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茨城経済学――トップバリュー効果とノンブランド戦略

 地域の魅力度とブランド総合研究所に登録している西日本の数百人から偏見される何らかの生活要件、は、一言でいうとおもに観光地としての魅力度なわけだが、この観光地としての客観認知度を日本の47県のうちの平均値に近づけるという思考自体が、横並び若しくは中庸志向だというしかないだろう。大井川氏の、経営学を援用した論理、すなわち差別化が市場原理において青い海(競争相手のいない新興市場)を泳ぐのに有効だという革新理論的発想からいえば、すでに「魅力が日本で最もない」という認知biasを、(ブランド総合研究所所長の東京都民)田中章雄の資本だの、東京の非科学的で悪質な報道機関だのの俗受けを狙う商業的悪意を利用して、かなり巧妙に宣伝できているのは明らかではないだろうか。この観点は既に青木智也氏がイバラッパーの活動で、魅力度最下位はオイシイという表現(吉本興業的ミームでいう「巧く喜劇的に目立てる」という意味)で提出済みだった。
 さらに青木氏はかれのサイト『茨城王』「茨城県が裏魅力度調査2010で第1位を獲得」 のページで、次の様に述べている。

 これ、ほんとにこんな値段するの?いくら有名だからって高すぎでしょ・・・って正直思ったことはありませんか?


 ブランド力が高い商品ほど、はっきりいって値段も高いですね。●海道の有名なお菓子はみんな高いでしょ。←水海道じゃないですよ(笑)。
払った対価に比例して満足度は高まるものですから」なんて言われちゃうと、なるほど確かにそうかもなあ・・・なんてだまされねえって(笑)。それより、もっと「安くていいもの」のほうが普通はいいでしょ。

この指標は主に農産物や特産品を対象としていますが、質が高いにも関わらず、あえてブランド価値を高めずに、なるべく安い価格で提供しようとしている生産者や商品をもっと高く評価すべきであるという主催者側の意図が見て取れますね。


 茨城県はこのノンブラン度でも第1位を獲得しています。
評価の高い産品を挙げていけばキリがありませんが、コシヒカリ、メロン、栗、水菜などその品質のわりに価格が安いものが多いです。

以前農業関係の仕事に就かれていた方がおっしゃった一言を私は忘れることができません。
その一言とは「かしこい消費者は茨城産のコメを食う」。
なるほど!と思いました。
グルメ志向、ブランド志向の方だったら●沼産などに手を出しそうなものですが、賢い方は同レベルの品質であるにもかかわらず価格の安い茨城産を選ぶということなんですね。高けりゃいいってものではなくて、いいものを安く買うのがかしこい消費者です。

メロンだって夕張が有名ですが、たくさん作って安く提供しているのは茨城産ですし、なんて有名な小布施の栗菓子にどんだけ茨城産が使われていると思ってるんですか。
水菜にいたっては、京都産の半額ですからね。
そりぁ日本一の産地になっちゃいますよ。
水菜は元々京野菜で関東ではあまり食べられていませんでしたが、これだけ水菜が普及したのはきっと茨城産の水菜があったからといってもいいすぎではないでしょう。


 それと、茨城には有名な割には値段の高くないブランドというのもありまして、それは水戸納豆ですね。納豆って栄養価が高い割には値段が安く、非常にコストパフォーマンスの高い食品だと思います。

 ここにみられるのは日本や世界の賢い消費者を馬鹿にしている、高く余分をとった高付加価値のわりに質の低い、東京や京都の様な見栄っ張り「ブランド志向」の逆の発想で、コストパフォーマンスを最重視した高品質の割に無名であるから値段が安い「ノンブランド志向」が茨城県の既存の好条件を最も生かしやすいのだ、という観点である。このブログの中でも何度か似た意見を述べてきた。茨城ブランドとは現時点でノンブランドと同質の意味を持っている。「有名じゃないから大したことがないのだろう」という日本人の偏見をゲイン効果に逆利用して、国内市場では有利に高品質・低価格な製品サービスを提供できる、というわけだ。橋本県政が工場誘致力を日本でトップにしたのも、農業力も2位にまで成長させたのも、この消費者にとって最もありがたいトップバリュー効果を活かしていたのだ。しかも、茨城産の商材は国外では日本ブランドに他ならず、国内で費用対効果面で競争力をもった時点の茨城製品・茨城サービスは、国外ではブランドマージンを得られるのだからさらに高値で売れる。
 茨城県の特質を生かして高付加価値を生み出す要因は、ブランド価値を最小化する事の方にある。目立つ宣伝をしたり、押し付けがましいブランド名をつけて高級感を演出したりしてはいけない。素っ気ない、どう見ても過剰サービス精神のない、あたかも売る気がないように見える。しかし裏返せば消費者には全然ありがたくない宣伝費や無駄に他ならない過剰包装的・偽装的な価値の上乗せに過ぎない余分を極限まで切り詰めてあり、お徳感、実のコスパにおいて圧倒的に世界一の水準にある、という商品価値の実感を奨励する方向に進むのが、逆差別化という茨城経済のノンブランド(無名)戦略に違いない。既に無印良品とかプライベートブランドとかに似た傾向の戦略はあったが、県単位で自覚的にこの経済戦略をとろうとしたところはないのだろう。
 他方、マージンを取れないなら製品サービスのコモディティ(日用品、似たり寄ったり)化によって(過当競争の血の海の様に)赤い海になりやすいという批判が考えられるが、競争力を持って市場で勝利できる限り、隙間市場においても同様の、魅力を削いだ実の効用を求める製品サービスの入り込む余地はあるかもしれない。たとえばオーディオスピーカー分野で実を求める人に有名なオラソニックや、海外ではおそらく日本一のクラフトビールである常陸野ネストの木内酒造、皇室献上品でもあるカガミクリスタル等はこのような例なのかもしれない。要は市場競争力を志向しながらも、品質/価格において勝利する事を目指し、虚栄より実質をとる賢い消費者のみにターゲティングする。裏返せば、ブランド志向で見栄を張り、低品質・高価格な製品サービスを購買したがる愚かな消費者を標的から大胆にはずし、過剰な高値付けをもたらす非消費者目線の余分を極限まで切り詰めた良心価格を目指す。京都・東京・北海道・沖縄の逆を張ってブランド依存またはブランド志向を脱却する事が茨城的なのだ。
 もしこの種の戦略が現実に成功度を高めていった場合、必然に、市場シェアを独占する分野が複数生まれるはずだ。結果的に、世界市場における持続競争力を茨城が確保していく事ができるだろう。この戦略をとる場合、いかに県内の企業・労働環境を低費用化できるか、しかも、県内の何らかの職人的な起業風土、社内外教育(ON-JT・OFF-JT)に有利な条件付けによって市場と比較して高品質な製品サービスを生み出して当たり前だ、という意識をどう作るかが重要だ。いいかえると、品質/価格の高い商品において潜在価値をうみだす両輪として、低費用化と高品質化の誘引が必要になる。前者については公害を主とした外部不経済の内部化を除いて、企業活動に世界一有利な県内誘致環境を生み出す事が重要で、これは法整備を含む税制改革によって県庁に十分なしうる。また労働者に関しては公務員が高い税を貪らないという県内公務員の給与削減によって模範を垂れる効果と、公務のIT化・高効率・合理化によって、武士道的な、高利益を得る事のない低廉な仕事の方が立派で、代わりに名誉を付与されるのだという貴族精神の啓蒙が重要だ。後者、高品質化については教育風土によると思われるが、恐らく高品質の飽くなき追求と言う意味での芸術家・職人気質の啓蒙が役に立つのだろう。求道的な職人は無限に高品質を志向するものだし、それはいかにも売らんかなというデフレ経済下の消費者にとってはうんざりする態度、もしくはより高い差額を得ようという商人気質の逆を張る為、ノンブランド戦略との調和がし易い。前衛芸術家(後衛の作家はそうではない)はまだ評価されざる領域へ決死で常に挑戦していくという意味では革新の原点だし、この種の人々を集める事は精神面でのイノベーティブな環境を生み出しうる。

