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レジ袋を北茨城市指定ゴミ袋化にする制度


 静岡県沼津市ではレジ袋を市指定のごみ袋として使える届け出を業者側に許可している。
https://www.buzzfeed.com/jp/kazukiwatanabe/20170907?bfsource=bbf_jajp&utm_term=.objprq93r#.vhRZdy8Od
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 北茨城市でも市内の小売店に、レジ袋を出す場合に市指定のごみ袋として使える規格のものを出した場合、一定の免税を図る制度をつくるべきである。

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# by smartestone | 2017-09-09 00:49 | 政治 | Trackback | Comments(0)

高萩駅前広場案

 高萩駅前の空地は、巨大な駅前広場にした方が、将来の高萩市の文化的発展の為と思える。駅前に、日常的に人が集え、或いは催しなどにも使える巨大な広場がある日本国内の場所は少ないのであり、その希少価値を単なる経済原理で塗りつぶすのは、高萩市政の浅はかさしか示さない。
 空地というものを経済価値の高い場所に残す事が、心の余裕としての広場を作る考え方そのものである。

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# by smartestone | 2017-09-08 23:56 | 政治 | Trackback | Comments(0)

東海第二原発を再稼動させたがるものは北茨城市民の天敵である

東日本大震災 「家族」に感謝 福島・大熊

毎日新聞

 今年4月、掘られた穴に獣医師らがチューリップなど束ねた花を手向けていた=写真中央。「黙とうします」。その場にいた皆が手を合わせ、目を閉じた。

 福島県大熊町の繁殖農家、池田美喜子さん(59)は今春、13頭の牛を安楽死させた。東京電力福島第1原発事故後も、避難先から通いながら約80頭を飼い続けた。しかし、帰還困難区域内の牧場も除染作業の対象となり、飼育場所の確保が難しくなるため、苦渋の決断をした。

 「私たち家族を経済的に支え、子供を大学にも行かせてくれた」。生活を懸け向き合ってきた牛は、「家族」同然だった。獣医師から薬剤を打たれると、「ぶうー、ぶうー」と鼻を鳴らしていた牛たちは息を引き取り、牧場の片隅に埋葬された。

 「守りきれず、申し訳ない」と心の中で語りかけ、池田さんは花を見つめた=同奥。これまでに見送った一頭一頭の顔と名前は、忘れない。【写真・文 小出洋平】


http://mainichi.jp/articles/20170905/dde/001/040/059000c

 日本原電がはしたカネをばら撒く事で日立市民を買収している事実からいっても、大井川氏はすぐ隣で現に起きている世界最大の大公害をみてみぬふりし、震災以後6年も、放射能汚染の甚大な被害と心ない市外・県外日本人からの侮辱や差別に耐え続けてきた北茨城市民に対して、東海第二原発の再稼動を決定するといった場合には、即座に解雇を要求されるべきであろう。県知事は県民に奉仕する公僕である。公務員は全体の奉仕者である。東海村民やら日立市民やらが悪徳東京企業からのはしたカネ欲しさに、北茨城市民及びその生活する自然環境を汚染するとすれば、これは社会正義にもとるといわれねばならない。
 ロールズによれば、最も不利益をこうむる人の利益を最大化する時にのみ正義がある。茨城県内で、原発によって最も不利をこうむっているのは、いうまでもなく我々北茨城市民である。福島県いわき市と隣接し、福島となんら変わらない汚染被害を受けているのに、日本政府も東京電力も北茨城市民には何一つとして補償しない。私は政府からも東電からも1円たりとも補償金など貰い受けたことはない。しかし、東電と政府の及ぼした公害による被害度は、福島県の原発立地自治体の国民と何一つ変わりない。避難を余儀なくされ、土地を汚染され、いまだにその堆積で負担額ばかりかさむ。心理的・精神的被害ははかり知れない。親族が福島県の人である人も、土地や仕事場が福島県にある人も、それどころか福島県民であるが北茨城市内に通勤通学している人も、市内には無数にいる。大井川氏は何を考えて県民の間に不公平、不平等、不正義をもたらしたいのか。原発再稼動をするということは北茨城市民5万人への侮辱だというほかないであろう。東海村民やら日立市民やらを金で買った日本原電も、その提灯持ちをする自民党政府も、或いは彼らの操り人形であるのなら大井川氏も、北茨城市民の天敵だ。生存そのもののためだけに、天敵を地上から除去するまで戦い抜くべきである。東海第二原発を再稼動させようとする人は北茨城市民5万人には害毒しかないのだから、あらゆる観点からその悪業と公害を訴え、市民は徹底して攻撃してよいのである。

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# by smartestone | 2017-09-08 14:03 | 政治 | Trackback | Comments(0)

