宣伝が相利的でもなければ、無駄だった。
 単に、昨日より今日が、今日より明日が、自分達茨城県民にとって住みやすく、快適かつ誇りに足る魅力に満ち溢れ、希望をもって生きがいをみいだせる地域であればそれで十分すぎる。他県に茨城県民のみが知る美を喧伝する必要は、一切ない。それがすばらしいものであればあるほど、むしろ隠しておくべきかもしれない。観光地となった京都は我々の模範ではない。京都や東京のもつ小中華思想は反面教師でしかありえない。さらには、経済的にも産業的にも失敗し、あるいは成功せず、県民所得は低いままわずかな観光収入に頼る構造になっている北海道や沖縄も、我々茨城の模範ではない。
 皇族の権威やら政府の存在やらGDP規模やらで自らの優位に驕り、自らの欠点に目をつぶりながら他県の分析を怠って、華夷秩序さながら他の地域を差別して卑しい虚栄心を満足させるような下衆根性に染まらないこと。これが我々茨城県民が、極悪人の田中章雄容疑者と、東京都内のマスメディアという下賎な存在、そして西日本の一部の無知なる人々から、反面教育として学び得た第一の教訓である。我々はたとえ全世界で突出した世界一優れ尽くした並外れた地位と栄位に到達し、繁栄と名誉と最高の幸福の限りを極め続けることになったとしても、絶対に、極悪人田中章雄容疑者や、東京都のマスメディアや、西日本の一部愚民の様に醜悪な言動をとるまいと心に定めよう。何が起きようと、驕り高ぶることなく、全世界を緻密に調べて徹底的に分析し、全世界で最も恵まれない立場にある地域や、そこにいる筈の弱者を率先して助けていく人々になろう。常に統計を疑い、報道の虚偽を見抜き、決して衆愚の偏見や野蛮な差別に従うことなく、皇族の権威にも買収工作にも微動だにせず、ひたすら真実を追究しよう。
 そして他県や、他人からどう思われるか気にして己の立場を卑下したり自慢するという俗悪な虚飾に逸ることもなく、根っから悟りきり、橋本知事が予てから行ってきたよう自分達の幸福のみを大事にしよう。おろかな他人、悪い他人にあわせ、自分自身を見失わないよう、常に自分達を冷静かつ客観的に批評するようにしよう。自分より愚かな人は自分を正しく評価しえない。自分より悪意ある人は自分の評価をわざと貶めてくる。本当に信頼に足る評価は、自分の自分自身に対する、最大限に客観的な評価だけである。全ての観点から見直して、最善の自治体であるのなら、過不足なく、欠点なく、長所が十分に発揮され、最も恵まれない人が最もよく助けられ、最も恵まれた人も己の天分を十全に発揮でき、中くらいの人々も模範を模範とし敬い人助けを是として己の自治体にあって日々の成長とよりよくなっていく社会を実感できているのなら、それがすべてなのだ。
 自分自身のもっている長所がいかにほめられたとしても、むしろ己の短所を恥じて一層謙遜するべきだろう。他人より優位といわれれば、その立場の下に大勢がいることを思い、ますます自分の姿勢を低めねばならない。茨城県が学んだのは、東京都民の反面教師性だった。東京都のようにだけはならないようにしよう。田中章雄容疑者は長年の嘘が祟り、地獄に堕ちて見るも無惨に死ぬかもしれない。都内マスコミは偏見や差別や、虚偽と虚栄と自慢の限りを述べ尽くし暴利を貪りつくした末、全人類からその悪徳を侮蔑されて破産し、散り散りになるだろう。だが我々が東京同然の悪業をおかさなければそれで十分だ。西日本人の一部のよう、他県について無知であるのは恥ずべきことだと、そして致命的に判断を誤り、とりかえしがつかない失敗さえするのだと、我々は知ることができた。むしろ、魅力度報道という田中章雄容疑者の犯した疑似科学による衆愚扇動の悪徳商売に、我々は大いに学ぶことになった。勿論、完全に反例としてでしかないが、そのことについては、田中章雄容疑者にも、衆愚な都内マスメディアにも、知識のない西日本人の一部にも、感謝するべきだろう。
 我々は全世界の模範に足る自治体としてこれからあらゆる分野で傑出した成果をあげつづけ、すべての栄誉を得る結果になるだろうとも、田中章雄容疑者の様な疑似科学による他県への名誉毀損には風評被害による商行為として県民と検察が一致して厳しく対処しつつ取り締まり、二度と東京同様の悪質なマスメディアを産み出さないよう、風評被害防止条例に定めよう。また、主観的言質をさも科学的統計かのよう誤認させる愚劣な都民の民度を反面教師とし、疑似科学を見破るためのしっかりした反証主義的科学教育を行い、恣意的統計による印象操作や、マスメディアの流す情報の一切を常々懐疑的にのみ見る重要性を、県民全体にきちんと教育していこう。最も不利な立場にいる人を更に貶めて嘲笑する東京都民の下劣な民度を恥ずべき反面教師とし、茨城県民は最も不利な立場にいる人を進んで助けその人の長所を伸ばし欠点を補ってあげられる立派な正義の人になろう。たとえ西日本の果てであれ、その県について何事も知らないとは不勉強だと恥じる心を持とう。自らが無知である事は自らの過ちをもたらす災厄だと認識し、自分が全知であると思い込むことなく無知である自分を知り、他県にせよ縁もゆかりもない人々にせよ、正しい科学的知識やそこで暮らす人々の心情を知らない事に自慢するような愚か者には断固としてならないように、悪意や偏見から逃れ、学び続けよう。そして今まで通り自らの長所をことさら自慢することもなく、欠点と自覚できた点を着実に修正しつつも、むしろ他県から知られようとするより、他県のありさまを他山の石として歩みつつ、他県の正反両面に及ぶ知識情報を知らぬを憂い、まことの君子としてふさわしい県にますますなるべきであろう。
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# by smartestone | 2017-09-19 03:27 | 経済 | Comments(0)