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# by smartestone | 2017-09-03 14:20 | 経済 | Trackback | Comments(0)

堤防の工夫

 常総市は高規格堤防、スーパー堤防を導入した決壊災害からの復興によって、鬼怒川沿いをむしろ快適性の高い広大な運動場につくりかえるべきだ。
 同様に、北茨城市も今つくりなおしている高さのある海辺堤防に、どこからでも海の眺められる遊歩道を付属する、そして景観に害を及ぼすテトラポットはむしろ海水浴場部以外で積極的に撤去し、自然のままの砂浜を残すという考え方をしなければならない。いわゆる災い転じて福を為す、転んだら只では起きないという発想である。

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# by smartestone | 2017-09-03 13:57 | 政治 | Trackback | Comments(0)

ノリアキの顕彰

 茨城県はつくば発の前衛ミュージシャンだったnoriaki(ノリアキ)と彼の名作『This is da music』に、県民栄誉賞の授与を行うべきだ。ネット文化の勃興を期し、ICTで優秀な成果をあげたと評価できる茨城に関連した個人と団体を表彰し、若い世代とスタートアップに不足している金銭による報酬で少なくともむくいるべきである。
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# by smartestone | 2017-09-03 13:12 | 政治 | Trackback | Comments(0)

水戸遷都の最優先

 大井川氏は一期目のうちに水戸遷都を実現するべく、中央政界を茨城県勢で牛耳るよう地方自治介入の復讐と自民党粛清、天皇家処刑に全力を尽くすべきだ。将軍を裏切った東国侵略犯である天皇を古巣の京都に逃がしては絶対にならない。再び天皇支配の世襲封建制を期して潜在的独裁者を残してしまう。国民による国民のための共和政府を全国一致で実現する。この為には神道信者の政界からの全数粛清が必須である。皇族の死刑も含め、政界からの皇族閥全数粛清を期すのみである。皇族が逃亡しようものなら宇宙の果てまで追いかけて最短距離で処刑する。
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# by smartestone | 2017-09-03 12:42 | 経済 | Comments(0)

茨城BIによる世直し

 所得の高齢者側に片寄った極端な世代間格差が、子供だの家庭だのパートナーをもてるほど、それどころか生活するだけの金もない結婚適齢期の若者を生み出す。少子高齢化、つまり茨城滅亡の第一原因はこの「所得の世代間格差」なのであり、一言でいえば老人が青年をむさぼっているのだ。
 だから青年を搾取して暴利を得ている年金を廃止し、代わりに生活必需品を無税にした軽減消費税を欧州並みに引き上げ財源を確保した上、社会保障を一元化した茨城独自のBI、最低所得保障制度を導入して、世代間格差を是正するべきなのだ。今すぐに。待ったなしで。これをなしえないかぎり茨城も日本も100%滅亡する。断言してもいい。裏返せばこれを実現したばあい、茨城の若年人口は同等の制度をもつ欧州並みに回復し、経済成長率と或る種の繁栄を確保できる上、若い世代の移民による人口増大と起業の為の必要最小資本が確保され県内とその関連経済も回りだし、暴利を貪る老人世代の実質負担率があがることによる非生産・非消費集団の県外排出を促し、老害の貪欲という悪徳による風紀紊乱も糾すことができ、タンス預金の切り崩しで死資本の淀みも一気に解消する。
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# by smartestone | 2017-09-03 05:42 | 経済 | Comments(0)