匿名性と情報収集について

 国内で都道府県名が有名であるから不利になる点と、無名であるから有利になる点に注目し、茨城が県外に認知されていないが故に我々県民の功利性が増す様な行動をするのが、我々の国内における有効な知恵のひとつである。いいかえれば、県名が有名であるから有利な点とか、無名であるから不利な点については例外と考え、有名地(決してその中心地である必要はない)に属した支店や第二用地を取得する、あるいは首都圏や日本、東洋、東京圏等の広域的名義で補完した方がいい。
 具体的には、我々が普段の暮らしで匿名によって行動する方が気楽だと感じる全場面について、茨城県名のつく概念の一切は国内的に有効である。県外人一般はなんらかの印象をもつどころか、殆どなにも茨城をしらない。相手にこちら側の情報を知られる事なく行動した方が有利である様な場面は、実際はほぼ全場面である。日本人一般が普段、匿名で行動するのを好むのは、出る杭を打つという村八分的島国根性がこの列島民にあるからだ。すなわち目立つ者は損をするのが日本国の国民性に他ならない。平等志向とかねたみによる足の引っ張りあいとか幾つかの原因はあるだろうが、五人組時代の通弊として村社会的同調圧力が現役で生きており、個性を尊重するほど欧米化された国民は殆どいない。たとえば国内旅行するとき、どこからきたか問われても、県外では茨城がどこかさえ先ずしらないのであるから、外部の色眼鏡なしに行動できる。
 茨城県庁はこの条件を利用して、46県にそれぞれ内部調査員として1人以上の駐在大使を居住させ、行政の公開あるいは非公式情報から県民生活の実感についてまで、ありとあらゆる分析済みの内情を県知事直轄の秘密情報機関に集積させるべきである。またこの情報機関を今後も強化し、茨城単独で国外外交を十分おこないうるよう、全国連加入国をはじめ世界の国々についても情報収集用の駐在大使を準備し、県交に有利となる情報を熟知しなければならない。民間シンクタンクが同種の事をする場合営利目的に傾く可能性が高いため、県知事室が情報収集部を持つ方が合理的だろう。
 目立つこと、有名であることは、出る杭を打つ日本国内では不利なのである。実るほど頭を垂れる稲穂式に、ひたすら謙遜や自己隠蔽を続け、県内福利の充実に努めつつ、県外情報の収集と分析に完璧な基盤を作ることが重要だ。たとえおろかな日本国が倒れても、賢明な茨城県が未来永劫、単独国家としての役割を自ら代替できればよいのだから。
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# by smartestone | 2017-09-08 13:25 | 経済 | Comments(0)

2つの条例による茨城経済改善政策

 我々茨城県民、北茨城市民は現在の日本国単位での経済状況を反面教師だと考えねばならない。そこに欠けている失敗点は、最大多数の最大収入を図るという経済的功利主義の発想である。竹中平蔵が非正規雇用法を小泉純一郎に通させた時点で自民党政権は経済政策を失敗させ、そこから日本国単位での凋落がはじまった。我々茨城人の側は、非正規側の収入が常に正規雇用を上回る事を事業者に義務付ける雇用格差公平化条例を市町村単位であれ県単位であれ樹立させ、最大数の最大収入を図るべきなのだ。そして単に北茨城市の単位のみならず、茨城県の単位で生活保護費の基準額以下でくらす全県民に強制的にそれ以上となる額を振り込む、生活保護捕捉率100%の義務を、県議または市町村議の条例において緊急で定めねばならない。福祉の充実と公平な正確性。そのために個人番号があるのだ。
 後者の捕捉率100%の生活保護支給体制を、マスメディアを通じた宣伝効果をかんがみて茨城ベーシックインカムと名付ける事は戦略的かもしれない。財源を県独自で用意する必要もなく、県税事務所が県民個人単位で納税額と照らせば、基準額以下の生活費しか得ていない人が何人いるかはつぶさにわかるので、その分を生活保護費として国に申請すれば済むからだ。結果、福祉を県内負担なしに充実させられる上、国政の果たすべき役割も県政業務の自主的改善でなしえ、県内の可処分所得も大幅に改善する。上述の雇用格差公平化条例ともあわせて経済効果は倍加する。この平成大不況下にあるのだし、都内で仕事するのにも好都合な立地条件から、多数の若者が首都圏内外から茨城に移住してくることも疑いようがない。日本で最初に実用化した最高齢の老朽化原発を日本で最初に廃炉し、全国の立地自治体に「安全運転で寿命が来たら住民主導で廃炉を選択し、安全裏に冷温停止できる」「法令通り、最終処分場を県内に国からおしつけられることもなく、県外に放射性廃棄物を排出して県の負債を処理できる」実例として、原子力技術の先進県として範を垂れる。そして脱原発を果たした自治体に、国家経済への貢献として、国が恩賞に新産業用整備を礼にする。東京五輪の開催前年に廃炉決定の時期を一致させる。かくして茨城県を含む首都圏が原子力発電事業のスマートな実例として全国のモデル都市圏となる事が、安心して暮らせる茨城として、若い世代にとっても誇りに足る県、BIによって安全網が張られているが故、いくらでも新事業に挑戦し続けられる、心から住みたいと思える先端技術のリーダー地方の新茨城イメージと、一致するであろう。重要なのは、全国で最も進んだ技術と制度を、東京より遥か先に実験し、実用化し、社会と世間に定着させ続けていくという先駆けの県、前衛集団としての茨城県の自己像である。他人からどう思われるかは気にしなくてよい。自分自身がまず率先し、全世界で最も進んでいて、その先に進む姿勢をひたすら成功させていくのが大事なのだ。
 結局、竹中はけちな生まれ育ちでトリクルダウンを鵜呑みにした愚官だった。麻生は朝鮮人労働者による炭鉱で成金となった財閥の御曹司として、経済における功利的基礎に理解がなかったのだ。これら2名のけちさ、卑賎さが経済政策面で日本国単位の失敗がおきた原因であり、任命責任は小泉純一郎と安倍、そして自民党国会議員らにある。これらの無能だった人々がなぜ失敗したのか今や我々茨城人は理解したのだから、あとは県単位で経済環境を改善すればよく、成功しかしないだろう。
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# by smartestone | 2017-09-08 02:46 | 経済 | Comments(0)