国民政府論

 天皇家や皇族、そしてその縁戚である安倍家、麻生家、小泉家、石原家、石破家など自民党の世襲国会議員らを全員国政から粛清し、天皇家並びに皇族全数を処刑して未来永劫、日本国を侵略させないように地上から滅ぼし去った上で、世襲禁止法を通して親が国会議員または閣僚、官僚、公務員いずれかであった人が国政に関われないよう制度を革命しなければならない。
 竹田恒泰の様な皇族利権にたかる民間人も、あるいは皇族閥にしがみつき国税利権やら後光による虚栄にあやかりたがっている京都府知事および京都市長も、国権の正当な行使が図らしめる範囲において、同時に地上から粛清するべきである。
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# by smartestone | 2017-09-03 05:26 | 経済 | Comments(0)

日本国の人口減少は、世襲権力者への人道の裁きにして復讐である

 人口減少がまずいと考えている政治家は、たとえば東京の詐欺に引き寄せられて都内で死んでいく様な悪徳に満ちた強欲で浅はかな在来種とか、そもそも子供を産む価値もない様な有害で悪意の日本人が大勢いる、という事について、何の言及もない。生き残った方がよい善良かつ賢明な人が子供をもてず、死んだ方がいい様な極悪非道な人間が子供を産んでいるといった事象も観察できるだろう。日本国で生まれた少なくとも2800年程度前に移民してきた弥生人と呼ばれる大陸の中韓人と共通のDNA(Y染色体ハプログループO1b2またはO1b)と混血した人々、つまりは移民なわけだが、この様な連中が繁殖することを是とする理由は単なる人種差別以外なにものでもない。純血アイヌとか、3~5万年以上の先住民族であるにもかかわらず急激に減っている東北の在来縄文系の純粋日本人DNA(Y染色体ハプログループD)であるとか、どう考えても、人種的に保護するべき価値がより高いのは希少価値の高いこちらの方だというほかないのだが、そのような人たちを殖やそうという意図は国政には全然みうけられない。ただでさえ人口増加率の高い九州は、沖縄経由で多少のD系統の流入がある南九州の一部を除いて、弥生人の集住移民地区である。九州人に人種差別的な意図に基づく保護価値など全然みいだせない。なにしろ低教育のヤンキーだらけで放っておいても勝手に繁殖していくのだし、希少価値もないし、そもそも元々の日本人ではなく移民の末裔なのだ。
 政治家が恐れている被侵略の恐怖など、侵略者である弥生民族の末裔に他ならない西日本に生まれ育った人間が言えた義理ではないのは明らかで、それをいうなら弥生人の末裔達は最初から侵略犯なのだからそれを言うなら今すぐ天皇を連れて日本国から、朝鮮半島、或いは中国江南地方を経由し、故郷であるユーラシア北部へと帰ってもらうべきである。しかもこの西国の薩長土肥だの関西地方の弥生民族の末裔たちは、今から150年前に自分から東国だの周辺諸国だのを侵略し、賠償に値する多大な生命への恐怖と現実の殺戮という大犯罪の数々をもたらしてきたのであるし、今現在も商売、利己、性悪、金儲け、そして民族・人種・門地差別と天皇狂信といった移民初期から健在のあさましい本性を手に、日本中・アジア中・世界中を目下侵略中である。つまり天皇家だの長州閥だの関西人をはじめとした弥生人の末裔の政治屋らは、自分達の世襲権益が侵害されるのを恐れているだけなのだ。大体、東日本にこの人たちが入ってきている事そのものが、2800年間も迷惑極まりないのである。侵略者は帰れとしか言いようがない。現に濃度こそあれ混血者も多かれ少なかれいるにせよ、この弥生人と呼ばれてきた侵略者連中は自分が犯している侵略罪に自覚がなく、他人から侵略される事はゆるせないという無礼千万かつ無神経極まりない無感覚で、大公害の恥知らず、浅はかで陰険で自己中心的な大ばか者としかいいようがない、救いようがない連中なのである。
 人口が減る事について、天皇家のような生まれつき付与された「世襲権益」を持っているのでない、一般人には何の心配もいらない。我々はどちらにしても、天皇家という侵略者に毎日、被支配という不愉快な経験を2800年間もさせられているのだし、天皇家が故郷の中韓ならびに大陸北部にさっさと帰ってくれない限り、京都だの奈良だの中韓系帰化人の植民地に引っ込もうとその被侵略状態という移民社会の状態は何も変わらないからなのだ。百歩譲って自分と遺伝傾向が近い人間が同調し易いという妄念があったとする。これをいうなら、縄文系の本来の日本人であるハプロDと、弥生人という中韓人の末裔であるハプロO1bは、7万年分も遺伝子分岐の時点が離れているのだから、完全に赤の他人なのだ。いやいやながらの呉越同舟なだけで弥生人という汚い侵略犯を、アイヌはじめ日本人は昔も今も少しも好んでなどいなかったし、卑劣な暴力で2800年の間、独立を侵害され抑圧され文化文明を破壊されたという完全な民族弾圧犯罪の被害者にほかならず、今後もそうだろう。混血があるという反論については、天皇家が自分で万世一系とほざき、男系がハプロO1bという中韓人の系譜なのは出自からも身体特徴からも歴史からも完全に明らかで、アイヌや縄文人(中韓系の侵略者である天皇は、日本人を蝦夷と呼んで差別してきた)では全くもってないのだから、はっきりいえば男系の天皇は科学的に、未来永劫、極悪犯罪人にして迷惑千万な、恨み多き罪人にして、移民の外人なのである。
 この論理は背理法であって、私は人種差別主義者でもなければ民族差別を奉じる者でもない。人口減少が恐ろしいと述べている人の根底にあるのが、これら、人種差別と民族差別にほかならず、しかも彼らがそれら2つの差別を用いて何をしているかといえば、自分自身の既得権益を維持したいという天皇家レベルの旧態依然なばかげた封建制に他ならないのだと、のべているだけである。日本国など守る必要は一切ない。日本国政府が滅亡したところで、我々一般の個人には何の問題もない。中国を見ればいい。何度王朝が後退し、何度新しい国ができた事だろう。中国人はそんな制度変化に一切関係なく、生き続けていくのだ。
 易姓革命のなさを日本らしさの様に定義づけた水戸の徳川家は皇族権益を奉呈して、唯我独尊状態にあった江戸の徳川家とのすみ分けをしていた存在なのであり、水戸家が天皇を崇拝させるように藩士にしつけたのは彼ら自身の女系DNAに皇族経由の流入があったため、完全に封建的既得権の維持促進が目的でしかなかった。明治以後の島津家、毛利家、そして吉田茂を含めて、皇族の親戚関係になった人間が、自分の母系DNAに既得権をあつめる為にいかにあらゆる政治制度的抑圧と報道統制、そして宗教的洗脳を彼らが弾圧してきた水戸藩の学問を乱用してさえ行うかは、天皇2800年の世襲独裁制度そして国民奴隷化の延長にある現在がまざまざと証明している。要するに、搾取する対象である奴隷国民が減るため、こういった既得権が旨みを搾取できなくなり、人口と経済力という意味で、近隣のより健全なまつりごと、国民への利益還元をしている有能な国民集団からの侵略或いは移民で滅び去る事は、人道の正義としかいいようがない。天皇家も安倍家も、麻生家も、いや、東電株を手放していない石破家やら、非正規雇用法を通したポピュリストの子である小泉家であれ、滅び去ればいいのである。これらの人々と私に何の関係もない。私にこれらの人々が、1円でもくれたことはない。一方的に徴税され、私は被害だけを受けた。何の利益還元もない奴隷側が、搾取だけされ極貧状態の中ふえられるわけがないのである。経団連から不道徳な献金を受けながらぬくぬくと世襲政治屋を続けてきた自民党員だの、国民全体を、どんな貧民からさえ税金を搾取しつくして贅沢三昧で2800年の天皇家など全員滅び去れ。それが正義なのだ。日本国民がどんどん人口減少し、搾取する対象がいなくなって慌てている悪の天皇家とその手先の自民党員共は、(彼ら自身の、西日本側とおもとする大部分が移民そのものなのだが)新たな移民の奴隷欲しさに躍起になっているが無駄である。なにしろ、苛斂誅求の暴利によってひたすら民を虐殺し、2800年間もの間、すさまじい悪政をしているのだから、今後来る移民についても同じく、不幸な奴隷国を作ろうと最後には滅亡する。
 天皇家と自民党員は、奴隷が足りなくなって慌てだし、どんどん移民を増加させようとするだろうし、それによって政治参加者も投票傾向も帰化した人々や混血した人々により激変し、遂に彼ら既得権を寡占する支配者らが、悪の世襲独裁者や独裁政党員として国政から排除され、場合によっては国外追放もされるであろう。それでいいのだ。奴隷に再び生まれなおすより、国ごと滅びた方がよい。無論、天皇家や安倍家や麻生家や小泉家や石原家や石破家を、つまり世襲権力者の悪政既得権の連中を、全員我が国の政治界から永久追放できれば今すぐにでも、我が国の税金について本来の恵まれない国民への健全な利益還元が可能になる。だがこれらの極悪集団は、国民側の正義に最大限の悪意で弾圧し続けるだけだ。日本人の衆愚、ニコ動だの2chだの東京大阪の愚鈍マスコミに洗脳された馬鹿な若者だの中年だの老人側には群衆化や自己奴隷化の狂信傾向以外でまっとうな思考力や理解力が欠けている。天皇家含む政治屋も衆愚も両者とも今後も反省や精神的成長が期待できないこともまた疑いようがない。こうして日本国が周辺諸国に侵略されるまで、徹底的に日本人が減少し経済衰退した方が全人類の正義の為なのだ。
 ちなみに、相対的に他の列島より人口増大傾向にある愚劣な九州人は貧しさのなか増大しすぎた若者やくざ集団が余って暴走し、再び自らの口減らしのため侵略戦争の惨禍をくりかえしたがるだろう。もっぱら我々はアジア諸国及び多国籍軍と協調し、国内外でバカな九州人暴力団からの侵略被害を防止する事、彼らの暴虐を最大限の暴力による実力行使で徹底的に潰す事だけで十分である。