北茨城市版の簡易強制BI制

 北茨城市は、茨城単位のBIが実現する前に、少なくとも生活保護の捕捉率を100%にする行政政策部を作らねばならない。市内に暮らす約5万人を対象に、個人番号による調査と照らし合わせ、個人単位で、生活保護の受給水準以下の収入状況で生活しているすべての市民に対して、行政主導で生活保護費を半強制的に振り込むべく、振込先の口座番号を行政側に登録する手続き用の書類を内封した手紙を出し、登録を100%させるよう通知するべきである。
 この政策はBIと異なり、現状の憲法下で国家の行う最低限度の義務を、行政側の怠慢と悪意によって行っていない状態を率先して改善するにすぎないのだから、実現可能性も100%であり、しかも国税から調整される額なのだから、対外純資産とみた市民の生活費増大の結果として消費促進や人口増にも益する。この種の義務を怠った場合、悪いのは違法・違憲行政の構成員側なのであり、市役所がこの種の業務を率先垂範しないとしたら、その時は市役所が100%悪い事になるだろう。公務員は国税に寄生して生活しているのに、市民に対する義務を怠っているとしたら、その公務員達は腐敗の極みにある。つまり行政自体をとりかえるしかなくなるであろう。

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# by smartestone | 2017-09-08 01:52 | 政治 | Trackback | Comments(0)

政治権力と社会変革による進歩について

 テロリズムによる政権簒奪で成立したのが現日本政府の前身である明治政府であり、安倍晋三の崇める長州閥は完全にテロリストそのものだし、そもそも天皇家自体が恐怖政治によって山門王朝を樹立させて以来、繰り返し首都圏の独立政権を弾圧してきたのは日本史が説明する通りである。米国政府も本国イギリスの軍に対するテロで成立している。つまり現政権が自らの正統性として使っている論理は、天皇制、長州閥、或いはGHQ、民主主義、これらのどれをとっても単なるテロリズムに違いない。
 政治権力の本体は、軍事的な暴力なのである。天皇のポピュリズムも、安倍の右翼ごっこも、トランプのお道化も、キムの反抗児ごっこも、単純に暴力支配の遊びにすぎない。この意味で、現政権とか、現在の与党、その時点で存在していた天皇、或いは現時点の大衆一般がこの暴力を如何に正当化していても、その正統性は仮構にすぎない。もっといえば嘘でしかない。永続する権力はない。たまたま条件が重なって権力の姿をとって表れている暴力が、その他の暴力を弾圧しているだけなのである。
 従って、革新を目指す個人か集団が、その時点の政権与党の軍隊・警察による暴力に対して議会か選挙での穏健な掌握以外の手段をとって支配を試みたとして、天皇家や薩長藩閥の自己正当化が現にそうしている様に、勝てば官軍と自慢しだすに過ぎない。王覇の論でいえば、暴力によって徴税する民衆単位の支持という公徳の基礎づけが欠けていたら革命によって覆される、という観点は、実際には暴力の強大さを維持できる条件に依存している。もしイスラム国軍や北朝鮮軍の軍事力が米軍や多国籍軍より強くなれば、当然の様にイスラム国や北朝鮮の存命が確保され、米軍やそれを支持する国連は弾圧さえされうる。
 社会変革が茨城県にとって短・中・長期いずれでも競争優位、或いは比較優位をもたらす場合、その変化は政治的に正しい。ところが現政権はテロ等準備罪における共謀罪に該当した法制によって、思想信条あるいは良心の自由を侵害する事で社会変革に至る何らかの変化を、穏健な選挙と議会以外で防止しようとしている。これは革命権の否定にすぎず、フランスに共謀罪は存在しない事からも、アメリカにおける人権に関わる刑法体系が日本より緻密ではない、より不正であるという事象を米国追従の安倍晋三は理解していなかったのである。長州閥がテロリスト集団として天皇に発砲しながら政府要人を暗殺し、或いは各地の警察と市民を殺戮しながら明治政府を寡頭支配していったことは事実だし、現時点でも安倍の仕切る自民党の権力を維持しているのは自衛隊と警察の暴力に他ならず、要するに安倍の権力に都合のいい暴力だけを正当化し、それ以外の暴力を弾圧する、という独裁主義が、日本における共謀罪なのである。これは治安維持法下における軍部独裁の再生でしかないし、この種の退行は必然に国政上の失敗を連鎖させる。
 結局、いかなる思想に対する政治的圧力や弾圧も、その国を亡ぼす原因になるだろう。誤った理論を提出した人がいれば、その論旨を否定すればいいのであって、元々この種の理論の正誤が同等以上に知的な複数人からの批評や実験がない限り事前に検証できない以上、すべての思想信条への侵害は現状維持の同調圧力となり、社会の停滞をもたらす結果にしかなりえない。反証可能性を確保するにはいかなる理論の提出も自由でなければならない。安倍晋三の政権下ではその支持者と共に愚劣な後進国的政治体制をおしつけられる、という悪条件は確かに足かせでしかなく、茨城県外の日本国の平均知的民度が我々より低い場合、日本国から茨城県が軍事的に独立する事が最も合理的だろう。この為、最高法規から各法まで茨城県議会が単独で決定できる段階まで、茨城県域の政権与党が軍事的実力を世界随一の程度まで上げていく事は、全く正しい。即ち、県外を変えようとするのはやめて、むしろ国政を含む県外を愚劣にしたままでも、茨城県庁が世界に単独で軍事的に独立できる程度まで域内軍事力を向上させ続ける事のみが、我々の幸福に益するのである。この為には県内の対外純資産を世界一にする事を目標とすると共に、軍事工学的研究をも県庁及び県警主導で奨励するべきだ。