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# by smartestone | 2017-09-02 21:09 | 政治 | Trackback | Comments(0)

平成維新論

 梶山弘志氏を全力で擁護し、県知事選における自民党県議の贈収賄事件をすべて大本営のボス安倍晋三一人の責任に帰す為に、全人類を糾合し、悪の安倍晋三及びその手先である同内閣構成員、そしてその派閥・細田派(96人)の全数が加計、森友に続き、まことに有罪であるという本質を一貫して主張し続けねばならない。自民党本部はブレーンの世耕を中心に、安倍の責任逃れの為に全方位から虚偽答弁と冤罪、国策捜査を駆使し、茨城県側に想像を超えた悪意で、衆愚の扇動と共にぬれぎぬをきせてくるはずだ。この際、不正なテロによってなった明治政府から来た現今の長州閥独裁の日本国政府を全て滅ぼそうが構わないという覚悟で、安倍晋三という不正の根を完全に除去しきるのが絶対に必要である。国民をあらゆる権力乱用で繰り返し欺く重罪人である安倍晋三と細田派96名の自民党国会議員はこの国に巣食ったがん細胞にほかならず、全て完全に消滅しきるまで叩き潰しまくる事に何のためらいもいらない。
 この際、安倍晋三並びに安倍内閣のみならず、自民党及びそこからきた悪の子分に他ならない平成日本政府の一切を解体しきるまで、安倍晋三の不正による独裁罪業の追及を未来永劫ひたすら怨嗟と怨恨によって続けるべきである。唯一の正解は倒幕だ。

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# by smartestone | 2017-09-02 20:04 | 政治 | Trackback | Comments(0)

茨城の独自性について

 もし大井川氏のいう独自の事をしたいなら、300万人が一斉に起業家を目指してはいけない。なぜならそれが米国の模倣だからだし、その時点で模倣者、追随者、よくて初期採用者にしかならないのだから(それが商売としてうまくいったとしても)。米国とか西洋の価値基準に乗らない事象が真の独特なのだし、それは欧米側にとって必ずしも評価に値しないものかもしれない。日本の県外に対してもあらゆる外国に対しても同じことだ。
 資本主義の制度に乗る範囲で、米国の今現在はやっている商業をまねよう、少なくとも金儲けになる範囲で商品を差別化しようという考えは、秀才的な発想でしかない。資本主義潮流にそのまま乗っているだけだからだ。管理された独自性、合法な商取引というルールの中にある革新、これは真の革新ではない。単に資本主義の改良だ。
 過去の茨城県・常陸国・下総国史できわめて独創的だといえるのは、全世界でこの地域にしかない水戸学が代表的なものだ。象徴天皇制と明治維新、広くは植民地独立、人種差別への反対、民族独立運動の礎となったのはこの思想であり、人々が気づいていようがいまいが全人類にプラスの影響を与えている。共産主義が生まれる前の考えだから、マルクス主義以降の知識人にとっては乗り越えるべき批判対象かもしれないが、非西洋圏における近代化の基礎理論となったことは明らかであると同時に、単に茨城県のみならず日本国、そしてアジア、いや有色人種の多かった全地球の国々単位での非西洋性、独立の背骨を保つよすがとなったのも、この水戸学なのである。特に天皇家はこの思想を生み出した偉人達に未来永劫、感謝するしかないほどだ(現時点の皇室は単なる英米追従者であるうえに傲岸不遜で無知かつ不勉強だからそうはしないだろうが)。岡倉天心の『茶の本』をはじめとした著述と思想にも、水戸藩士である横山大観の父、そしてその子である天心第一の弟子・大観当人から来た、日本の独立、独自性尊重の思想が流れ込んでいるのは、偶然ではない。
 では水戸学とそこから流れ出た独創性について、世界人類が何らかの高い評価を与えているかといえば、決してそうではないだろう。なぜそうなのかといえば、単に理解していない、理解する誘引もなければ必要もない、それどころか未来永劫この種の哲学に関心を持つほどの知能がない等、いくら優れた意義を持つ達成であれ、他者からの評価がそれに比例するとは限らない。では、大井川氏は一体、この水戸学の様な独創性をまっとうに評価し、その種の独特さをのみ選好しようと思っているだろうか。思っていない。
 彼は単にアメリカかぶれ、その追従者である東京かぶれなのである。はっきりいうと、米国の評価基準に合わせた何らかの価値等級を、茨城県域にもたらせばそれが革新だと思っているのだ。シュンペーター理論は経済学にすぎない。大井川氏が革新を興したいと思っているのは、実は「商業」という、全体から言えばごく限られた分野であるか、少なくとも商業性を経由したイノベーション理論の援用であるというほかない。勿論、生き方の多様性とか、傑出した個性とか、独特の能力といった言葉で、その理論体系を補う様な発言もしばしばみられるが、大井川氏の行政論の本質にあるのはイノベーションという概念を中心にした米国的な技術革新の模倣であるというべきだろう。
 この議論で見えているのは、真の独自性は潮流或いはパラダイムそのものが違う為に、外部者から正当に評価されえない、という観点である。芸術でいえば真の前衛が同時代人から常に無理解にあい当の芸術家らは孤立しながら貧窮に陥り、場合によっては悲劇的な死を遂げた、他方で過去の同時代に高く評価される類の今日では全く知られていないいわゆるサロン芸術家らが伝統模倣者にすぎないがゆえ、当時の俗物受けがよく当時の凡愚な称・文化人らにとっても重要とされていた上に、経済的にも人気的にも全く恵まれていたといった例に事欠かない。イノベーション理論でいえば、市場参加者には下記の別がある。
  1. イノベーター(Innovators:革新者):
    冒険心にあふれ、新しいものを進んで採用する人。市場全体の2.5%。
  2. アーリーアダプター(Early Adopters:初期採用者):
    流行に敏感で、情報収集を自ら行い、判断する人。他の消費層への影響力が大きく、オピニオンリーダーとも呼ばれる。市場全体の13.5%。
  3. アーリーマジョリティ(Early Majority:前期追随者):
    比較的慎重派な人。平均より早くに新しいものを取り入れる。ブリッジピープルとも呼ばれる。市場全体の34.0%。
  4. レイトマジョリティ(Late Majority:後期追随者):
    比較的懐疑的な人。周囲の大多数が試している場面を見てから同じ選択をする。フォロワーズとも呼ばれる。市場全体の34.0%。
  5. ラガード(Laggards:遅滞者):
    最も保守的な人。流行や世の中の動きに関心が薄い。イノベーションが伝統になるまで採用しない。伝統主義者とも訳される。市場全体の16.0%。http://www.jmrlsi.co.jp/knowledge/yougo/my02/my0219.html より