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# by smartestone | 2017-09-07 20:57 | 政治 | Trackback | Comments(0)

現代思想と大井川県政における茨城県民の立ち位置

 資本主義による支配が余りに金持ち側に都合よく粛々と進められた為、営利性を抜きに利他的に振る舞う条件づけが不能になった事が、共同体の希求としてイスラム国の出現やneo nationalismにつながっている。ネオナショナリズムを新愛国主義、新民族主義など幾つかの日本語にできるが、ここでいうそれは、共同体の単位を細分化して便宜的に想像の仲間意識を復活させようとする考え方だ。利益社会の圧倒的な冷酷さに対して、家族社会の無償の善意を規模こそあれ再起させようとする。この意図は、資本主義の原理を突き詰めると家族の最小単位ですら営利目的でしか接する事ができなくなり、血縁者同士ですら無条件に助けあえなくなる、もしくは搾取対象としての価値しかみいだそうとしなくなる為に、保守的な人はこの非人間的な冷たい利己的な世間から程こそあれ離脱せざるをえず、本来の血縁共同体に見られた温かい間柄を懐古しようとするからだ。
 想像の共同体を国より大きな単位にすることでこの仲間意識らしさを補完しようとする場合もあり、それが地域連合やglobalism、国際連合だった。こちらの場合はむしろ、利益社会の規模を拡大しようというのだ。
 それぞれ、利益社会は搾取、家族社会は寄付が原理づけられており、国の単位では調整や再分配などと呼ばれる寄付の仕組みが徴税と福祉によって補われる。この国家福祉に依存している個人は、ナショナリズムを単に利己心に基づき吹聴し、また信奉もする。公務員の大部分も税を生活費の依存対象にしているから、博愛より単位の小さな共同体志向としてナショナリズムに傾き易い。これらが右翼の温床である。要するに利益社会で優位者になる為には営利能力が低すぎるか、または利他的な性質を持つ善良な個人が、想像の共同体を回復するべく、細分化した集団に福祉による救済を求める傾向にあり、ここで実際には市場競争で不利化自己負担的なな個人が妄想によって捏造している偏向性、或いはそれと同質ではないにせよ調整的正義感がナショナリズムの正体である。内集団びいきの期待は、友達や恋人や家族単位であれ、学校や部活や地域共同体や会社単位であれ、みなナショナリズムの一種である。
 イスラム国は資本主義による利益社会の侵食に抵抗したがる人々を糾合している。実際はスノーデンがいうよう、米英政府が蜂の巣作戦で中東を火の海にし、イスラエルの専制から全地球の目を背けさせるべく、洗脳した米英人の一部につくらせた印象操作の組織が発祥かもしれない。だが米国政府のトランプも、自民党の安倍も、新愛国主義によって想像の共同体を回復しようとしているという意味では、彼らと本質に変わりはない。北朝鮮のキム総書記も同様の意味で、国際社会におけるかなり極端なナショナリストに他ならない。
 問題は資本主義経済、つまり株式会社や金銭取引に基づいた交換市場が、自由化や民主化という正義面の建前で地球規模の広がりをみせればみせるほど、必然に競争劣位をこうむる人々の数がふえていくことにある。簡単にいえば2:8の法則(パレート法則)にあるよう、8割の人が相対的な不利をこうむる。自由主義者の一論旨である比較優位説(すなわち生産物に関する交換便利性)とは別に、所得格差が広がるだけ8割の負け組が生じていく。ところが利益社会というものは自分以外の他人より自己利益を優先することが合目的なため、利他性をもつはず共同体を必然に壊していくので、背後にある8割の負け組にとって潜在意識にナショナリズムの復権をも準備しているのである。
 日本単位で2chやニコニコ動画は(設立者でいえば西村博之や川上量生は)ネットメディアを使って恥の文化における匿名による本音の吐露を煽り、日本語圏単位での共同体意識を触媒に、広告収入か有料会員登録を用いて金儲けした。この2か所のうち特に2chが悪質な犯罪の温床となった事は周知の通りで、少なくともどちらのサイトも、ネット右翼(ネトウヨ、ネウヨ)という新民族主義者出現の原因となった。いわばこれらの匿名での誹謗中傷サイトは負け組の巣なのである。西村は営利的な利己主義者で倫理を道具としか見なさず軽視する傾向が元来ある。川上は人種差別や盲目の天皇狂信、衆愚的な戦争志向を是とするネット右翼を産み出す原因となった非知性的なサイトの創設歴を反省混じりに自責しつつも、己の生活費を賄う会社経営のため、営利を優先してきた(彼はそうせざるをえなかったと弁解するだろうが、必ずしもそれ以外の選択肢がなかったわけではないので、所詮は彼の意思なのだ)。