これらの種類の展開のうち、イノベーターの中には単に革新的であっても商業上の流行が決定量(クリティカルマス)に到達しなかったままの、無数の前衛的な実験、発見や発明が含まれているというべきで、その様なものの中には非利益的な探求、それどころか努力なしに得られた特殊性も大いに含まれている事だろう。大井川氏は、一体この問題についてはどう考えているのだろう。
 私の意見をいえば、茨城からビルゲイツをとかジョブズみたいなのを出せとか出そうぜいうのは、戦後日本の典型的思考法、単なる模倣者でしかない。実際、まねがうまい国民性だから川上量生だの孫正義以上の存在は、本気でやればうみだせるだろう。どころか、その種の類型に当てはまる人物は既に、茨城にもいたのだ。Winny開発者の金子勇氏。今もいるに違いない。ウィニー事件にあった京都みたいに陰湿な社会では反社会的個性を弾圧するから、ジョブズみたいな本物の不良、狂人が潰されてしまうという面は大いにあるだろう。ジョブズはソニーの不完全模倣者だったかもしれないが、ビルゲイツはだれかを模倣したろうか。真の独創性とは世界に類例がないことなのだ。ビルの様になろうとした時点で革新的では全くないのだ。「金儲けなんてどうでもいいや」とか、「武士はくわねど高楊枝」とか、「役に立つ仕事なんて下民がやる事だ」と言って、金になるかならないかわからない対象に命懸けで取り組んでいる人の方が、非米国的かもしれない。金儲け以外の目線から見て幸福追求に成功した人の方が、実は市場にあっても十分に差別化されて青い海を泳いでいるかもしれない。つまり大井川氏が本当に茨城を独自にしたければ、米国追従をやめるべきなのである。シアトルだのシンガポールだの、フランスだのといった前例はある種のモデルかもしれないが、それらから何をどう学んでいようが、或いは学ばなかろうが、自分自身にしかありえないもの、しかも価値観や評価基軸そのものを独自で作り上げる事が重要なのだ。独りよがりになるからそんなものは意味がない、県外から中身があろうとなかろうと何らかの妄想だか事実の側面だかによって魅力があると思われる自分になりたい、こういう発想は間違っているのだ。ランキングは無意味なのだ。他人に順位付けされない価値は、自分自身が作り出すしかないのである。そしてこういう意味で、橋本氏は正しかったのである。なぜなら橋本氏独自の哲学を持ち、他人からどう思われようが、彼の理想とする茨城の理想像をいだき、それを実現していったからなのだ。
 もっと根本的に言うと、独自になろうとする努力そのものが、元からある個性が非独自な場合に限るのだから、最初からある自然や文化条件が沖縄だの北海道みたいに非典型であるとき、或いは朝鮮人植民地として始まった中世都市の京都みたいに出自からして非日本的である場合、普通や平凡になる事自体が難しい。彼らは逆に、あまりに正規分布から外れた各種の特殊性のため日本で「普通の人」になる為に努力さえ必要なのだ。自分の持っている個性を丸ごと受け入れる事。底抜けの自己肯定感、そして自分自身の現時点でもっているありのままの個性の特徴をそのまま、他人の前に押し出す事。これが本当に独自であるという事なのだ。アリストテレスは言っている、変化するのは悪い特徴なのだと。最高の存在である不動の動者が神なのだと。平凡な人が特殊な人に憧れるのは矛盾しているのである。茨城の良さは、かなりの程度、中庸にあるのだ。人徳の最高の特性とは中庸にある。『常磐線中心主義』の中で、茨城はコモディティの供給地というイメージ、つまりは平凡な農工業地帯といわれる。魅力がないと思う人達は、その個性を嫌っているだけだ。我々が満足しているのに、我々は生まれ故郷の良さ、なつかしさ、美しさ、言葉にならない崇高な光景、自然の奥行と神秘、偉大な文化文明を生み出してきた立派な人々、親しみのある仲間を語りつくせないほど、幼児のころから知っているというのに、くだらない人達に嫌われたからなんだというのだろう。自分が好きな人とだけつきあえばいいではないか。茨城は神のごとき世界一優れた自治体であり、その本質において、変わる必要がない。他人から好かれるために作った偽物の個性などになる必要は、まったくない。自分達が理想の中庸に到達する様に努力していればいい。中庸より極端を好む人達は、おろかなのである。愚かな人の評価基準に合わせる人も愚かなのである。
 茨城県という法人格としての行政単位と、その中に属する個人達、或いは県内企業を比べて、後者が中庸でなければならない、という事は確かにないのかもしれない。個人が市場における利益を得る能力としての差別化された仕事が必要だ、として、それを行政がおしつけることは完全に誤りだ。個性や企業は自由でなければならない。中庸を選ぼうが極端を選ぼうが、その個人の選択が正義だ。特定の企業優遇についても、ハイエクの論理によれば、実際は市場原理によらなければ計画経済的な非効率や失政を免れないだろう。対して、行政単位としての茨城県が極端な個性になる、つまり、あらゆる観点から見て大いに欠けたところと大いに優れたところがある、という事が、道徳的に正しいのかについては議論の余地がある。全体奉仕という理念と矛盾をきたすからだ。むしろ行政単位というものは欠けた所のない全能を志向するべきなのかもしれない。その単位で暮らしている人たちは現代世界の市場原理秩序に最適化しきってしまえば、産業転換に追随できず、古都となって滅び去れるのだからだ。茨城、常陸国は3万年以上、一貫して持続発展をしてきた世界一偉大たるべき自治体なのであり、未来もこの星が太陽に呑まれて滅びる50億年後までの期間、最低でもそうあるべきだ。

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# by smartestone | 2017-09-02 12:30 | 政治 | Trackback | Comments(0)

茨城経済学

 TED(米国ニューヨーク市に本部のある非営利の講演団体)における演説の中で、アメリカの超富裕層に属するニック・ハノーアー氏は、安定した消費力を持つ豊かな中流階級が起業家の母体になるにも、彼らの購買する商品・サービスのある安定的な市場を形成するにも必須で、さもなければ暴動が起きるであろうと述べている。下記に引用した当演説の要旨にあたる記事でわかるように、資本主義の最も重大な欠陥は、格差拡大が極大化し、あたかも資本奴隷制下での新封建主義の様相を呈することにあるのだ。

 シアトル市の最低賃金を他連邦に比べ2倍にした、というニック氏が良識的な上に賢明な、特別な金持ちだという事は明らかで、この様な高徳の持ち主は、残念ながら現日本には私の知る限りだが一人もいなかった。勿論、商売人は言うに及ばず政治家の中にも皆無だった。柳井正の様な悪質な成金は、年収100万でしょうがない等と、ニック氏の真逆の悪徳を述べてさえいた。安倍晋三は賃上げ要求をしていたかもしれないが陸に実現もしていないし、経団連から企業献金という不正な受益をしている立場の自民党員が、民主・民進党と結び付けて蔑視した労働組合を排除しながら経団連に何を要求しても、出来レースであり同じ穴の狢でしかない。

 単なる模倣だから二番煎じに見えるかもしれないが、ただシアトルのまねをして茨城の最低賃金を旧来の2倍にする条例をのみ制定するのではなく、欧州で一般的な秩序をとりいれ、非正規雇用者の最低時給を正規社員以上にすることを企業に義務付ける条例を通しつつ、その最低額を5千円にするべきではないだろうか? 必然的に、生活保護を受けているより非正規雇用者になった方がかねがもらえるし、そのうえ先の知れない正社員にとどまるより流動的であっても挑戦的な新雇用に属する方が、むしろ安定的に豊かな生活を送れる土壌が作れるはずだ。豊かな中流の厚みが、結局は、消費やら資本増加の差益による搾取を旨とする富裕層の躍進についても有利なのだという啓蒙が、茨城の役割として期待されていると思えてならない。大井川氏は「【Pivote TV】Pivote Meeting”新しい茨城”の話を聞いてみよう!ゲスト:大井川かずひこ氏 from YouTube」の動画中で、知事・社長報酬が高すぎるという司会の指摘について無視を決め込んで、むしろ社長報酬より知事報酬の方が少ないのだから、といった横柄な態度でさえいる。大井川氏は、ニック氏のTED動画で述べている内容に比べて資本主義の本質的欠陥について無知だし、改善についても積極的でないということかもしれない。が、ニック氏のいうCEO、つまり取締役員もしくは社長の数と取り分の増大に比べて、末端労働者側の取り分の減退という致命的な社会複利の失敗について、もっと自覚的になるべきだ。はっきりいえば、複数いる会社役員もしくは社長に当てはまるのと同様に、知事報酬を現状の非正規雇用者が納得できる程度に下げたうえで、逆に非正規雇用者らの報酬を正社員以上に増大させれば、それが最大の経済効用を持つのだ。これは知事局の仕事の大変さに比べて低すぎる報酬による過酷労働をもたらすという点については、社会的共通認識として許せる程度に知事周辺の取り分を減らすべきだといえるだろう。

 また、この演説の中で、ニック氏はもう一つ重要な観点を提出している。それは「住民のために生産を改善した解決策の度合いが、起業家の報酬であるのだが、この解決率は、問題解決に参加できた起業家と消費者の母数によっている」即ち可処分所得の面で豊かな中流を意味する消費者がいない限り、生産・消費不順の解決率、つまり経済成長率は大幅に下がる、といいかえられる見解だ。単に起業家を育てようとするだけでは不十分なのだ。どれほど優れた製品サービスがあっても、それを消費しうるだけの可処分所得がある人々、つまり最低限度以上に余ったかねのある一般県民も育っていなければ、県の優れた経済を構築することはできないのだ。

 竹中平蔵を有して以降の自民党の経済政策とは頑として縁を切る必要がある。トリクルダウン、おこぼれは起きなかったし今後もごく一部の高級品の需要、それも県内に事業があるとは限らないものを除いては、起きないだろう。竹中は単に愚劣で自身の人材派遣会社で儲けただけの意地汚い政商で、政治家として完全に無能だったのだ。そして竹中に騙され非正規雇用法を通して以後の小泉純一郎、その後の安倍晋三、麻生太郎らによる自民党政権も、経済的には完全に無能だったと評するほかない。科学的に誤りであった施策を継続している、不正選挙までして権力維持に躍起の、反国民に違いない資本家による資本家のための租税回避地を無視する、腐敗した世襲権益・自民党幕府から離れよ。茨城単独で正しい理想の模範国ヒタチとなって、国連と全世界のトップを率いる世界一の国として、全人類にあるべき人道を教える。わが県に新しいリーダーとして期待される責務をはっきりと目標化して、旧日本国という失敗した泥舟から出よう。

ニック・ハノーアー: 超富豪の仲間たち、ご注意を ― 民衆に襲われる日がやってくる

8/25(金) 13:57配信

TED

皆さんは私をご存じないでしょうが 私は皆さんがあちこちで耳にする 上位0.01%の富裕層の一人で つまり紛れもないプルートクラット (超富豪 政治権力者)です

(中略)

問題は 格差そのものではありません 高度に機能する 資本主義下の 民主主義において ある程度の格差は必要です 問題は今日の格差が 史上最大であり 日々悪化しているということです そして もしこのまま富や力や所得を 一握りの超富豪に 集中させていたら 私たちの社会は 資本主義下の民主主義から 18世紀のフランスのような 新封建主義へ変わってしまいます それは革命前の 農具を持った民衆が 反乱した頃のフランスです