大井川氏は彼ら二者が上役にいたニコニコ動画を運営するドワンゴに取締役として入った。恐らく大井川氏は、西村と川上がこういった反社会的なコミュニケーションを煽って、衆愚にまとまらせ、検察や良民に手を焼かせ或いは手に負えなくしつつ、表現の自由を濫用する類の悪事で金儲けしてきた2人であるというIT業界事情を熟知していなかった。大井川氏は単に若者に人気のサイトなんだろうという程度の理解ではないか。或いは、営利性の高いドワンゴが日本におけるマイクロソフトに類比されうるベンチャーだったのだと、大井川氏は勘違いしたのかもしれない。それはIT世間知らずというべきだろう。マイクロソフトのビルゲイツがグローバリズムを志向するのに比べドワンゴの川上や2chの西村は、地下にいてみえなかった非公式な存在としての負け組隙間市場を搾取すべく、違法空間を維持したり経済弱者を扇情しながらある種の炎上商法で搾取して、日本語圏単位でのナショナリズムをあおってきたのだ。大井川氏は知ってか知らずか、この様なネオナショナリズムをニッチ戦略に援用している類の如何物な起業家を、人脈背景にもっている。またマイクロソフトを通じてグローバリズムの本質、つまりアメリカン・スタンダードの先取による世界支配という富裕層の市場独占についても理解しているだろう。いわゆるピケティのいうr>gを地球規模で行っているのがビルなら、日本語圏規模で行っているのが西村や川上である。これらの人々は根本的に慈善で商売をしているわけではなく、単に人間を利益の搾取対象と見て、ネットサービスの対価として金儲けを行っているにすぎない。要は、西村や川上、2chやドワンゴは負け組ナショナリズムを経営者の営利に利用しているだけの、単なる偽善者である。いや、犯罪幇助や名誉毀損などの2chにおける複数の事件で度重なる敗訴にもかかわらず賠償せず海外に逃げて恥じもしない西村や、身体障害に類比できる3DCGを半ば嘲笑しながら新技術として説明したことから生命尊重の念が足りないと宮崎駿に説教される川上、現時点でも誰も彼らを人格者だとは思ってはいないのだろうが。
 結局、イスラム国や、ネット右翼、或いは神道信者や自民党支持者、安倍支持者、トランプ支持者、北朝鮮におけるキム政権支持者、TPP推進論者を含む地域連合主義者、これらの人々は程度こそあれナショナリストでしかない。彼ら新民族主義者はグローバリズム経済下で不利な条件に置かれている為、内集団贔屓の期待に基づいて、儚い懐古趣味に耽っている。グローバリズムは不可避で、現時点でも格差を拡大させているし、タックスヘイブンに共同で対処しようした時点では手遅れなほどその差は開ききっているだろう。喜捨を是とした一部のイスラム原理主義者に見られる、調整的な正義に基づく抵抗としての無差別テロの対象が一般市民であるような場合、一般人の次元では単なる無法集団による反社会行動としか解釈されず、より強大な警察権力に弾圧され終わってしまう。この様な圧倒的過当競争下で、元々商才を付与されていた2割の金儲けが得意な人々は、自らの都合のためグローバル経済やリベラルに思想形態を寄託し自己正当化しながら、8割の凡人を搾取する。Liberalismはこの地点においては8割の不幸を納得させる、偽善の触媒になってしまう。元々そこにはアダム・スミス的な神の手、経済成長への期待効用が含まれ、人種や民族差別、植民地主義、単文化への反命題、democracyや民主化との結託という複数の状況的な補完性があった。自由は米国型の資本主義をおしつけるのに最も便利な道具にされた。フランスの知識人が人権思想と共に反既得権益、反王・反貴族・反中産階級(反ブルジョワジー)として始めたこの自由への信仰は、社会主義や共産主義といった革新思想を生み出し、アメリカに渡ってからは多数支配の正当化とグローバル経済、アメリカニズムによるそれらのおしつけといった考えを生み出した。つまり、グローバリズムが自らのうちに支配層として起きたがる富裕層にとって都合の良い体制は、自由を大義名分にした、不平等と共に底上げによって発展していく未来という資本主義的な幻想または市場原理を拡張させたがっている。