私には伝えたいことがあります 私と同じ超富豪や大金持ち バブルの世界で 優雅に暮らす人々へのメッセージです 「目を覚ませ」 目を覚ましましょう いずれ終わりが来ます 私たちがこの社会における あからさまな経済格差に対して 何もせずにいたら あの民衆が襲いに来ます 自由で開かれた社会で 今のような経済格差の拡大が 長く続くはずがないのです 過去にも 続いた例はありません 極めて不平等な社会には 警察国家や 暴動が付き物です 手立てを講じなければ 世直し一揆が私たちを襲いますよ 可能性の話ではありません 時間の問題です その時が来たら それは誰にとっても 酷いことになりますが 特に私たち超富豪にとっては最悪です

(中略)

私が訴えたいのは この経済格差の拡大は 馬鹿げていて 最終的には自滅につながるということです 格差拡大は私たちが 民衆に襲われる危険性を 高めるばかりでなく ビジネスにも大打撃を与えます 私たち金持ちの手本は ヘンリー・フォードでしょう フォードは有名な 「日給5ドル」という― 当時の一般的な賃金の 倍増計画を導入しましたが 彼の功績は 工場の生産性を 向上させただけではなく 貧しく搾取されていた自動車工たちを 自分たちの作る商品を買うことができる 成長した中流階級に転換させたことです フォードは直感していました 現代の私たちが認めるとおり 経済は生態系になぞらえて考えるのが 最適で 自然界の循環システムと 自然界の循環システムと 同様の特徴があり 経済にも企業と顧客の間に 循環システムがあるのです 賃上げによって需要が増し 需要によって雇用が増え それによって賃金や 需要や利益が増えます この景気の好循環こそが 今日の経済回復に 欠けているものです


だから私たちは 両政党で強い勢力を誇る― トリクルダウン政策とは手を切って 私が「ミドル・アウト経済」と呼ぶ やり方を採用する必要が あるのです ミドル・アウト経済では 経済というのは効率的で線形で メカニズム的であるから 均衡や公正に進む傾向があるという 新古典派経済学の考えを却下し 21世紀型の考え方を採用します 経済は複雑、適応的、生態系的なので 均衡や公正とは逆方向に進み 不平等になる傾向があり 効率とは程遠いが うまく管理されていれば 効果的であるという考え方です この21世紀型の観点でとらえると 現存する資源の効率的な分配によって 資本主義が機能しているのでは ないということが はっきり見えてきます


資本主義は人類が抱える問題に対して 新たな解決策を生み出すことで 機能するのです 資本主義の特質は 解決策を見つけるべく 進化するシステムだという点です 他の人たちの問題を解決した人々に 報酬が与えられます 貧しい社会と豊かな社会の違いは そこに住む人々のために 生産という形の解決策を どれほど生み出したかという 度合いの問題であることは明らかです 私たちの社会が保有する 解決策の総和が すなわち 私たちの繁栄であり このことが グーグルやアマゾン マイクロソフトやアップルなどの会社や こうした会社を作った起業家たちが 我が国の繁栄に大きく貢献したと言える 理由になるのです


この21世紀型の観点でとらえると 私たちが問題を解決した率をもって 経済成長を理解するのが 最も適切だということも はっきりしてきます しかしその率は問題を解決した人の数― 問題を解決する能力のある多様な人々を 私たちが何人持っているかに かかっています つまり私たち市民のうち何人が 解決策を提供できる起業家として また その解決策を購入する消費者として 積極的に参加できるかによるのです しかしこの参加の最大化というのは 偶然 起きたりはしません 自然に起きる訳ではないのです 努力と投資が必要です だからこそ大いに繁栄した 資本主義下の民主主義は どれも皆 中流階級と 彼らの生活を左右する インフラに対し 大規模な投資を行うという 特徴があるのです


私たち超富豪は この 私たちがさらに富めば 他の人にも富が浸透するという トリクルダウン経済から 脱却する必要があります トリクルダウン理論は間違いです そんなはずがないでしょう 私には平均賃金の 千倍の収入がありますが 千倍多く買い物したりはしません そうでしょう? 私はこのズボンを2本買いました パートナーのマイクいわく 「経営者ズボン」 私はこれを2千本買えますよ でも買ってもしょうがないでしょう? (笑) 私が床屋に行く回数も 外食する回数も そう多くはありません 超富豪がいくら富をかき集めたところで 国家規模の経済を動かすことは 絶対にできません それが可能になるのは 中流階級の成長によってのみです


「手の打ちようがない」と 超富豪の友人たちは言うかもしれません ヘンリー・フォードの頃とは 時代が違います 出来ないことはあるでしょう でも出来ることもあるでしょう

2013年6月19日 ブルームバーグに私の書いた記事が 掲載されました 『最低賃金15ドルという資本家の理論』 という題です 賢明なフォーブス誌の人々の中には 私の熱狂的なファンがいますが 彼らに「ニック・ハノーアーによる とんでもない提案」と呼ばれました しかし その記事が掲載されて ほんの350日後 シアトル市長のエド・マレーが シアトルの最低賃金を 時給15ドルに上げるという条例を 法律として成立させました これは連邦内で一般的な 時給7ドル25セントの 倍以上に当たります 何故そうなったのか 分別ある方なら疑問に思うでしょう その理由は私たちが共同で 中流階級の人々に 彼らこそが資本主義経済の 成長と繁栄の源であると 再認識してもらったからです


労働者が持つお金が増えれば 企業は顧客が増え 雇用を増やす必要が出てくると 再認識してもらいました 企業が労働者に生活賃金を払えば 納税者は食糧配給券や 医療扶助、家賃補助などの 労働者が必要とする 生活保護制度の財源を 負担することから 解放されるということを 再認識してもらいました 低賃金の労働者は 納税状況が極めて悪く すべての企業が 最低賃金を引き上げれば どの企業も潤い 競争も起きるということを 再認識してもらいました

(後略)





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# by smartestone | 2017-09-02 05:51 | 経済 | Trackback | Comments(0)