 ここで描いてきた現代社会の分析として、状況を整理すると、先ず利益社会側の頂点にビル・ゲイツをはじめとしたglobal資本主義者が存在する。そして彼らと同様に、搾取能力を使って利益を独占したがる、全体の2割を占める勝ち組としての富裕層が存在する。皇族や自民党員、経団連企業の上役などの既得権はこの層に属す。この富裕層は、自己利益に都合がいい搾取維持の体制と、それを補完する思想形態としてのliberalism、自由主義を信奉しがちである。他方で、中産階級は彼らの企業や政府に多少あれ生活を依存しているしそれに自覚も多少あれあるので、反グローバル資本主義者となるだけの誘引がない。従って保守という用語で、これらの既得権を維持したがる人が、中産階級の中の殆どである。このため中流はおもに自民党を消極的に選んできた。衆愚はまともな理解力がない為、単純にグローバル資本の牛耳るマスメディアから、富裕層に都合がいい奴隷として洗脳され群衆化する。他方、8割が同時代において負け組になる資本主義経済のしくみは社会に於ける不平等を拡大させるので、一部の知識人はこの状況が不正義であると気づく。多少あれ倫理的な利他心を持つこの賢者達は、自らの目的として定める不平等の低減と、より結果平等に近いため8割が幸福に暮らせる社会に向けて幾つかの考え方に分かれ、革新的な思想を持つに至る。最も軽い類型としての新民族主義から、社会主義、共産主義、社会民主主義、民主社会主義、或いは最も極端な類型としての宗教原理主義の類である。これらはどれも何らかの単位の共同体に家族社会的な互助性を寄託し、寄付、慈善、喜捨、福祉といった利他的な意思を啓蒙しようとする考え方である。幾つかの国々ではこれらの革新派が政権与党となる事に成功し、福祉国家や宗教国家が成立している。イスラム国も、国家単位での革新派与党を目指す集団として、シリア界隈に現れている存在である。北朝鮮も、単なる民族主義的な統制経済体制による革新派の国家である。これらの国々はテロ国家でもならず者国家でもなく、現米国大統領のトランプや日本政府の安倍内閣構成員、自民党、東京マスコミによる扇動やレッテル張りに関わらず、ただの革新的な集団でしかない。いいかえれば日米政府はグローバル資本主義の既得権を維持したがっている保守派でしかない。
 日本には天皇家という特殊な存在がある。(家という単位を認めない神道信者自身は、一般家庭全ての上位者という超越的地位の偏見を強調する意味で皇室と自称しているが、imperial familyという英訳でわかるよう、単なる言い換えでしかない。宗教による洗脳や衆愚に対して特別さを偽装する子供だましの虚構で自己神格化を謀る、神道狂信者の前近代的な言語IQの低さを示すに過ぎない事例である)。なぜ特殊かといえば、天皇家は平成末期時点で年間300億円近く(毎日8000万~1億円程度)を国税から搾取する既得権に属していながら、同時に、神道という弥生系移民中心教義の民族宗教によって共同体の長を自称しているからだ。どっちつかずの風見鶏や二義的な存在が、生贄の対象になりやすいというscapegoatingの法則からいえば、天皇を屠る、或いは集団から排除する事が、矛盾の解決になり、国民の再統一を意味する筈だ。しかし皇族閥は、GHQと交渉に当たって既得権を維持しようとした吉田茂の末孫かつ皇族血縁者としての麻生家、安倍家をはじめとした取り巻きの利権維持のため、神道による国民洗脳での専制支配に好都合な政治体制の維持といいかえてもいいが、この排除に最後まで抵抗する。島津家、毛利家、徳川家といった旧華族も全く同様である。天皇家自身にとっても富裕層の位置取りを世襲により苦もなく維持できた方が都合が良い。要するに天皇は保守と革新の両取りをしていて、いかなる変革があっても自分自身の世襲の地位を維持できる状態に自らを置こうとしている。保守派の信じる資本主義にとっては日本最大のキャッシュフローがある資産家として、革新派の信じる共同体主義にとっては民族宗教という仮想の枠組みによる日本国民全員を補完する上位者としての建前によって、普段は中産階級向けに善良な資質を持っているかの様に偽装し象徴と自称したマキャベリスティックな世襲君主としての面だけを流させる宮内庁記者クラブの悪意と、地方差別によるマウンティングを目的とした東京都民利権を意味する皇室タブーでの悪徳商人集団的な報道統制によって。いずれの場合にも天皇は天皇自身が最も好都合になる様な体制を、世界第3位のGDPを持つ集団を専制的に搾取しながら独裁する世襲の邪教祖として、あらゆる手段でとっているのである。水戸の徳川家が、素朴な国民国家ナショナリズムの啓蒙として天皇の非易姓革命的な不可侵性を語りだした時、旧常陸国民のうち幕末時点での水戸藩領域の侍らは、不動の天皇とその命を受けた警察組織としての将軍府による、一種の象徴天皇制を志向していた。私以外の世界中の誰もそれに気づいていないにせよ、徳川領を超えた全国統一による植民地主義への抵抗として、日本の独自性を定義したという意味で、水戸学派は当時として世界史に有色人種の民族独立と復権という最大の影響を及ぼすだけ至極真っ当な考え方だったのだろう。他方この日本独自の体制思想を、薩長は吉田松陰の欧米・中国模倣的なアジア侵略主義と一君万民論によって改造し、将軍府の位置に自らが明治政府として就く事によって天皇の権能を自らの傘下に置く、薩長藩閥寡頭政治体制を志向した。結果として主に西日本人達は利己心から薩長藩閥に扇動され、東国やアジアを侵略し、米国による2発の西日本への原爆投下で、薩長の悪意に自らの権益拡張を目的に乗った浅はかな天皇家もろとも、日本帝国下の民衆に誠に甚大な犠牲を払わせた末に、国連へ降参した。戦後70年、愚民洗脳力をGHQによる円滑な統治に利用された天皇家は、取り巻きである皇族閥に利権目的で地位を維持されながら、ぬくぬくと繁栄してきた。7000年前の鬼海カルデラ噴火の後遺症でほぼ無人の西日本に、2800年前に侵入したのが、中韓東部に定着していた弥生民族であった。彼らの作った新たな移民ナラ(朝鮮語で国を意味するのがナラであった)界隈における一部族長として、封建的な専制支配体制をあらゆる手段で敷いてきた天皇家は、全てを顧みると、権力志向の完璧な利己主義者である。既に述べた様その存在は保守派にとっても革新派にとってもどっちつかずで、中産階級の洗脳によって自らに都合のよい搾取体制を維持しようとする。裏返せば、保守と革新のどちらにも、衆愚洗脳や反意を煽る道具として利用される駒である。この地位に天皇が就いた理由は、弥生人として隋時代の中華皇帝に遣隋使が謁見した際、嘗て中国東部の江南地方に住んでいた弥生人特有の劣等感や自尊心が刺激され、ナラにもどってからいわばナショナリストとなったため日本列島側に日本人を奴隷にした小中華帝国を作ろうとした所に原因がある。つまり天皇とは、原型から今に至るまで単なる帝国主義者なのだ。彼らはこの専制の意欲に基づいて神道という自らを神格化させる幼稚な多神教を、大陸の文物を援用して日本在来の自然崇拝と混淆しながら構築したのであり、日本人衆愚はそれに洗脳されたのである。旧華族や安倍・麻生両家を筆頭とした現自民党員の皇族閥は国税に寄生する天皇家同様に、神道による日本人洗脳構造を利用し、自らの権益を伸ばしたいだけの、専制政治屋ということなのだ。中流も労働に追われて、この事実に気づく暇がない。保守派は利己の悪意、又は無批判なグローバル資本主義信仰でこの専制支配体制を維持したがる。革新派は天皇を槍玉にする場合もあるが、日本では逆に復古神道や王政復古といった、過去の(といっても弥生人の移民以後、ここ2800年間の)共同体概念の回復による革命を維新と呼んで天皇を利用しようとする場合もある。いずれにしても天皇は自らの帝国主義を補完するのに都合がいい政治家を選好し、それ以外の政治家を、例えば国民主権論者であった小沢一郎氏の様な人物を宮内記者クラブ発の偏向報道による国民洗脳で迫害する。そこには保守も革新も中道もなく、資本主義経済下における封建領主あるいは富裕層の頂点的な天皇家の保身を図る利己心と、納税・貢物を行う国民奴隷の維持という中華皇帝あるいは西洋圏の王族モデル模倣心だけがあるのだ。
 では、我々茨城県民あるいは北茨城市民が一体どうするべきかといえば、グローバル資本主義、各種の共同体主義、新ナショナリズム、天皇制、これら全てに対して狂信的な態度を避け、一定のメタ認知的な距離を保って冷静に、自己に好ましい思想上の立場と態度を選択する事にすぎない。ここで公徳あるいは善、正義といった利他性は、思想上の立場に関わらず自分自身の生活形態にとって互恵的基礎を持つ行動系列にすぎず、簡単に言えば、相手に或る類型に基づいて行動して欲しいとする考え方はそのひと個人の信仰でしかないのだ。相手、或いは他者の考えが自分の考えと同じである事を期待するのは、単に愚かであるか、一種の宗教だ。勿論、何らかの宗教集団が、何らかの点で成功する場合もあるだろう。いずれの信仰や主義思想についても、それら諸々の行動系列の中で、或る程度偶然に基づいて選ばれた思想形態に関し、時間経過の結果として何らかの意味で成功したとされる規則がみいだされ、たまたまその考えが合理的だったと言い訳されるのだ。だから大井川氏或いは茨城県知事がグローバル資本とか当県単位での地域共同体とか、或いは新ナショナリズムといった彼の行政を執る範囲の人々に何らかの観念形態をえらびとるよう主導するとしたら、それは商業面でみれば単なる計画経済か、政治面でみれば地域社会主義的な個人の思想・信仰・良心干渉にすぎないであろう。思想的なリベラルの立場が地球資本の触媒だという批判については、その他の思考形態のうち、調整的正義を主張する派閥、たとえば恐怖政治によるイスラム原理主義者などについても一切の先入観を持たず、絶えざる再判断を期し、同等に等距離で価値判断し直して行くことで、必ずしもあてはまらないというしかなくなるだろう。

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# by smartestone | 2017-09-07 17:31 | 学術 | Trackback | Comments(0)

都鄙の優劣と双京都性自己愛障害について

 田舎者と都会人の二項対立を、東京都民のうち23区民の中の千代田区に近い所得階層順位(又は、関西では京都市民のうち旧洛中人)の上位者が、天皇制と神道を後光効果に濫用し、華夷秩序を階級として固定化しよう、というのが日本人一般の脳内に作られている地域差別の地図である。東京都民の一部と、京都市民の一部、或いは奈良市民、大阪府民や神戸市民、名古屋市民、仙台市民等それら東京・京都の模倣者として地方都市民の一部には、偏見に基づいた自己愛性障害に類した優越意識と、それに付随した無条件の全国民への差別意識が存在する。これを一言でいうと小中華思想の類型としての、東京中華思想、京都中華思想である。東京都民や京都市民は井の中の蛙大海を知らずという自己中心的な傲慢さと同時に、福沢諭吉や薩長藩閥に洗脳された欧米圏への無条件の劣等感、そしてアジア蔑視からくる日本の非東京・非京都地方への無条件の蔑視意識と無意味な優越感がある。これは双京都性自己愛障害(東西京都性自己愛障害)、と定義づけられる、ある種の精神疾患である。その精神疾患の最たる存在は天皇家、皇族という自己愛障害の遺伝的原因がある存在だが、この精神病、風土病を彼らの周囲に住んでいる人の一部は模倣し、また元々その種の精神疾患を持つ人が、それら2か所及び地方都市部には集まりやすいのである。
 もしこの都会性の自己愛障害が遺伝的・文化的に偏在しているのが日本だとして、その原因の一つは、天皇家を含め、都会に住んでいる人々のIQの低さがあるだろう。差別や偏見を信じ込みやすいのは、批判的思考を持てない幼稚さに由来し、そうである限り、双京都性自己愛障害者が洗脳する差別的偏見をそのまま鵜呑みにし、流されている人々は、そうでない人に比べて低IQの割合が高いだろう。相対的に低IQの人は東日本(東国)より西日本(西国)に多い。だから西国人は東京か京都・大阪発のマスメディアと天皇制に、東国より洗脳されやすい。
 結局、魅力度報道を行って好都合だと考えている本物の双京都性自己愛性障害者と、その悪意ある虚偽に洗脳され易い低IQの人々が、茨城県民の一部がその意見を変えようと思っている対象なのである。これらの人々は、一体、相手にする価値のある人々だろうか。誰がどう見ても気違いと馬鹿に過ぎないのではないか。愚者と狂人に好かれるとか、羨ましがられるという事が賢明である事は殆どありえない。賢明な県民であるなら、外部の愚者と狂人の意見を無視するべきだろう。もし、意味のない優劣感の狂信を延々と続けたがる東西京都の自己愛性障害者を治療したければ、専ら精神科医に任せねばならないし、単なる低IQ集団である様な一部西日本人に、高IQの人が可能な次元の思考過程を期待するのも無駄だ。これらの集団にはむしろ、誤解されたり嫌われるほど得をするといって間違いない。
 都会と田舎という二項対立を、都会を優越性と、田舎を劣等性と固定観念で結びつけている人間は、単純に、自己愛性の妄想で気が狂っているのである。それは皇族についても全く例外ではないし、その狂人の権化が、根拠のない自己愛性の障害に基づいて中韓移民の末裔に過ぎない自分を神の子孫だとか、象徴だとか、宗教祖と名乗っているにすぎないのだ。この種の狂人の妄念を信じ切って疑わない愚か者や、その邪な洗脳を悪用して全国民をだまそうという東京都民や京都府民は、一言でいえば相手にするかいもないほどのやくざだというしかない。即ち、都会の劣等性や、田舎の優越性をも同時に理解しながら考察し、またそれらの両極に限らず、田園や郊外や、地方都市や里山や公園といった中間領域についても、その個々についての優劣を個別かつ詳細に分析しながら、より正確に捉えて利用するなり改良していく事が、科学的思考の可能な知能の人間なのである。

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# by smartestone | 2017-09-06 20:45 | 学術 | Trackback | Comments(0)

茨城県の第一目標

 茨城県の第一目標を、県民所得と対外純資産の世界一化に定めるべきである。
 この理由は、茨城県内の経済政策について、県民所得と対外純資産を日本一、世界一にするまで構造改革により成長させれば、必然的に魅力度報道による差別は終わる。なぜならこれらのマスメディアはスポンサー企業とその株主に都合がいい情報で、初めから真実とは異なるものであり、国民を洗脳するべく行われている宣伝活動なのである。つまり資本の源を支配する事が報道を支配する事なのだ。
 では県民所得を最大化するにはどうすればよいかといえば、金融リテラシーを幼児から徹底する事が第一であり、茨城BIにより負け組の生活保障を徹底しながら、県民の勝ち組になるべく何歳から何度でも挑戦できる投資と経営に有利になる環境条件づくりをしていくのが第二であり、最後に、全世界から富裕層を徹底して集積させる事である。これらを実現するには県内で納税者にとって世界一節税になる行政構造を大井川県政の最低今後4年間に確立する必要がある。公務員は行政業務の自動化、IT化、民営化の徹底により、全員辞めてもらう覚悟で行政革命を起こすべきだ。人件費が最大の増税原因である限り、行政業務の9割以上を民営化する事。しかもBI実現や県議全廃の様に、誰がどう見ても世界一進んだ仕組みを県知事主導で果敢に取り入れていく事である。

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# by smartestone | 2017-09-06 17:11 | 政治 | Trackback | Comments(0)